第68回 ミラノトモスでは、私も
佐々木キャロット
ミラノトモスでは、私も
二十三時の空は暗い。当たり前のことだけど、子供の時はそんなこと考えもしなかった。七時までには必ず家に帰っていたし、九時には布団の中で眠っていた。いつからだろう。夜が長くなり、朝が短くなったのは。部活動にあけくれたJK時代はまだ健全だったと思う。やっぱり、大学で酒を覚えたのが不味かった。あの頃から、一日の境界線がぼやけていった。今では、仕事が終わらず、こんな時間になっても暴れたりしない。ただ、仕方ないと思うだけ。
きっと、大人になるとは、こういうことを言うのだろう。社会の荒波に揉まれ、酸いも甘いも溜め込んで、少しずつ黒々としたこの闇に馴染んでいくんだ。
残業終わりには、どうしてもこんなことばかり考えてしまう。いつものコンビニに寄って、割引シールの貼られたお弁当棚を眺めた。五百円くらいの牛丼と迷って、結局サラダパスタを手に取る。少しは健康に良さそうだから。チューハイはたぶん家にあった。スイーツコーナーを尻目にレジへ進み、中国人らしい店員さんに小銭を渡した。
家へ帰る。その道のりが億劫だ。会社に泊まりたくはないけど、帰るのも面倒くさい。ただ往復するだけのこの時間になんの意味があるのか。なんて。またくだらないことを考え始めてしまう。
「おかえり きょうも おそかった ね‼」
ドアを開けると、ウサギのぬいぐるみが待ち構えていた。中の綿のくたびれた白いウサギのぬいぐるみだ。
「はやく メヴォルビアを やっつけに いこう‼」
私が喋る間もなく、ウサギは私の腕を掴んで部屋の奥へと引っ張っていく。私はパンプスを脱ぎ捨て、引きずられるようについていく。
「はやく‼ はやく‼」
部屋の奥には姿見が置かれている。私が一人暮らしを始めるときに、実家の物置から引っ張り出してきたものだ。
ウサギは躊躇う素振りも見せず、その姿見へと飛び込んだ。
「さあ いこう‼ きょうも せかいを すくいに‼」
鏡面が波打ち、ウサギのぬいぐるみがその中へ吸い込まれる。私も追うようにその姿見へ飛び込んだ。
わたしはキラキラに包まれた。花火の中を飛んでいるみたい。落ちているような、浮いているような、そんなフワフワした気分‼
わたしの体がドンドン小さくなっていく。背が縮んで、手が縮んで、足が縮んで。反対に、髪の毛は長く長く伸びていく。色も黒から金色に。ツルツルサラサラのロングヘアー‼
服もフワフワのドレスにチェンジ‼ ピンク色のかわいいスカート。胸元のリボンと背中の羽が、わたしのお気に入り。
ピョコン
軽くなった体で上手に着地。わたしの足には真っ赤なブーツが輝いている。
「魔法少女ファリベリータ‼ 今日も頼んだよ‼」
わたしの周りを飛んでいる、この子の名前はピョリオン。わたしを魔法少女に変えた妖精さん。あっちの世界では、ウサギのぬいぐるみの中に隠れているの。
「まかせて‼ メヴォルビアなんて、こてんぱんにやっつけちゃうんだから‼」
メヴォルビアはこの世界、ミラノトモスを壊そうとする悪い怪物。ピョリオンが言うには、こっちの世界とあっちの世界はつながっていて、ミラノトモスでメヴォルビアが暴れると、あっちの世界でも地震や暴風が起こっちゃうんだって。
だから、わたしは世界を救うために、ピョリオンと契約して、魔法少女ファリベリータになったんだ‼
「ファリベリータ‼ あそこだ‼ あそこでメヴォルビアが暴れてるよ‼」
ピョリオンが遠くを指さす。水色の丘、黄色い塔の向こうに、メヴォルビアの恐ろしい頭が見える。
「わかった‼ じゃあ、いくよー‼」
ピョーーーーーーーン
ピョリオンの手を握って、大きくジャーンプ‼
真っ赤な空を横切って、メヴォルビアのもとへ飛んでいく。このまま踏みつけちゃうぜ。
ズドーーーーーン‼
ぶにゃん、とメヴォルビアの頭が凹む。わたしはクルリと回って、はい、着地‼
「魔法少女ファリベリータ参上‼ ミラノトモスを壊すなんて、わたしが許さないよ‼」
ビシッ
決まった‼
「油断は禁物だよ‼」
ピョリオンがプンプンしてる。もう、わかってるってば‼
ビジュアアアァアァアアアァアアァアア‼
メヴォルビアが大きな口をパックリ開けて、雄叫びを上げる。うるさいったらありゃしない。
わたしのことを叩き潰そうと、メヴォルビアはその太い触手をぶるんぶるんと振り回し始めた。わたしはピョンピョン跳ねまわって避ける。
「ピョリオン‼ いつものアレでいくよ‼」
「わかったよ‼ ファリベリータ‼」
わたしはピョリオンへ手を伸ばす。指が触れた瞬間、ピョリオンの体は光り輝き、みるみるうちに大きなハンマーに変身した。
わたしはハンマーになったピョリオンをくるんくるんと振り回す。わたしの体の三倍くらい大きいけど、魔法のハンマーだからちっとも重くない。
わたしはハンマーを構えると、メヴォルビアを見上げた。メヴォルビアもうねる触手を掲げながら、わたしのことを睨みつける。
……
……
ビジュアアアァアァアアアァアアァアア‼
いっせいに飛んできた触手に対し、わたしはピョーンと跳ね上がった。そのまま、メヴォルビアの遥か上、赤い空の真ん中でひとまわり。
「いっくよー‼」
重力に身を任せ、ハンマーとともにぐるんぐるんと落ちていく。そして、そのまま、一直線に、メヴォルビアの脳天へハンマー直撃‼
「どっかーーーーーん‼」
薄いカーテンを通して朝日が差し込む。私はけたたましく鳴り響くスマホのアラームを止めた。「6:32」一つ目のアラームは聞き逃したらしい。
しぶしぶ体を起こす。少し頭が痛い。とりあえず、洗面所へ。酷い顔。洗っても綺麗になった気がしない。
冷蔵庫からゼリー飲料を一つ取り出し、口に咥えた。そのまま、シャツに腕を通す。姿見で一応身なりを確かめるけど、どうせ誰も気にしないので適当。飲み終わったゼリー飲料のパックは、机の上に置きっぱなしのゴミと一緒にビニール袋に詰め込んだ。缶もプラも一纏めで。ゴミ袋に入れれば見えないし。
申し訳程度にメイクをして、もう一度姿見の前に立った。パッとしない女が見えた。まるで二十四歳には見えない。スマホを見る。「7:06」もう出ないと。
玄関に行き、散らばったパンプスを拾って、履く。鍵を取り出しつつ、ドアを開ける。ちらりと、目の端に白い物が映った。ウサギのぬいぐるみだ。床に転がっている。
別に、だから何ということも無いけど。
私はドアを閉め、鍵をかけた。
ふーと息を吐きだす。今日もまた一日が始まってしまった。
「……こんな世界、ぶっ壊れればいいのに」
私は会社に向かった。
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