「第十八話」お父さんとの約束

 ライカを背負いながら家に帰ると、親父が玄関から飛び出してきて、そのまま物凄い勢いで走ってきたのは覚えている。

 それから私とライカを強く抱きしめてから、なにか言っていた気がする。雨が降ってるわけじゃないのに、私の服はその時濡れていて……記憶は、そこで終わったんだと思う。


 「……」


 嫌な寝覚めだった。私は、身体の苦情に無視を決め込んで上体を起こす。


 「……フウカ」


 私はこの子と同じ部屋に、同じ病人として寝かしつけられている。

 包帯だったり塗り薬の臭いだったり、もう既に日が落ちて辺りが暗かったり……まぁ、寝ている間のことは大方察することはできる。


 「……ライカ」


 守れなかった。

 あの子も私も……結局また、カゲルに守ってもらった。


 こんこん。戸が、軽く数回叩かれる。


 「ヒナタ、私だ。入るぞ」


 私の返事を待たずに入ってきたのは親父だった。月明かりに照らされてはいるが、表情はよく見えない……烈火のごとく怒っているのか、それとも私に失望しているのか。

 どちらにせよ、私にはそれらを全て受け止め、頷き、顧みる覚悟があった。


 「ライカは?」

 「ひとまず無事だ。このままなにもなければ、だがな」


 なにもなければ、か。

 そもそも私がなにもしなければ、巫女になりたいなどと言わなければ……ライカがあそこに私を呼び出すことも、久怨という存在と対峙することも無かったはずだ。


 私のせいだ。

 私のせいで、こうなってしまった。


 「……ねぇ、お父さん」

 「なんだ」

 「お母さんって、どんな巫女だったの?」

 

 別になにか特別知りたいことがあったわけではない。

 ただ、私はここらで一度確認をしたかったのだ。自分の母が立派な巫女であり、自分なんかでは到底追いつけないような遠い存在だということを。


 「そうだな。お前の母は……アメノはお前にそっくりだった」

 「……え?」


 聞き間違いかと自分の耳を疑った。

 ああ、そうだ。私とお母さんは確かに似ているじゃないか、外見だけが。


 「見た目じゃなくて、巫女としてどうだったかって聞いてるんだけど」

 「分かっている。だから、お前にそっくりだと言ったんだ」


 冗談だろう? 私が鋭い目線を向けても、親父は顔色一つ変えずにその場に正座でしゃがみ込む。そのままお父さんは、無駄に照り輝いている月を見上げながら言った。


 「まるで、イノシシのような女だった」

 「は?」

 「手っ取り早いからと言って考えもせずに突っ込んでいくあいつを、私は何度も助けさせられた。五十年以上死線を潜り抜けて生きてきたが、その殆どはあいつと一緒に潜らされたものだ」


 自分の中にいる母が、”天道アメノ”という巫女に抱く偶像にヒビが入る音がした……気がする。やめてよ、そんな。なんでそんなこと言うの?

 

 「加えて、あいつは強かった。骨が折れようが肉が抉られようが平気な顔をして立ち上がる強い女だった。侍の私でさえ、あの不死身ぶりにはよく驚かされたものだ」


 懐かしむような親父の語りに、私はほらねやっぱりと不貞腐れ気味に納得した。

 なにが私に似ている、だ。ちゃんと強くて才能があって、あんたでさえびっくりするぐらいの勇気があるじゃないか。……どこが、私と似ているってんだ。


 「だがな、そんなあいつにも弱点があった」


 弱点。

 欠点。

 あの人にそんなものはないと思いこんでいたくせに、私は妙にその二文字に興味を唆られた。


 「……弱点って?」

 「お前と同じさ、信じられないぐらい頭が悪かったんだ」


 なんじゃそりゃ、口ではなく心の中で呆れ果てた。

 いや、確かに私は頭が悪い。でも、お母さんはそんな……ううん、今思い返すとそうだった気がしなくもない。


 「声が大きい、空気を読まない、品がなければ礼儀も知らない。見た目がいいだけに悪い点はよく目立った。例えばそうだな……右と左を間違え、西瓜を私の刀で割ったり……」


 とうとう偶像は音を立てて叩き割れた。私の中にいた完璧な巫女、憧れの人は、苦楽をともにした当事者の証言によって瓦解してしまった。

 なんなんだよ、もう。お母さんは、巫女としてダメダメだったってことじゃないか。

 

 「……それから、よく自分を責めていたよ」


 声色が少し弱々しくなっているのに気づいて、私は親父の顔を見る。

 しかし運の悪いことに、月の光の角度が丁度良く彼の顔だけを照らしておらず、この角度からでは見えなかった。どんな顔を、しているのだろうか?


 「要領が悪かったからな。被害者の遺族に罵られた時も、命懸けで助けた相手にさえ不満や怒りをぶつけられた時も、あいつは決して言い返したりなどしなかった。ただただ、頭を垂れていたよ。……なにも、なにひとつ責められるようないわれはないにも関わらず、だ」

 「そんな、そんなのって……ひどいよ! お母さんだって、自分にできることを精一杯やったはずな……の、に……」


 荒立った自分の声が、部屋の隅々に響き渡る。

 若干の反響で返ってくるその声は、私自身の胸の奥に重くのしかかっていく。


 「お前も、そう思うか」


 次に見る親父の顔は、きちんと月明かりに照らされていた。

 笑顔だった。滅多に見せない顔が、今私の目の前にある。厳格さはあるものの暖かくて、諭すような……そんな顔。

 

 ああ、そうか。

 不器用だから、不器用なりに頑張ってくれたのか、この人は。


 「全てが完璧で在ろうとするのは、我ら人間の性であり責務だ。だが、忘れるなよヒナタ。そうではないから悪だと決めつけるのは、寧ろ恥ずべき傲慢な考えだということを」


 親父はゆっくりと立ち上がり、自分の腰に差してある大刀をするりと鞘ごと手に取る。そのまま、布団にいる私に差し出してきたのだ。


 「失敗は糧であり、憎むべき敵でも恥ずべき汚点でもない。──故に、お前はまだ立ち上がるべきだ」


 まだやれるだろう。まだ、諦めるべきではないんじゃないか。

 心の中はもうぐっちゃぐちゃだ。親父が自分の刀を私に? あれだけ反対していた巫女になるという夢に対して? 今まで、一回も、褒めてくれなかったのに?


 どんだけ不器用なんだよ、クソッ。

 ああよかった、月明かりが私の方を照らしていなくて。こんな顔、この人に見せられるわけがない。……受け取る。親父が託してくれたものの重みを、ずしりと感じながら。


 「……」  

 「必ず返せ。必ず、お前の手で、私に」


 親父は踵を返し、そのまま戸を開けた。


 「私は、お前を信じているからな」


 しゅたっ、若干強めの音を立てて閉められる戸。小走りで去っていく足音に、私はちょっとした笑いを零した。


 私の部屋には静寂だけが残っていた。

 その中で、手の中にある一振りの刀は私に問う。──お前は今、なにをするべきなんだ?


 「……カゲル」

 「なんだ」

 

 初めからそこにいたかのように、音も立てずそこに在る一柱の神。

 覚悟は決めた。腹も括った。あとはこの一本槍を貫き通すだけだ。

 

 「久怨の居場所を教えて」

 「これは俺とアイツの問題だってこと、忘れてねぇか?」


 ──半端な覚悟で踏み入るならやめとけ、戻れなくなるぞ。

 祟神のくせに優しい奴だ。ほんと、なんで祟神なんかになったのやら。


 「あんな喧嘩売られたのよ? 家族を、妹を傷つけられて黙ってられる姉なんてこの世にはいないのよ」


 それに。


 「アンタの問題って、私の問題でもあるよね。ね? 相棒」

 「……はぁ」


 呆れた顔をしてから、カゲルは口端を緩めた。


 「ホント、なんでこんなお転婆ばっかと契約しちまうんだろうな……」

 「失礼ね、お互い様よ」


 ははは。お互いに笑いを交わし合った後で、私は布団から起き上がり、立ち上がった。


 「……うわ、巫女服のまんま寝てたのか?」

 「い、いいでしょ別に。さぁ行くわよ!」


 夜中だからと声を抑えることはしない。私は縁側から庭に飛び出し──。


 「ヒナタ姉さま」


 声が、後ろから。

 振り返るとそこには、まだ眠っているフウカの姿があった。


 「……いかないで、ください。どこにも、どこにも」

 「……」


 起きてはいない、寝てる。……にも関わらずなんて絶妙な間で、なんて寝言を吐きやがる。本当は起きているんじゃないか? と疑ってはみるが、少しきらめく彼女の目元は瞑られたままだった。


 「……ごめんね」


 逃げるように庭へと飛び出し、そのまま門を潜って……家の前でふと、振り返る。


 「行ってきます」


 そして、必ず帰ってくる。

 我が家に一時の別れを告げた私は、刀二本を握りしめながら……カゲルと共に月明かりの照らす道を進んだ。

 



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