1日目と7日目(1)
小さな物音に眼が覚めた。
まだ太陽はのぼっていないようで、カーテンの閉まった部屋にはぼんやりとしたほの暗い闇がたまっている。鳴っていない目覚まし時計を探すまでもなく、起床の時間にはまだまだ早いだろう。寝なおそう、と布団を頭まですっぽりとかぶろうとしたところで、また物音が聞こえた。
小さく遠慮がちな、でもさっきよりも大きく響いたその音は、部屋の外からのものではない。
内側だ。だとすればベットに横になっている俺以外にこの部屋にいるのはひとりしかいなくて、寝返りをうってそちらを見る。
眼があった。
暗がりでもはっきりとその色が分かる、宝石の翡翠に似た色の両目が俺をとらえ、ゆっくりと細められると少し申し訳なさそうに苦笑いした。きっとさっきの音で俺が起きてしまったのではないかと気になって目をやってみれば案の定その通りで、しかもばっちりと眼まであってしまったからだろう。
「……、悪い。起こしたか?」と、まだ夜の気配を持つ空気を壊さないように低く押さえた声で訊ねてくる。
あぁ、と声を出そうとして、でもまだ眠気の残っている意識が面倒くさがって首だけを縦に動かす。
そうしてからしげしげと彼、――ジェイクを眺めた。
入学した時から同室である彼のいまの格好は、見慣れたノウレッジ学園の制服ではなかった。
同じ学園の制服を着ていればどうにか同年代の大人びているだけの青年に見えるのに、いま目の前に佇んでいるのは同級生ではなく、足元に革張りの旅行鞄を置き灰色のコートを羽織った年若い青年だ。寄宿舎の一室に佇んでいるには不似合いで、きっと夕間暮れに染まった汽車の窓辺が似合う。開けられた窓辺に物憂いげに頬杖をついて、目を細めて沈みゆく夕陽を見つめていればきっと、とても絵になる。
ぼうっとジェイクの姿を見つめていた。いつもならまだ眠っている時間に目を醒ましたせいでもあり、様になっているジェイクの私服に見惚れてしまったからでもある。なかなか働いてくれない頭がしばらくしてようやく、あ、そういえば。と、思い出した。
――そういえば、今日だったか。
今日は、ジェイクが実家に帰る日だ。
ノウレッジ学園は全寮制で、いわゆる「伝統ある金持ち学園」である。
貴族の次男や三男が無用な後継者争いをしないために放り込まれるのが常で、その分親達は我が子が不自由しないようにと多額の寄付を学園にしている。比較的自由度は高く、申請書類さえだせば簡単に外出許可がでるし、実家でなにかあったと電話があれば授業もそっちのけで実家に帰るものもざらだ。
この学園にはおそらく、真に勉学に励んでいるものなどいないだろう。それは俺やジェイクも含めての話だ。
「……、今日だった?」ぼそり、と質問する。
ジェイクからは少し前に、実家の用事で一週間ほど学園を留守にすると聞いていた。
「あぁ。後のことはよろしく頼む」コートのボタンを留めながら、ジェイクが言う。
入学した時から同室なのだから当然ジェイクは俺と同い年で、つまりはノウレッジ学園の五年生だ。普通は卒業や今後の進路で忙しい七年生をのぞいた最年長である六年生が生徒を監督するのだけれど、どういうわけかジェイクがその任をまかされている。そのジェイクが帰省するのだから、いない間のジェイクの仕事は誰がするのかと色々と議論があった。結局、俺と寮母さん――といいつつ、男なのでここは寮父さんと呼ぶべきなのかもしれない――、がやる事になったのだ。
眉をひそめる。――別に、俺が代わりにしなければならない仕事のことが、不安だったからではない。
ジェイクが実家に帰るのは、俺が覚えている限りでも、これをあわせてさえ片手で数えるほどしかなかったからだ。
夏休みも冬休みも、ジェイクは大抵ここにいる。家名を聞けばほとんどがどこに領地を持つ、あるいは中央でどんな役職を世襲している貴族の子息か分かるこの学園内で、ジェイクの家名はごくありふれた一般的なものだった。だから下世話な話、私生児、というものなのだろう。後継者争いに参加させないために長男以外の子どもを放り込むノウレッジ学園にはその手の子どもも数多く入学してくる。――そんなジェイクが珍しく帰省するというのだから、不安になるのは当然だ。
実家に帰ったはいいがその途中で「不慮の事故」にあって他界、というのもノウレッジ学園ではままある事だから。
コートのボタンをかけ終えたジェイクの手がすいっと静かに伸びてくると、くしゃり、と俺の頭をなでる。
「心配するな。土産、買ってきてやるからな?」
ぐずる年の離れた弟をあやす兄のような優しい口振りだった。だからそんな顔をしないで笑って見送っておくれ。とでも言われている気分だ。
子ども扱いするな。と返そうとも思ったけれど、土産を俺に渡すなら絶対に帰ってこなくちゃいけないからな、と思い直して、頷く。乞われるまま、口もとをゆるませて笑ってもみた。
そうして、ジェイクのいない七日間がはじまる。
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