第6話 実らなかった恋と新しい未来
「えっと……セレンさん……」
「セレンでいいです」
「そ、そうね。セレン、改めて続けてもらえる?」
「かしこまりました」
表情を緩めた美少年ことセレンはわたしの言葉にゆっくりと頷き、また口を開く。
彼の言葉を一言一句逃さないよう心がけ、わたしは続けてメモを取った。
彼に準備してもらった上等な紙は今やわたしの文字でぎっしりと埋め尽くされていた。
何度考えてもやっぱりわからないため素直に記憶にないのだと詫びると、彼は今までのことを丁寧に説明をしてくれた。
若干信じがたいのは、彼が十二という年齢にしてこの落ち着きようだということだ。
一体どんな暮らしをしたらこうもよく出来た人間になれるのか。わたしには想像も出来ない。
いまだ不自然ではあるけど、できるだけ親しげに話すようになったのは、もっと自然に接してほしいという彼の希望からである。
彼の話では、わたしは彼の母親で氷王と呼ばれる男の妃なのだという。
かつては名だたる術師だったそうだけど、体が弱く、嫁いでからはほとんど室内にいることが多かったそうだ。
「母上とはあまりお話をしたことがないので、こうして改めてお話をする機会が嬉しいです」
無邪気な笑みに、さきほど感じた彼への評価を訂正し、改めて詫びたくなった。
彼は十二歳にしてとてもしっかりしているのは暮らしのせいではない。母親とも話す機会がなかったこの環境が、彼をもっとも早く大人にさせてしまったのだ。
そう思ったら、まったく実感はないはずなのにいたたまれない気持ちになった。
喪服を着て、偽装とはいえ母親の葬儀に出席しただろうのに顔色ひとつ変えない彼に胸が痛んだ。そしてなにより、
「わたし、体が弱かったのね……信じられない……」
風邪ひとつひくことのなかったわたしが、予想外の未来である。
魔物と戦ったため、なにか流行り病でもかかってしまったのかと思いきや、そうではないらしい。
「母上は、心を壊してしまったので、人とお会いすることを拒んだのだと聞いています」
「え? そうなの?」
わたしが、心を?
「まわりの人間が話しているのを聞いたことがあります。父との婚姻をよく思っていなかったのだとか。父が幽閉していたという噂もありますが、本当に母は弱っていて、とてもじゃないですが、人と話せる状況ではありませんでした」
「な、なんてこと……」
『父』と聞いて、ぐるぐるとペンで囲んだ『オースティン・ソティリア』の名前をもう一度眺め、顔を上げる。
衝撃を通り越してめまいがした。
「け、結婚が嫌で、心を閉ざしちゃったというの? わ、わたしが……」
「そのようです。大変でしたね、母上……」
「た、大変だったのはあなたでしょう!」
「えっ……」
驚いたように翡翠色の瞳を丸くする彼に思わず乗り出してしまう。
「ご、ごめんなさい! 未だにちゃんと覚えているともいえないくせに偉そうなことはいえないんだけど、子どものあなたにそんなことを聞かせてしまったわたしは、母親失格だし、心から恥じるべきだわ。本当に、ごめんなさい」
わたしが謝るのもおかしいのかもしれないけど、それでも何も言わないわけにはいかず、頭を下げる。
母さんだったら、きっとそう言ったはずだ。
「ごめんなさい、セレン……」
十二年間、彼がどんな思いで生きてきたのかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。
「今の母上は僕とあまり年齢が変わらないんです。覚えていないことは、気にしないでください」
「わたしはあなたくらいのころ、何も考えないで自由に生きていたのよ……」
孤児となってしまったため、術師として本気で生きていかねばならなかったにも関わらず、なんだかんだでいろんな決まりから護られていたわたしはどこまでも甘ったれた子どもで、恩義さえ返す前に愛だの恋だのと今思うと恥ずかしいくらいにはしゃいでいた。
そんのわたしを見捨てないで大切にしてくれた師団のみんなは今でも元気にしているのだろうか。ぼんやり思う。
「母上は悪くありません。それに、これからはこうして少しでもお話してくだされば嬉しいです」
「も、もちろんよ。わたしも、まだまだご迷惑をおかけするけど、できるだけ早く思い出したいと思っているから」
母という実感もなくて戸惑いすらあるのだけど、導かれた運命には従わなければならない。国が決めたというのなら、なおさらだ。
未来のわたしもわかっていたはずだ。
「ありがとうございます! 母上!」
彼は笑う。
こうして見るとやはり年相応の男の子に見える。
なんて……なんて出来た子なのだろうか。
こんな息子を見て見ぬふりしてしまうほど心が壊れてしまったらしい未来のわたしは、相当この婚儀に相当前向きでなかったことはわかる。
さすがに自分のいつかの未来で王族に嫁いでいるなんて、想像さえもできないため、戸惑うのはよく分かる。
(それに……)
思いかけて、頭を振る。
今だってどれだけ聞いても自分のことのように思えないからこそ、冷静でいられるのだ。
「セレン、お昼に城内の案内をしてもらえないかしら?」
「え、ええ。もちろん構いませんけど、母上、体調は……」
すっと息を吸い込み、視線を向けると、眉尻を下げ、戸惑った表情を見せたセレンに心を決めた。
「一度、休みます。また、あとであなたの昼食が終わったころにでも来てもらえるかしら」
「わかりました」
にこっとはにかんで大きく頷き、室内から出ていく彼の後ろ姿を眺め、きゅっと結んだ口元を緩める。
こらえていた息が漏れたと同時に、鼻の頭がつんとした。
ぎゅっと目を閉じ、もう一度横になる。
(大丈夫……大丈夫だから……)
少し眠ろう。
そうしたら、きっと落ち着くはずだから。
いつの間にか鼓動が早くなっていく。
閉じた瞳から涙が溢れてくるのを気づかないふりをして、わたしは枕に顔を埋める。
(実らなかったんだなぁ……)
未来のわたしが心を閉ざした気持ちはよくわかる。
たとえ、国からの要請だったとわかってはいても、それでも心は受け止めきれなかったのだろう。
わたしの初恋は、実らなかったのだ。
あの優しい子には見せてはいけないと心の中で繰り返しながら、声を殺して泣いた。
実ることはないとわかっていたのに、やっぱり心の何処かで期待をしていた自分がいたのだろう。
もう一度目覚めたときに、精いっぱい笑える自分であるよう願いを込めて、わたしは再び眠りについた。
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