第十九話『嘘を食らう嘘』
王都での『魔法汚染』事件の多発を受け、王立アエテルガルド魔導学院は、厳戒態勢へと移行した。
正門には屈強な騎士団員が常駐し、夜間の外出は原則禁止。生徒たちの間には、見えない敵への恐怖と、いつ終わるとも知れない閉塞感が漂っていた。
俺の生活も、より困難なものになった。
これまで以上に人目を忍び、ルナのための食料を確保し、彼女を部屋に匿い続ける。それは、常に薄氷の上を歩くような、綱渡りの毎日だった。
そんなある日のこと。
「――二人とも、来て!」
リリアーナの切羽詰まった呼び出しを受け、俺たちが中庭に集まると、そこに、興奮で顔を紅潮させたセレスが駆け込んできた。
彼女は、その手に、水晶と方位磁針を組み合わせたような、小さな機械を握りしめていた。
「できた……できたよ、二人とも!『汚染コード』簡易検知センサー、『ノイズ・チェイサー』が!」
その言葉に、リリアーナの表情が引き締まる。
「本当なの、セレス君!」
「うん!アッシュ君のくれたヒントのおかげだよ!正常な魔力パターンに偽装された、ごく僅かなノイズを検知するんだ。この水晶が、シロなら白、クロなら黒く濁るようになってる!」
ついに、完成したのか。
犯人を暴き出す、希望の光。
そして、俺の秘密を暴きかねない、絶望の刃が。
「早速、試してみましょう」
リリアーナの言葉に、セレスが頷く。
「まず、私からね。……うん、当然だけど、真っ白だ」
セレスがセンサーを自分に向けると、水晶は清らかな白色を保ったままだった。
「次に、私を」
リリアーナが前に出る。センサーを向けられると、結果は同じく、白。
そして。
運命の時が、来た。
二人の、期待と、疑念と、好奇心が入り混じった視線が、俺へと突き刺さる。
「……最後に、アッシュ君、君の番だよ」
セレスが、どこか楽しむような、試すような笑みを浮かべて、センサーを俺へと向けた。
終わった、と俺は思った。
俺の身体から発せられる魔力は、システム・インターセプトの影響で、常に微弱な異常性を帯びている。それは『汚染コード』とは違う。だが、正常なパターンの中に存在する『ノイズ』という意味では、同じだ。
このセンサーは、間違いなく、俺に反応する。
【脅威分析:『ノイズ・チェイサー』による正体露見の可能性:98%】
視界の端で、無慈悲な確率が弾き出される。
逃げ場はない。拒否すれば、それは自ら「自分はクロだ」と認めるようなものだ。
腹を、括るしかない。
やるんだ。この、絶望的な状況下で、嘘に嘘を塗り重ねて、真実を喰らってやる。
俺は、表面上はきょとんとした顔で、セレスに向き合った。
だが、その内側では、全神経を、いや、魂そのものを、たった一つの命令に注ぎ込んでいた。
【法則改変システム・インターセプト実行】
【対象:セレス製魔力センサー『ノイズ・チェイサー』。命令:術者アッシュ・ヴァーミリオンから発せられる全ての魔力パターンを『正常範囲ホワイト』として強制的に誤認フォールス・フラグさせよ】
俺の心臓が、大きく脈打つ。
頼む、間に合ってくれ……!
セレスが、センサーの起動スイッチを入れる。
センサーの先端にある水晶が、淡い光を放ち始める。
俺の魔力を、スキャンしていく。
リリアーナが、息を飲む。
セレスが、ゴクリと喉を鳴らす。
そして――。
水晶は、一点の曇りもない、清らかな『白色』に輝いた。
「…………あれ?」
セレスの、間の抜けた声が響いた。
「おかしいな……。何の反応もない……。真っ白だ……」
彼女は、信じられないといった顔で、何度もセンサーを俺に向けたり、自分に向けたりを繰り返している。
「絶対、アッシュ君なら何か面白い反応が出ると思ったのにな……。うーん、故障かなぁ?」
俺は、内心で滝のような汗を流しながら、必死に安堵の息を押し殺した。
そして、肩をすくめて、芝居がかった台詞を口にする。
「ほらな、言っただろ。俺は、ただの運がいいだけの、しがない劣等生だって」
俺の言葉に、セレスは「むー」と頬を膨らませ、リリアーナは、ますます訳が分からないといった顔で、俺とセンサーを交互に見ている。
なんとか、凌いだ。
人生最大級の危機を、俺は、嘘で塗りつぶすことに成功したのだ。
リリアーナは、深く息をつくと、気持ちを切り替えるように、懐からあの容疑者の名簿を取り出した。
その顔は、もはや感傷や疑念ではなく、獲物を狩る狩人のそれへと変わっていた。
「センサーの性能は、証明されたわ。そして、アッシュ君の潔白もね」
彼女は、俺たち二人を見据え、そして、静かに、しかし力強く宣言した。
「――さあ、狩りの時間よ」
その言葉を合図に、俺たちの物語は、新たなステージへと、静かに幕を開けた。
見えない敵を探す、危険なゲームの、始まりだった。
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