第十七話『偽りの劣等生、偽りの天才』

あの日、俺の部屋の前で、三人だけの奇妙な同盟が結ばれてから、数日が経過した。

世界は、表向きには何も変わらない。生徒たちは依然として見えない犯人の影に怯えながらも、退屈な講義と厳しい訓練の日々を送っていた。


俺の日常も、一見すると変わらない。

授業中は居眠りをし、劣等生として嘲笑を浴びる。

だが、一歩、自室のドアをくぐれば、そこには俺だけの秘密があった。


「アッシュさん、この本の、この紋章はどういう意味ですか?」

「ああ、それは『小規模治癒(マイナー・ヒール)』の基礎円だ。魔力を流すと、小さな傷なら塞ぐことができる」

「まあ……!魔法というのは、すごいですね」


俺は、ルナに魔法の基礎を教えていた。

いつまでも、ただ部屋に閉じ込めておくだけでは、彼女の精神がもたないだろうと思ったからだ。それに、彼女の力の正体を探る上でも、何らかの手がかりになるかもしれない。

ルナは、驚異的な速さで知識を吸収していった。その才能は、リリアーナやセレスにも匹敵する、あるいは凌駕するかもしれない、底知れないものだった。


そんなある日の放課後。

再び、リリアーナからの招集がかかった。場所は、前回と同じく、人気のない中庭だ。


「――それで、これが私の調査結果よ」


リリアーナは、一枚の羊皮紙を広げた。そこには、5名の生徒の名前が記されている。


「名簿に載っていた者たちの中から、素行に問題があったり、禁術に手を出したという黒い噂のある者を、兄を通して調べてもらったわ。この五名が、特に怪しい」


だが、リリアーナの表情は晴れない。

「とはいえ、どれも決定的な証拠には欠けるわ。あくまで、噂の域を出ない」


「私のほうも、ちょっと行き詰まっちゃって……」


セレスが、悔しそうに唇を噛む。彼女の目の下には、濃い隈ができていた。ここ数日、ほとんど寝ずに研究を続けていたのだろう。


「例の『汚染コード』を検知するセンサーなんだけど、どうしても駄目なの。あのコード、魔力の周波数が常に不安定で、まるでカメレオンみたいに自分の性質を変化させるんだ。だから、フィルターで捉えようとしても、するりとかわされちゃう」


二人の天才が、壁にぶつかっていた。

捜査は、早くも暗礁に乗り上げようとしている。


まずい状況だ。だが、俺にとっては、ほんの少しだけ、安堵できる状況でもあった。このまま捜査が進まなければ、俺の秘密も、当分は安全だ。


そう、思った俺が、馬鹿だった。


「ねえ、アッシュ君はどう思う?」


不意に、セレスが俺に話を振ってきた。


「え、俺?」

「うん。アッシュ君って、時々、すごく的を射たことを言うから。何か、ヒントになるようなこと、ないかなって」


やめろ。俺に振るな。

俺は内心で悲鳴を上げた。だが、ここで「何も思いつかない」と答えるのも不自然だ。


俺は、頭を必死に回転させ、できるだけ無害で、できるだけ馬鹿げた、それでいて、ほんの少しだけ真実に触れるヒントを口にした。


「ふーん……。隠れてるのか。じゃあ、それ自体を探すんじゃなくて……何か『別のもの』のフリをしてるところを、探せばいいんじゃないか?」


我ながら、何を言っているんだ、と思う。素人の戯言だ。

リリアーナも、呆れたようにため息をついた。


だが。

セレスだけは、違った。


彼女は、俺の言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたかのように、その場に固まった。

そして、その瞳が、信じられないほどの輝きを放ち始めた。


「……別のものの、フリ……?擬態……?そうか……!」


セレスが、叫ぶ。


「そうだよ!単一の周波数(ターゲット)を探そうとするから駄目なんだ!犯人は、自分の魔力を、ごくありふれた『環境マナ』や『基礎魔法』のパターンに偽装(カモフラージュ)させてるんだ!だから、探すべきは異常な反応じゃない!正常なはずの反応の中に混じっている、ほんの僅かな『ノイズ』や、理論値との『ズレ』……!その逆転の発想……!」


彼女は、一気にそこまで言い切ると、尊敬と、畏怖と、そしてほんの少しの恐怖が混じったような目で、俺をじっと見つめた。


「……アッシュ君。君って、やっぱり……天才だよ」


「え……」

「いや、天才なんてものじゃない……。まるで、世界の法則を、上からぜんぶ見下ろしてるみたいだ」


まずい。

まずいまずいまずい。

ヒントを与えすぎた。核心を、突きすぎた。


セレスは、俺の返事も待たず、「ごめん、私、研究室に戻る!これなら、センサーを完成させられる!」と叫び、嵐のように走り去っていった。


残されたのは、俺と、そして、氷のような瞳で俺を分析するように見つめる、リリアーナ。


「……あなた、本当に、何者なの?」


その問いに、俺は、もはや作り笑いを返すことすら、できなかった。

センサーが、完成する。

それは、犯人を追い詰める、最強の武器になるだろう。


そして、そのセンサーの最初の被験者が、この俺になるであろうことも、ほぼ、間違いなかった。

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