第3話 しずかのケース

 しずかは小学校教員である。年齢は40才になった。今まで出会いがなかったわけではないが、仕事の忙しさとタイミングが合わなくて、伴侶とする相手に恵まれなかった。

 そこで、しずかは一大決心をして、昨年卵子凍結を行った。卵子バンクに預けたのである。これで将来人工授精で子どもを得る可能性を残したわけである。

 今年、しずかはいつもいくラーメン屋さんで、同年代の男性に巡り合った。というか、何度か店でいっしょになっている。食べるのはいつも「塩バシルラーメン」で、その男性もいつも同じだった。店主とは、話が合うようで気軽に声をかけあっている。クルマでは来ていないので、近所に住んでいるようだった。ちょっと気になる男性ではあった。

 ある雨の日、その店で「塩バジルラーメン」を食べていると、その男性が店に駆け込んできた。

「まいった。急に雨に降られて濡れてしまいました」

 と、ハンカチで頭をぬぐっている。その仕草がなんとも言えずかわいく見えた。そして、お店の奥さんからタオルを借りて体をふいている。その後、いつものように「塩バジルラーメン」を食していた。

 しずかが食べ終わって、駐車場に行くと、彼もでてきて小雨の中、どうしようかと思い悩んでいるようだった。そこで、しずかはクルマから自分のビニール傘をさしだして、

「よかったら、これを使ってください。私はクルマですから」

 と言うと、彼はペコンと頭を下げて

「ありがとうございます。返す時は、この店にあずければいいですか? よくいっしょになりますよね。それも同じ塩バジルラーメン愛好家ですよね」

「あら、よくご存じですね」

「男性は一人でくる女性は気になるもんですよ」

 と言う。もしかしたら、口の上手い男かと思い、その時はそれ以上進展しなかった。


 1週間後、その店に行くと、店の奥さんがしずかの傘と小さな箱をもってきた。

「傘を貸してくれたお礼ですって」

 と、その箱を見ると4個入りのブランドチョコだった。一個300円ぐらいする。そこで奥さんに聞いてみた。

「あの人って、どんな人なんですか?」

「高田さんのこと。近所に住んでいる人で、デザインの仕事をしているって言ってたわね」

「奥さんはいるの?」

「それが・・亡くなったみたいな話をしていた。それで、こっちへ来てリモートで仕事をしているとは言ったのを聞いたことあるよ。それ以上はよくわからない。しずかさん、気になるの?」

「そういうわけではないけど、同じ塩バジルラーメン愛好家だからね」

「結構いるんですよ。塩バジルラーメンしか食べない人」

 と、奥さんは笑っていた。


 その1週間後、しずかが塩バジルラーメンを食べていると、そこに高田がやってきた。

「駐車場にあなたのクルマがあったので、いらっしゃると思いました。あらためて先日はありがとうございました」

「いえ、こちらこそお礼までいただきありがとうございます」

 と、あいさつをかわし、

「相席いいですか?」

 と聞くので、

「どうぞ」

 と答えると、しずかの前の席に座った。そして、いつもの「塩バジルラーメン」を注文している。それを聞いた奥さんは微笑んでいた。

「ぼく、高田といいます」

 と自己紹介してきたので、しずかも

「紺野といいます」

 と、返した。

「ぼくはリモートでデザインの仕事をしています。以前は東京の会社にいたのですが、今は委託でやっています。いわば自由業です」

「こちらの出身なんですか?」

「隣のY県ですが、雪が苦手で雪が少ない太平洋側で生活したいと思って去年やってきました。魚も好きですし」

「私は小学校の教員をしています」

「そんな感じしてました。きちっとなさっているから」

 と、高田のラーメンが出てくるまでは、まるでお見合い状態だった。そこに塩バジルラーメンがでてきて、会話はストップした。ふたりで、なんか不思議な感覚で食べることとなった。

 食べ終わって、お互いに会計が済み、玄関先で別れようとすると、高田が

「紺野さん、また会ってくれますか?」

 と言ってきた。しずかはちょっと迷ったが、悪い人ではなさそうなので、

「いいですよ。毎週土曜日のお昼にはここに来ていますから。12時ちょっと前にはいると思います」

「そうですか。それではまた会いましょう」

 ということで、1週間に一度のラーメン屋デートが始まった。ラーメンがでてくるまでの3分ほどの時間が二人の会話の時間であった。話す内容はいたって世間話で、どこそこのお寿司がおいしいとか、どこそこのスーパーが買いやすいということだった。

 3度ほど、ラーメン屋デートが続いたところで、高田がしずかにディナーの誘いをしてきた。

「実は、来週の日曜日で40才になるんです。一人で祝うのもなんなので、夕食を付き合ってくれませんか?」

 高田は、しずかよりひとつ年下だった。でも、いつか、こういう申し出がくると思っていたので、しずかは

「それはぜひ。何かプレゼントを用意していきますわ」

 と、返事をした。


 その日、近くのレストランで二人は会った。一応フレンチレストランである。誘った高田がフルコースをオーダーしていた。メインはタラのムニエルである。前菜のオムレツとフォアグラがおいしかった。スープはムール貝のガーリックスープ。これもインパクトのある味だった。口直しのシャーベットで終わりかと思い、そこでプレゼントを渡そうとしたら、メイン料理がでてきて、あわてて引っ込めた。そうしたら、高田は微笑んでいた。

「しずかさんは意外とお茶目なところがあるんですね」

 と言う。しずかは頬を紅潮させてしまった。

 メイン料理を食べ終わると、ろうそくが立てられたケーキがでてきた。店内が暗くなり、ろうそくに火がつけられる。そして、ハッピーバースディのメロディが流れる。小さな店だが、他の客も祝ってくれた。40才の祝いということでは少々照れ臭い演出である。

 その後はコーヒータイムである。彼はアルコールは飲まない。たばこも吸わない。ギャンブルもしない。気分転換は旅行とTVゲームだそうだ。「信長の野望」をやっているという。旅行もお城めぐりとかしているらしい。

 話がとぎれたところで、しずかは思い切って聞いてみた。

「高田さん、前に結婚されていたんですか?」

 高田は、しばらく無言であった。でも、覚悟を決めて話し始めた。

「してました。10年前のことです。社内結婚です。5年前に妻が妊娠しました。ですが、妊娠中毒症から合併症を発症し、子どもといっしょに亡くなりました。墓地は東京の共同墓苑にあります。今も命日には行っています。それ以来、会社にもいづらくなって、リモートの仕事をやっている次第です」

「そうですか。つらいことを聞いてしまいました。申しわけありません」

「いえ、いつかは話さなければならないことと思ってました」

「実は、来月私の誕生日なんです。お祝いしていただけます?」

 と、しずかが言うと、高田は暗い表情から明るい表情に変わり、

「もちろんです。場所は?」

「お任せしますわ。でも、ここがいいですね。料理がおいしいし、値段も手ごろだし」

 ということで、今年のしずかの誕生祝いは実家に帰ることはなくなった。実家に帰っても

「結婚はまだか?」

 と、うるさいだけだからこちらの方が気楽だ。


 しずかの誕生祝いの日となった。前菜はムール貝のグラタン。なかなかの一品だった。スープはオマールスープ。これまたフレンチでも珍しいスープだ。店のスタッフに聞くと、シェフはフランスとベルギーのレストランで修業したとのこと。ムール貝の料理はベルギーで覚えたと言っていた。メインは鹿肉のステーキだった。クセのない味でジビエ特有の臭みは感じなかった。デザートのケーキにはろうそくが1本だけ。しずかの年齢は知らせていない。まさか41本立てさせるわけにはいかない。先月の高田の時は4本立っていた。

「しずかさんの年齢が分からないので1本だけにしました」

と、高田が言うので、しずかはプッと笑って

「1本で正解ですよ。+40ですけどね」

 と、言うと高田は目をぱちくりさせて、

「エッ! ぼくより年上なんですか? てっきり35ぐらいと思ってました」

 と真剣な顔で言う。真顔で言われるとまんざらでもない。

 高田のプレゼントはブローチであった。卒業式とかで使えるすばらしいものであった。しずかが贈ったネクタイピンとは大違いである。

 そこから二人の交際はトントン拍子だった。

 クリスマスに高田がしずかにプロポーズし、1月には結納をし、3月に結婚式をした。ただ、どちらも高齢なので、親族の前での披露宴はせずにハワイで二人だけの式をすることにした。立会人も依頼することができ、写真撮影を数多く行った。しずかはまるでモデルになったような感じだった。その喜ぶ顔をみて、高田も満足していたが、時おり亡くなった前妻のことを思い出す表情はしていた。

 3ケ月後、ハネムーンベイビーができたことを知った。しずかは学級担任をはずれ、教科担当になっていたので、責任は軽くなっていた。だが、高齢出産である。高田は前妻のことがあるので気が気でならなかった。

 何度か切迫流産の危機があったが、それを乗り越え、12月に帝王切開で女子を産んだ。「のぞみ」と名付けられた。

 のぞみが新生児室から病室にもどってきて、しずかといっしょにいる時、高田が病室を訪れた。そこでしずかが意外なことを発した。

「私、子どもが二人ほしいの。できれば次は男の子」

 それを聞いた高田はびっくりした。

「そんな今でさえ42才なのに、これ以上の高齢出産はあぶないだろ」

「でも、産んでいる人はいるわ。それに卵子バンクに私の卵子があるの。あの子に命をあげたい」

 高田は初めて卵子凍結のことを知った。あっ気にとられるものの、しずかの思いをくみ取ることができた。半年後、人工授精に協力することになったわけである。そして、その10ケ月後の3月に男子を産んだ。「はじめ」と名付けられた。2300gということで、保育器からでてくるまでにしばらくかかったが、これでしずかの家族計画が成就した。

「これで、出生率の向上に貢献することができたわ。ビッグママ法施行以来、肩身の狭い思いをしてきたけど、これで堂々と生きていけるわ」

 その言葉を聞いた高田は、女性の強さを感じるだけであった。


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