騎士包囲網、またの名をバグダッド挟撃作戦

 「1905年の日本海海戦に於いて。」


 豊かな白髭を蓄えた男が、唐突に口を開いた。

 その右手にはコーヒーの空き缶が握られ、苛立たしげに、或いは退屈そうに、開栓され用を失ったプルタブを弾いている。

 内部の空洞にその音が反響し、べよん、べよんと言うような気の抜けた音色が一定周期で刻まれる。


 その苛立ち、或いは退屈は、灰色極まる室内故だろうか。

 壁も、床も、天井も、彼が座る机椅子すらも、灰。おまけに船内の一室である故に窓がない。要は内側が空洞であるだけのただの灰色の直方体であり、そんな状況に長時間押し込められていれば、精神が荒むのも当然と言えた。

 そして、眼の前に並ぶ、彼の指揮下の兵士の制服もまた、統一された灰色。


 「日本海軍の指揮官、ヘイハチロー・トーゴーは当時最強と恐れられたバルティック艦隊に壊滅と言っていいほどの打撃を与え、軍神の名を恣にした。何故か……そこの、答えて見せろ」


 缶の底で目についた数多の兵士の内の一人の兵士を指す。

 兵士は一瞬、どう考えても味方に向けるものではないその剣呑な目付きに怯むものの、直ぐに気を取り直し、こう告げた。


 「ハ……ハッ!彼の勝利は所謂丁字殺法、縦列で侵攻する敵艦隊に対して垂直方向、即ち敵進路を妨害するように進軍し火砲の火力を……」


 「長い。」


 「す、即ちッ!陣形の正確且つ迅速な組み立てが日本海を征した一番の要因であると私は考えます!」


 「概ね正解だ。説明はクソ下手糞だったが今まで散々叩き込んだ海戦の基本は染みついてるようだな……」


 呟きながら席を立ち、手遊びしていた空き缶を足元に墜とすと――


 「さて。」


 ――容赦なく右足のブーツで踏み潰してから、蹴り飛ばした。

 潰された空き缶は歪な放物線を描きながら、ゴミ箱の中に音を立てて入る。


 「これまで体に叩き込んできた事は、今回の作戦行動に当たり、


 兵士達の間に動揺のざわめきが奔る。

 それを見て面倒臭げに顔を歪めてから、再び話し出す。


 「それではこれだけ情報を与えられてなお理解できない愚図共に説明だ、今回の作戦目標は、搭乗者エンゲージャーヴォルフガングが駆るNEXT機体、「ミニステリアーレ」の撃破だ。

 NEXT機体は機体にもよるが常にマッハ2だの3だので空中を自由自在に飛び回るバケモンだ。対してこちらの戦艦は最大戦速40ノット、奴の魔速に比べたら動いていることにすらならん、陣形を整える前に全部沈められて終わりだ」


 「では、どうすれば……!?」


 「それを今から説明するから黙っていろ、地図を出せ」


 苛立たし気な合図で、地形を示した青い影が映る。


 「作戦領域はチグリス、ユーフラテス両河川流域地帯。俺達は、部隊を二分し、それぞれチグリス、ユーフラテスに布陣する。この際、敵の探知に引っかからん様に微速前身を心掛けろ、対レーダー欺瞞チャフの散布もゆめ忘れるなよ。そもそも速度勝負のしようがないなら、という算段だな。そうして布陣が完了した時点で、陸上部隊の連中が作戦目標を廃都バグダッドに誘き出す。

 廃都バグダッドはチグリス、ユーフラテスに東西を挟まれた地形になっている。つまり、左右から渾身の火力でヴォルフガングを叩く」


 「し、しかし。奴がそんなすさまじい速度を持つならば、有効な火力が出る前に全滅するのでは……」


 「此処で、部隊をチグリス、ユーフラテスの二部隊に分けた事が生きてくる。この二河川は直線距離で40kmほどある。如何にNEXTの速度と言えど、片側の部隊を殲滅して、もう片方の部隊に襲いかかるまでに1分強の時間はあるはずだ……であれば、もう一手ぐらいなら手の打ちようもある。その手次第じゃどうにかなりもするだろう」


 「それって……」


 「襲いかかられた方の部隊は。諸君、玉砕せよ。以上だ」


 つらつらと話終えた後、彼は知らず上を向いていた。

 

 理はなく、利が全てを支配するこの世界に、命を張るだけの価値はあるのか。

 最悪と称された東国の末期戦ですら、サムライ達は己が信ずる何か大きな物のために自ら命を絶ったのだ。


 


 否、なんのことはない。

 理由も無く、上に死ねと言われれば死ぬ。それが今の世界の在り方だ。疑問を挟む余地など、どこにもない。


 男はとっくの昔に割り切っていた。国家という概念が地上から消えた瞬間から。或いはそれよりも前から。


 それが、血の海を己が縄張りとして生き永らえた男の、覚悟というには余りにも灰色の諦観だった。


   ◆


 廃都バグダッド。

 二つの河川に挟まれる形で存在し、その恩恵によって古代より栄華を誇り、現代に入ってなお周辺地域の政治の中心であり続けた中東随一の土地は、二十一世紀に超大国が引き起こした対テロ戦争に端を欲する争乱によって治安が悪化。連日確信犯たちによる自爆テロや銃乱射事件が巻き起こり、最終的には二十一世紀末に武装宗教団体が大量に持ち込んだ汚い爆弾ダーティー・ボムの一斉起爆によって周辺一帯が凶悪な汚染を受け、壊滅。未だに居住困難区域としての扱いを受けている。

 

 しかしながら、『居住困難区域』であるということは言い換えると企業の目が届きずらいという事でもあり、身寄りのない者達のたまり場、そして何より『暁たるネルガル』の拠点となっていた。身体に重大な影響を及ぼす汚染のリスクは、甘んじて受け入れるより他にない。


 そして、その砂塵の荒野にアルクグループの陸上機甲部隊が迫る。

 

 "M-IX イーゲル"。正面装甲厚RHA換算1500mm、主砲48口径電磁滑空砲レールガン、走行速度100km/h超過。

 両脚部の接地圧が逃げる砂漠という特殊環境に於いて、圧倒的な火力と防御力、そして安定した速度で以て戦場を駆け巡る主力戦車は旧時代の遺物などではなく、第三世代ACすらをも凌ぐ戦場の覇権であった。


 狙いは『暁たるネルガル』拠点及び居住区域への打撃。

 『暁たるネルガル』は、対九企業連合ハイロゥ・ナインズ同盟であると同時に、疾病・負傷になどによって企業から「価値無し」と見做され、居住権並び生存権を剥奪された者の最後の拠り所としての側面も持っていた。

 当然、使い捨ての兵士としてすら不適格の烙印を押された彼らに、これに抗う術はない。

 一応、『暁たるネルガル』の実働部隊が防衛線を形成、これに備えんとするも、ジャンク品同然彼らの戦車では抗う事叶わぬであろう。加えて、アルク・グループ側の方が数も上である。恐らくは戦闘にすらならない。五分後に待ち受けるのは蹂躙である。


 破砕と破壊、凌辱と虐殺の喜悦に震え、複合装甲の悪魔がキュラキュラと嗤う。

 轟くは砲声か断末魔か、或いは哄笑か。


 刹那。


 「――『ミニステリアーレ』、フルブースト。」


 土煙を上げ、人型が地平線の彼方より恐ろしき速さで現れる。その意匠は白と金。優美なれども質実さと清冽さ失わぬその姿。故にその名を「自由騎士ミニステリアーレ」。企業が全てを支配する地平に於いて未だ折れず抗い続ける月光の刃。


 砂漠に於いて主力戦車は旧時代の遺物などではなく、第三世代ACすらをも凌ぐ戦場の覇権であった。この言葉に嘘はない。


 ――NEXT機体を除いてだが。


 足元に展開された領域の効果によってNEXT機体に両脚部の設置圧の問題は発生し得ない。足元が流砂であろうが、水面上であろうが、舗装された地面と全くの同様にNEXT機体は駆動する。故に、ではNEXT機体を止める事は叶わない。


 「撃てェーッ!」


 騎士の戦場と化した砂漠に野太い号令が木霊し、遅れて戦列揃えた砲塔の一斉発射の轟音がそれすら打ち消した。

 連続着弾。一発たりとも過たず、砲弾の群れがミニステリアーレを撃ち抜いた。

 浮かぶ爆炎、濛々と漂う硝煙の香。風が吹き、それらを押し流していく。

 そのうらより現れるのは当然無傷の白金の騎士甲冑。虚空を支配するのは畏敬か或いは恐怖か。


 ミニステリアーレの腰元から、肉厚にして大柄の直剣が引き抜かれる。

 陽光を浴びて銀の輝きを返すその切っ先を敵に向けて、搭乗者エンゲージャー、ヴォルフガングは大音声を上げる。 


 「弱者踏み躙る事を厭わぬ悪辣なる侵入者に告げる!ここで退くのならばその背を斬ることはない!それを肯ぜぬというのならば――このヴォルフガングとミニステリアーレがお相手しよう!」


 答えは――


 「貧乏ゲリラが騎士の真似事、流行らねえんだよ」


 ――砲声。

 しかし、それが轟く瞬間、ミニステリアーレは既に着弾地点にいない。

 

 天。

 空中に舞ったミニステリアーレが直下の敵集団をカメラアイで睨み据えながら、右手の実体剣を引き絞る。

 両刃の実体剣の刀身が一瞬左右に分割し、内部機構が露になった様を目撃できた者はほぼいないだろう。次の瞬間には、銀色の刀身が翡翠色の陽炎を纏っている。


 対「仮想非収束型無限級数防護領域」用試製実体剣――「ブルートガング」

 落着の勢いを乗せて真っ直ぐに撃ち振るわれたそれが、M-IX イーゲルの天面装甲を刺し貫いた。

 上から下へと落ちる閃光は、正しく真昼の月光。


 膝立ちの体勢から、ミニステリアーレが立ち上がる。引き抜かれたブルートガングが正眼に構えられると同時、敵を見据えるカメラアイが輝いた。


 「畜生ォォォ!」


 雨霰、四方八方から浴びせかけられる主砲48口径電磁滑空砲レールガン、副砲30口径機銃の弾雨をアクロバットめいた動きで躱しながら叩き込まれる月光の剣が、振るわれる足先が、敵を打ち砕く、陣形諸共散り散りに斬り乱す。


 「バケモノが……ッ!」


 「当たらねえ!」


 「当たった所でだ、まず動きを止めろォ!」


 イーゲルの一団が、ミニステリアーレに向けて突撃する。速度ではNEXTに及ぶべくもないが、単純な馬力では土俵に立つことはできる。故に、剣も爪先も機能しずらい極クロスレンジに入り込み押し込むことで動きを止めるという判断自体は決して間違いではない。間違いではない。だが――


 機体側面を凹の字に歪曲させながら、イーゲルの一台が吹き飛ぶ。まるで、殴られたような……否、殴られたのだ。ミニステリアーレの左手には、先ほどまでなかったはずの、菱形の実体盾が装着されている。バックパックから腕へとサブアームで懸架位置を変えた真鍮色のそれが纏う光は、剣と同じく翡翠。


 

  

 一般的に盾という物は、敵の攻撃から身を守る、或いは敵の攻撃を弾く為にある物で、それで殴りつけるというのは扱いを知らぬ野蛮人の様に思われるように思われるかもしれないが、中世の剣術教本を紐解けば、剣に十分な速度与えられぬ極近距離用の一手、或いは相手の攻撃に対するカウンター用武装としての盾の運用方法が数多書き記されている。

 敵の剣を絡めて動きを封じ、へし折る為の櫛状の峰を持った短刀――俗にソード・ブレイカーと呼ばれる――と組み合わされたソード・ブレイカー・シールドなどの複合防盾コンポジット・シールドの実在が示すように、騎士にとって盾とは、防御兵装である以上に、剣と並び立つ程の、であったのだ。

 

 緑の月光を放ちながら振るわれる切っ先が、48口径電磁滑空砲レールガンの砲身を俎板に乗せられた根菜の類の様にあっけなく断ち切る。その勢いを乗せられた盾の大質量があっけなく敵を吹き飛ばし、砲弾の爆風を凌ぐ。


 NEXT機体の一番の有利である領域にすら頼らぬ、一切の無駄の無い機体操縦、技捌き――即ち、術理。


 ――ヴォルフガングは、砕く真鍮弾と焼く紫電が圧倒する戦場に於いてもなお、脈々と続く中世騎士としての戦闘術理を極め抜いている。


 「――セイッ!」


 聖冽な叫びと共に、正面装甲ごとコクピットを刺し貫かれたイーゲルが煙を吐きながら擱座する。最後の一機。ここに、砂漠最強の戦闘機甲群はたった一人の騎士の技量の前に蹂躙された――


 しかし、それすらも、囮。

 拠点と居住区域への打撃はあくまで表向きの目標に過ぎず、真の目標はミニステリアーレの作戦エリアの誘引。ミニステリアーレの猛威の前に傷一つ与えることできず殲滅されたイーゲル部隊であったが、その意味では作戦目標を完遂したとも言える。


 「ミサイル発射管、一番から八番まで『シュランゲ』装填、九番から十六番まで『ワルフネ』装填。ぬかるなよ、砲撃開始」


 チグリス川流域、白髭の男が艦橋ブリッジが指示を飛ばす。後続に続く船、加えて反対側、ユーフラテス川流域に展開した別働部隊もその指示に従い、山と積まれたミサイルハッチからうねり廻る火蛇の群れが空に舞い上がる。


 総数、十八門×十六隻、計二百八十四発。


 鈍色の曇天を火蛇の群れが塗り替える。

 空が燃える。


 「新手か!」


 NEXTの機動力を以てすればミサイルを振り切ることなど訳はない。何せ速度が違いすぎる。

 受けるまでもなし、ヴォルフガングはペダルを踏み、こちらに殺到するそれらを回避する。


 右から緩く弧を描きながら向かう第一群を左方向の神速で躱す、正面から突っ込む第二群とカーブしながら背後を狙う第一群を右斜め方向のブーストで捌き、真横から鋭く切り込む第三群と、斜め右と斜め左から襲いかかる第一群と、第二群を――


 「誘導が、切れん!」


 ペットネーム『シュランゲ』、その機能は高機動ハイアクト、速度で叶わずとも、二度三度の追撃で鳥籠を形成し、逃げ場を塞いでいく。

 当然、今やっている軌道を見切る最小限の回避動作ではなく、大振りの長距離航行で後退し仕切り直せば、誘導を無視することは可能である。可能ではあるが……

 

 ミニステリアーレが半ば転移めいた速度で上昇する。 

 それを見て、男は白鬚の角度を微かに上げた。


 「飛ぶしかないよなァ、『万夫不倒』ォ!」

 

 上空には『ワルフネ』。『シュランゲ』の機能が敵を執拗に追いかける蛇であるとするならば、こちらは蜘蛛。親ミサイルから分離した子ミサイル群は空中で一定時間滞空、センサーの感知範囲に入った瞬間、対象に対し全角度から猛撃を仕掛ける。


 それは炎糸を巣と成す蜘蛛。噴煙を放ちながら得物を取り喰らわんと節足の群れが迫る。

 如何に速度があろうと回避不能。まさに詰将棋の如き手練であった。

 

 しかし、領域はこれだけの打撃ですら――この程度の打撃では破れない。

 元より男もこの一連の手で領域を破ろうなどとは最初から考えていない。重要なのは――


 「続けろ、奴を爆風で上にカチあげてやれ」

 

 領域は確かに機体ダメージを無効化するが、何も敵弾が持つ運動エネルギーまで無効化するわけではない。要は、強い衝撃を受ければ領域ごと機体がのである。


 高高度から地表スレスレまでを自由に飛び回るNEXT機体を船舶で相手取る上で一番気を付けなければならないのは、船腹への攻撃である。船舶の性質上、船腹にはほとんど防衛火器を積む事はできない。懐に潜られれば一発でお陀仏である。


 故に、男は回避を潰した上での面爆撃で下に潜り込ませない一手を取った。

 男の指揮下にある船舶は全てのこの作戦の為の徹底改修が施されている。NEXT相手には何の役にも立ちはしない主砲、副砲、対空火器群を全て撤去し、外付けのミサイルポッドに置き換えていた。何も知らぬ人間が艦橋だけが上に突き出したこの珍妙な姿を見ても、誰も軍事用船舶とは思わぬだろう。


 だが、是こそが最適解。老海将の手連が九企業連合ハイロゥ・ナインズに幾度となく煮え湯を飲ませてきた大英雄を確実に削り殺しにかかっていた。


 「焦るか?お前は戦闘を長引かせたくないはずだ、そうでなければ――」


 一方的な砲撃が繰り返される。この遠間では月光の剣も意味を成さず、白金の騎士はただ宙に浮いているだけの木偶人形へと成り下がる。

 

 「砲火を絶やすな!一隻が装填中に他隻が砲撃、これを徹底しろ!相手を常に釘付けにし、削り続けろ!」

 

 自分の喉からでた思いの外大きな声に老海将は苦く笑う。

 こんなに指令に声を張ったのは何十年ぶりだろうか。この状況にも関わらず、どうも自分は不安がって……怖がっているらしい。万夫不倒と崇められ、蒼穹で眩く輝き続ける英雄に、海を這いまわることしかできない自らの灰色の手連が本当に通じているのかどうか。


 そして何より、船にはいつも。


 「――魔物女神が憑いている。」


 ポツリと口に出したその不安は、次の瞬間に現実となった。


 ユーフラテス川に布陣した船舶、まさに発射を目前に控えた一隻が、水中から上がった巨大な大瀑布に貫かれた。

 船底――燃料タンク、サブエンジンの類が軒並みやられている。これではダメージコントロールもクソもない。間違いなく致命傷。

 火柱を上げながら徐々に体勢を崩し始める船体。


 その巻き添えを食わぬよう、砲火を絶やさぬよう、自動的に指示を紡ぎ続ける口に反して、脳はある一つの疑問に向けて収束していく。


 ――何故。


 答えは単純である。

 爆撃と爆撃、その微かな間断を見切り、ミニステアーレは右手に握ったブルートガングを「分離パージ」した。ただそれだけである。

 パージされ、地上に落ちたブルートガングは、ユーフラテス川に落水した。


 対「仮想非収束型無限級数防護領域」用試製実体剣。その根幹技術にあるのは、「振動」である。その刀身は、秒間百万回以上という異常な速度で細かく震えている。

 

 激しく震える物体が液体に干渉すればどうなるか。模型作成の造詣が深い方ならわかるだろう。


 「


 たかが泡と侮るべからず。淀みに浮かぶうたかたが儚く消える際、周囲の水流の流れが極めて激しい衝撃圧力を発生させるのだ。


 事実として、船舶のスクリューにはこれによって生まれた微細な傷、塗装ハゲが無数についているし、2024年にアメリカ海軍U.S.NAVYが行った訓練ではこの現象を利用した「クイックシンク」と呼ばれる戦術によって全長約250mの元強襲揚陸艦タラワを沈めている。


 故にその名を「泡の爆縮バブル・パルス」。


 ブルートガングの過剰出力によって引き起こされたそれは威力もひとしお。戦艦程度、容易く沈める。


 この様に、順を追って経緯を辿れば単なる物理現象に過ぎないのだが、圧倒的有利の状況から突然齎された一撃は、船員に混乱を及ぼすには十分であった。


 正々堂々にして清廉、万夫不倒と崇め奉られる白金の聖騎士には、荒ぶる水の女神セイレーンすら味方するのか。


 船員達が一番に信ずる物は、勿論自らの訓練、上官の指示であるが、それよりもっと大きく、恐ろしく、逆らえぬ物。「水」という女神、そのものなのである。


 爆撃が止む。


 そこからは早かった。

 恐慌を起こす船内を後目に、爆縮に巻き込まれて空中に舞い上がったブルートガングを聖騎士がそのマニュピレーターで握りしめる。月光の光を受けてキラキラと輝きを返す飛沫は、寵愛の微笑みか口づけか。


 刹那、魔速。

 三秒の内に、ユーフラテス川に布陣した船舶が全て切り裂かれた。

 真横に断たれたそれらがズレ始めるより早く、ミニステリアーレはチグリス川に向けて飛翔を開始している。

 

 絶命までの一分。チグリス川に布陣する老海将は、上空に展開した『ワルフネ』の残存火力を手動起動で全てミニステアーレに叩き込まんとするも、速度が乗ったミニステアーレには追いつく事すら叶わない。


 斬撃の風切り音とは思えぬ大気の断末魔が哭いて、まず最初に最後列の一隻が真っ二つに圧し折れた。そのままS字に航行、その途上にあった船二隻がそれぞれ左と右の船腹を深く切り込まれる。飛行と斬撃。月光の軌跡がそのまま命断つ斬撃となる。


 そして、最期。

 艦橋の目の前にミニステリアーレが現れる。そのカメラアイと目が合った、気がした。


 ――潮時か。


 もはや作戦継続は不可能。元より命を張る価値などないのだ。


 今から救命行動に当たれば、少なくない数の船員は助かるだろう。言外にそう告げているのか、その剣は最早構えられていない。男は、フッと静かに笑いその口元を開こうとして。


 「降さ――」

 

 爆発の火炎が白金の装甲を眩く、炎の色に照らす。言葉は最後まで紡げなかった。

 ミニステリアーレとは別方向から飛んできた弾丸が、艦橋を容赦なく砕いたためだ。

 衝撃で右腕が引きちぎられて筋繊維が無様に垂れ下がり、腹や胸には装甲や計器の破片が容赦なく突き刺さる。遺体一つ残せず爆ぜた兵士の血と臓物の雨を浴び、灰色の服を穢す赤が自分の物か他人の物かの区別一つ付きはしない。


 「ハ――」


 末期の火炎の中で、輝きの中の騎士を見る。


 人間にとって一番大事であるはずの死すらも戦術として許容してしまえた灰色の人間と、万夫不倒の白金の輝ける聖騎士。


 「初めから、か」


 呻きとも、後悔とも、懺悔ともつかぬ声は、どこにも届かず消えた。


 そして。

 巨大な戦艦が幾つも切り裂かれ、炎と黒煙を上げる。ありえない、考えられない情景。近未来風に推敲された黙示録の光景。その中で二機のNEXTが対峙する。


 ランク24、『コントラクター』、アルク・グループ所属搭乗者エンゲージャー『アウルスタン』。


 「10分32秒。ま、通常兵器にしては役をした方だろ?あぁ、そう言えば――」

 

 実践に於いてNEXT同士の戦闘は、この地平上で未だ確認されていない。


 「初勝利、か。悪くない響きだ。始めようか」


 

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