カミサマになれる…?

『落ちるでないぞ』

「誰に言ってるんです」


悠々と空の高みを飛ぶ八雲の背で地上を覗き込む。正直何も見えないが逆に見えるものもあるものだなぁと思った。山の形、川の流れ、人の住む小さな平地。


「そう言えばこんな風に空を駆けたことはありませんね、アッシュの背に乗る時は夜ですし大体寝てる」

「そう言えばそうだな」

「にーさんの背?おんぶすると高くな、る?」


ん?と首を傾げるタキにシエルが笑う。


「アッシュは月を追う狼マーナガルムですよ。月の夜は何処まででも空を駆けます」

「あ、そっか。そんな事言ってたね。でも集落の奴らそんなに遠くまで行けたっけか」

「普通よりはかなり異端ですけどね」


普通は月の夜は少しばかり身体能力が上がり空を駆けるだけの力はある。だがアッシュはそれに加えて風の精霊レンブラントの力を上乗せして国を跨ぎ、千里さえ駆けることができた。


「そろそろですか」

「空飛ぶと八里くらいあっという間だなぁ、馬車だと何刻かかるんだろ」

「さて、乗ったことがないなそう言えば」

「乗る理由がなかったな」

『あの小屋だ』

「へぇ、小さなおうちですね」

『女がひとりで住んでおる』


集落から1軒だけ少し離れた場所に建つ物置のような小屋だった。実際そうなのかも知れない、カタリと扉があいてまだうら若い腹の大きな女が現れた。

そっと近くの木の陰に降り立ち女を窺い見ると ふぅ、はぁと息を切らしながら水を汲みに行くようだ。


「なぁあの子もうすぐ子供が生まれるんだろ、大丈夫なん」

「誰も取り上げる人は居ないのでしょうか」

「うむ、あの女は児を残して死ぬであろうな。一人で産み、児は遺される」

「へぇ、産まれたばかりの児がどう大成するんだろうな」

「興味深いですが…、生き残れるの」

「知らぬ、わしは一番の聖人を見つけるだけよ。あの腹の児であることは間違いない。わしの祈りで周りが生かすだろう」

「え、ちょっとちょっとちょっと!え、俺がおかしいの!あの子、なんとか助けられないの!」


3人が笑えない未来の会話を緩く話しているのにひとりついていけないタキが焦って叫ぶ。何処か不思議そうな顔で振り返られてむしろたじろいでしまった。


「それがはたして正しいのか、母を亡くして初めて大成する命かもしれない。助かる命であるなら最初から生命の神がそう造っているでしょう」

「じゃなんで八雲は死ぬって知ってるのさ」

「うむ、果てを知っているわけではない。女がこのままひとりで取揚婆の助けがなければ耐えられぬ身体であろうなと見ただけだ」

「じゃ産婆さん呼んできたら助かるん」

「助かるのかもしれぬ」

「じゃあ!」

「本来ここにいない僕達が、刻の流れを変えてしまうのかもしれませんよ」


「…ッ もう俺達ここにいるじゃん!あの子を見たじゃん!これもカミサマってのの定めだったりしねぇの!」


きょとりとシエルが、アッシュに抱かれたままタキを見下ろした。

そんな事を言っていたらきりが無いではないか。

自分達が、ここに来たのも運命、助けるのも運命、見捨てても運命、女が生きても、死んでも 運命、運命 運命…


「僕達は偶然ここに来ましたよ」

「……それだって必然かもしれない」

「タキは、あの娘を助けたいの」

「…うん」

「知らなければ定めのまま死にゆく命だったのに?」

「俺が助ける方が正しい定めかもしんないじゃん」


ぎゅ、と握り込んだ拳に力が籠もる。うっすらと悔しさからだろうか、両の眦に泪が薄く膜を作っていた。


「…………ふ、ふふッ くくくッ」

「な、なに…」

「あはははッ 君は可愛らしいなぁ」

「シエル、からかってやるな」

「だってアッシュ、あはははッ」


手近なアッシュの頭を抱え込んで麗しの少年が笑っている。嫌みとかは感じない、ただその笑い声に幼さもなかった。高くひとしきり笑った後にくすくすと笑みを和らげ こつ、とアッシュの頭を抱きしめたまま首を傾げてタキに視線を落とす。


「…神でもないのに、人が定めを決めるの」


ゾクリ と、その刺すような美しさに息がとまった。声に、視線に、仕草に、弧を描く口元に。


「ねぇ、君はこの一瞬 神になれる…?」


こく、と喉を唾液が落ちていく。何を試され、何を問われているのか。……、でも


「それでも、今生きている命を消さずに済むのなら助けたい…」

「ふふ、そう いいですよ」

「ん、いいのか」

「うん」

「シ、シエルちゃ、ん」


とん、と自分を抱き上げる腕を叩いて降ろして欲しいと合図する。ちゅ、と頬に口づけてから優しくおろされるのにまだ離すことを許されてないなぁと苦笑する。


「アッシュ、あの娘を小屋へ 倒れています。蛇は清らかな水を用意して、温めておいて。タキは柔らかい寝床を整えて。本当は男性は産屋には入るものではないのですけどね」


ふわりと身体を光が包みゆるりとシエルが元の身体へと戻る。3人がそれぞれ言われたままに駆け出すのを身体に纏う服を取り出しながら見送った。


「刻を動かして、果てはどう変わるのかな」


長い絹糸の髪を軽くまとめるとさらりと流して笑う。娘を抱き上げて戻って来るアッシュに歩み寄ると、浅く呼吸を繰り返す青白い顔を覗き込んだ。


「…痛い?」

「は、…は、ぇ……、あなた は…」

「通りすがりの女神様ですよ」

「……ぇ…ぁ…、…夢みたい… この子は凄いな……女神様に…、祝福して もら、え……ぅう…ッ」

「運んで」


腹に触らぬよう優しくタキが用意した寝床に娘を寝かせるとアッシュは部屋の隅にどかりと行儀悪く座り込む。立てた膝に頬杖をついて興味なさげに欠伸をしていた。


「陣痛がきているかな…、ずっと一人で我慢していたのでしょう、いつから来ていたやら」

「え、それ大丈夫なの」

「どのくらい経っているかわからないから今にも産気づくかもしれないし、これからかもしれない さて、タキはどうするの」

「…何も分からない俺が…、助ける方法は… さ、産婆さんを探して…」

「知らないこの土地で、そんなに簡単に見つかるの 君が探しに行っている間にこの娘は産気づくかも。児が頭を出すかも、誰にも取り上げられないままやっぱり定めのまま死んでゆくのかも。彼女を助けたいのなら、君はこの一瞬、カミサマにならなければならない」


浅い呼吸を繰り返し、痛みに耐えながらこの会話が聞こえているのかいないのか。小さく呻きながら時折娘は苦しそうにいきんでいた。


「そんな風にはさせないから!ねぇッおねーさん、頑張ってよ!生きてよ!俺ができることなら何でもするから お、俺が取り上げなきゃいけないなら、できることはない?やるよ、俺がやるから!」


無知は悲しい事だ。どんなにタキが望んでも、励ましても、女は死ぬだろう。彼は女を救うすべを知らないから。君が此処にいたとしても、居なかったとしても、女は死ぬのだ。

 本当はね、人間の少年。君はここでカミサマの様に選ばなければならないのだ。このまま児を殺して母を生かすか、腹を割いて母を殺すかを。


「……タキ、君がいくら頑張っても、励ましても…、彼女は一人で児を産むでしょう。だって君は女の出産など知るわけもない」

「…助けられないの」

「ふふ、君は二人の運命をカミサマみたいに変えたいの」

「…だって、俺は…、人間で……それでも… 助けたいよ……」

「それが君の勝手なエゴであっても…?」


無知と無力に押し潰されながら、タキが苦しそうな娘の手をただただ握って祈るしかできずにいるのを、気怠げに部屋の隅で座り込んでいたアッシュが小さく息をついてのそりと身体を起こし、シエルへその腕を伸ばしてじわりとその身体を抱きしめた。髪がゆっくりと白く染まってゆく。

ふわりと微笑んでシエルが宙へと両手を差し出せば暖かな光と優しい風が二人を包んだ。


瞬間  静かに、風が 唄を 創りだす


「なんだ、これは 主よ…、そなた」

「え、なに これ、な に……」


宙空へ差し出した両手に 歌を紡ぎ、光を集める。ふわふわとちいさな粒子が集まってきたかと思うとそれがだんだん形をなしてシエルの腕の中で眠る可愛らしい赤子になった。シエルを抱きしめていたアッシュがその手に重ねて赤子を撫でる。


「…ほら、可愛い君 起きて。貴方をその身体全部で創って産んでくれたお母様に、その声を聞かせてあげてください」


途端に、産まれたばかりの赤子が空気を初めて肺へと入れたあの瞬間の、叫ぶような産声をあげた。

娘は苦しそうだった呼吸を大きく1回吸って、吐いたかと思えば小さくなった腹を撫でて、まだ気だるい身体を起こして赤子を見る。


「何が…、おきたの…… あたしの…、赤 ちゃん…?」

「そうですよ、頑張りましたね。僕が取り上げてしまってすみません、抱いてあげてください」

「……あ、……ぁ…、まさか…、まさか 貴方をちゃんと……抱けるだなん、て……」


おそるおそる手を伸ばして受け取ると、覚悟をしていたのだろう、自分の命がこの子の生の代わりになるであろう事を。そして今温かいちいさな身体を抱きしめられている奇跡を。噛み締めながら涙を流して繰り返し繰り返し礼を呟いていた。


八雲が用意した神の水で産湯を使い、娘がこれだけはと用意していたのだろう、綺麗な産着に小さな身体を包んで必死に母の乳を吸っていた。


「ほら、お仕事しなさい」

「主よ、普通は本人の目の前でここまでわしを認識された状態で与えるものではないのだぞ」

「構わんだろう、さっさとしろ」

愛人あいれん殿まで随分なことよな…」


やれやれと苦笑を浮かべながら乳に吸い付く赤子を覗き込むと両の目を薄くして優しく笑む。


「うむ、よき児だ良き風だ。この地と民を豊かに導くであろうな。優しき母にも精一杯で孝行するとよいぞ」


そっと人差し指を小さな手に近づけるときゅと握り込まれ、それをゆるゆると揺らせば赤子がむずがるように声にならない声で音を紡ぐ。ふわりと淡い光が勾玉を形作り小さな手首にそれを紐でくくりつけてやった。


「…あの、皆様方……救ってくださり本当にありがとうございます。集落からは見放され、一人で産み落とす覚悟でおりました…。最中は意識があまりなく記憶が定かではないのですが、産後こんなにも痛みもなく、体力も残っているなんて…腕の良いお医者様なのでしょう…本当に…」

「貴女が頑張ったんです、そしてこれからまた頑張らなければなりません。良い子に育ててください」

「…は、い…女神様、…ありがとう、…ございます…」


きょとりとその言葉に目を丸くするが、そう言えばそんな戯れを口にしたな、とシエルが笑うと娘がまだ幻の中にいるような顔をして児を胸に涙を流した。

親子をそのままに、見送りを断り小屋をあとにする。ずっと黙ったまま下を向いたタキにやっと声をかけた。


「タキ、これでよかったかな」

「………、…うん、ありがと…」

「何で泣きそうな顔で落ち込んでるの」

「………ありがと…、俺、口だけでなんも出来なかった…、ありがと」

「シエル」

「ふふ、わかりましたよ」


本来の姿のままのシエルに早く戻れと催促する。ふわりとまた少年の姿になったのをみるやすぐにその腕に抱き上げた。


「帰りましょうか。もう少しだけお邪魔しようかな」

「……うん」


何でもできると空を駆ける少年が、初めて自分がただの子供だったと知った ある何気ない晴れた日の事だった。




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