10数年前のちょっとした

「あにちゃまー!」

「そんなに駆けたら転びますよ」

「…くくッ」

「なんですか、アッシュ」

「少し舌足らずな所、昔のお前を思い出すなと思って」

「…あの子よりも幼かった頃でしょう。意地が悪い」


ふらりと立ち寄った国でギルドへ素材提供をしたところ身分がバレたのだろう、すぐに城から招集がかかったかと思えばこの小さな皇女の守りを暫く仰せつかった。

まだよっつの、皇女にの少女だと言う。


基本的に神の箱庭この大陸に小さな領地戦はあっても国家間の戦争は起こらない。

7つの国がそれぞれに独立し、各属性を司って居るからこその平和なのだ。侵略など無益でしか無い。


精霊達は自由であり、自分が選んだ宿主を彼らが愛している限りは守り、慈しむ。

精霊が選ぶ人間は心根が真っ直ぐできているのだろう、歪むことなく殆どが死ぬ迄その恩恵を受けるため各帝国があらゆる便宜を図り大切に保護している。


大陸の何処にいてもその恩恵は不変ではあるが、何処の帝国も自国から出したがりはしない。アッシュとシエルだけが異端なだけだ。実際二人に宿る前の主は生涯自国で幸福に生きたようであるから。


中でも地の恩恵は全ての大陸民の生命に関わるため、特に感情の起伏の激しい子供時代は慎重に、大切に扱われるのも無理はなかった。


市井で生まれた少女がある日迷子になり、知り合い総出で幾日も探したが、もうダメか、拐かされたか事故にでもあったかと諦めかけた5日目に、精霊がキャッキャと笑う少女を連れて母の元へ帰ってきたと言う。

数カ月前に地の宿主が身罷ったため、精霊が主を探しに姿を消していた頃で、ジワジワと大地が荒れ、作物が枯れ果て始めていた時だった。


同時に大地がよみがえるのに国を上げて喜び、少女を保護し、当然母も共に国でかくまったというわけだ。


ただ、小さな子供達には理解できなかったのだろう。

まだ10に満たない皇子、皇女達は突然現れた妹を素直に歓迎できなかった。小さな子供の諍いであっても相手が地の精霊主エレメンタリーともなれば国家災害にもなってしまう。

理不尽に仲良くしなさい、優しくしなさいと言ったところで心から実行など出来るわけがなかった。

小さな宮殿を与えられ、いきなり現れた平民がむしろ自分達よりも大切に扱われ、暮らし始めたのであるから。

この国の皇帝は後宮を置き、正妃と3人の側妃、5人の皇子と7人の皇女がいる。そのうち正妃の子は第一、第五皇子と第二皇女。皇太子は第一皇子か第五皇子から、どちらかは王弟もしくは王兄として大公位から政をとり、他の皇子らは公爵または侯爵位を与えられて臣籍降下から国を支えるといったところか。

入った側室は4人目、皇女は8人目にあたるが、末姫がまだ乳児の為第七皇女となる。


そこで呼ばれてしまったのが同じく精霊主エレメンタリーの少年であるシエルである。

見た目だけではあるが。


皇女が城に馴染めるまでと言う事であったがそう簡単な話でも無いだろう。どうなるものかな、とアッシュと共に精霊宮と呼ばれる城に招待されたのだが、思ったよりも厄介だった。


「召喚に応じ参じました、現カタストロフ皇帝におきましてはお初にお目にかかります。水の精霊主エレメンタリーを頂いております、シエル・シャン・アラルエヴィと申します」

「お初にお目にかかる。魔剣聖ルナソードマスター、アッシュ・レイル・黒耀。風の精霊主エレメンタリーを頂いている」

「これはこれは、お二方には我が願いこころよく聞き入れていただき感謝する。ガートルード・テオ・グレモス・カタストロフだ。シエル殿に置かれては見目通りの童子ではないとか、失礼な依頼であったかと思う」

「いえ、無理もない事かと。わたくしでお役に立てる事であれば出来うる限りでおこたえしましょう」

「有り難い」


よそ行きの顔で礼をすれば人の良さそうな皇帝が、穏やかに迎えてくれる。なかなか繊細な問題であるから藁にも縋りたいのだろう。

チラチラと浮ついた視線を感じるがこれはまぁ人前に顔を出せば仕方のないところだ。


「もてなしをと言いたいところではあるが、早速精霊宮へご案内さしあげてもよろしいか?」

「えぇ、是非。身に余るもてなしは不要です」

「滞在中は全てこちらが不便なきよう手配しよう。ブライアン、頼む」

「は、では私がご案内致します。地の国カタストロフ宰相、ブライアン・クイントール・ブラフォードと申します」


ざっと案内された精霊宮、皇宮の1/5程もある敷地に母娘が二人だけで住んでいるのだから厚遇だろう。身の回りの世話をする使用人は20程だが、影も含めての護衛は50を越えるようだ。屋敷自体はそこまで大きいわけではないが、外に出られない窮屈さを補うかのように敷地が広い。まぁ子供ならば何の窮屈さもなく暮らせるだろう。

当然メイドや執事は最高の人格、能力を買われて選別されたためにどうやら皇子達のお気に入りの遊び相手が取られた、などという事案もあったようだ。

子供の癇癪を理性で治めることなど不可能である。


「思ったより時間がかかりそうじゃないですか?」

「まぁ、色んな意味でな…、だがあまり長居しても逆に厄介事になるかもしれんぞ」

「なるほど…?」


アッシュができれば早めに終わらせたがっているのは分かったが、この時は然程大きな理由は考えていなかった。



「あにちゃま、だんごむし〜」

「おやおや、何処から連れてきたんですか?かわいそうだからちゃんと土に戻してあげましょうね」

「はいっ」


素直でいい子だ、シエルにもすぐに懐いた。母親も良い子に育てただけあり心根の真っ直ぐな女性であったが娘に比べたら気が弱いところがあった。

おっとりと庭先でお茶を飲みながら娘を見守っているが、市井育ちなせいだろう、まだ使用人達への態度が平民のそれだ。裕福な暮らしの代償に、自由と今迄の暮らし、交友すべてを取り上げられたのだから堂々と享受したら良いのにとは思うがそう簡単でもないのだろう。

随分と貴族達には軽んじた扱いを受けている様に見受けられた。


「ビアンカ様、お疲れではありませんか?」

「シエル様…そうですね、子供の無限の体力はなかなかついて参るのは大変ですが、可愛い我が子ですから」

「僕が付いておりますから少し休まれては?万が一にもケガ一つする心配はございませんよ」 


転びそうになったベルを水の膜で受け止め、キラキラとした水滴を散らしてあやすリリィを示してニッコリと笑う。ビアンカはふ、と安堵の息をつき肩の力が抜けた。


「シエル様はお年のままには見えませんね」

「お年の方が間違っているもので」


可笑しい、と笑って では少しの間下がらせて頂くと部屋へと下がっていった。

疲れた顔をしている。娘の体力についていけない、などという建前を信じるわけではないが、そうでも言わなければ心を休めることもできないのだろう。


そう、自分の姿を見てそのままに可愛らしい皇女の遊び相手である、と当然ながら大人達は認識し、小さな子供だからと油断した。

ゆえに思わぬところで見せられる裏側の顔もある。

皇帝は本当に気づかないのだろうか。自分が安易に引き入れた名ばかりの皇妃がどの様に生きているのかを。


『まぁ、どう見ても僕は子供でアッシュが保護者であるようにしか見えないのだろうけど…』


チラ、とかえりみれば侍女から何やら手紙らしきものを手渡されアッシュが受け取っている。面倒くさそうに裏表するのを侍女が慌てて内密にと隠すように促していたが、さて誰からのメッセージなのやら。追い払うように侍女を下がらせこちらへとやって来た。

まぁあの容姿だ、御婦人方は黙っていないのだろう。


「チッ…」

「ご機嫌ナナメだね」

「お前はもう少し恋人に関して悋気を抱いてもいいと思う」

「君はもう少し僕からの愛を自覚した方がいい」

「…、クソ」

「あははは」


腹立たしいと思いながらも愛しい人を腕に抱けばざわついた気持ちが凪いでいくのを自覚する。


「んー、先日からよくすれ違うブラフォード侯爵令嬢辺りかな」

「わかってるならたまには助けろ」

「大した事はできないでしょう。あんな子供にあまり手酷くしないようにね」

「あぁ言う何でも思い通りになると思っている女は面倒だ。放っておけばいい」

「茶会か何かの呼び出し?」

「もっと私的なやつだ」

「ほら、ベル。泥だらけじゃないですか、戻って綺麗にしましょう」

「はぁい、あにちゃまー」

「チビに取られてそれで無くとも面白くねぇのに」

「ほんの瞬きですよ」

「…そうだったな」


降ろして、と頬にキスをするとよちよちと駆けてくる可愛らしい皇女の泥だらけの手を取り屋敷へと向かう。基本的にこの敷地内は母娘だけの空間らしく他の皇族、貴族が立ち入る事はないのだが、一歩皇帝に呼ばれて皇宮などに出ればどうしても他の貴族達の前にも出ることになる。


「ねーあにちゃまー」

「はい、何ですか」

「あっちゅは、ぱぱなの?」

「………はい?」

「ちゅってしてたー」

「パパじゃねぇ…」

「うーーーん」


少し不機嫌だか複雑だかな顔をするアッシュに苦笑する。成る程子供だと油断していたのは自分達もだったようだ。


「じゃー、わんわん?」

「わんわん…?」

「わんわんもちゅってするー」

「ふむ、確かに。アッシュは僕だけの大事な大事なわんわんかも。貴女はしちゃダメです」

「わんわんー」

「おい」

「何です?可愛い僕の愛玩恋人ペットくん」

「…そんなに違わねぇのが腹立つな」

「これからはそう紹介しようかな」

「…好きにしろ」


先程の手紙は宰相の娘かららしい。

最初に挨拶に出向いた時に皇女の一人に会いに来たのか皇宮内ですれ違ったのだが、一目でアッシュに心を握りつぶされたのがわかった。その後不自然な程何度もすれ違っている。

令嬢から声をかけるなどははしたないとされる社会だ。男から声をかけやすいようにと言われる手管は一通りされていたように思う。

ハンカチを落としたり目の前でよろめいてみたり、一度は偶然を装い廊下の角で胸に飛び込んで来たかと思えば離れないものだから振り払われていたのを蹴り飛ばさなかったのが奇跡だと思って見たものだ。そしてその度に熱に浮かされた顔でチラチラと盗み見るのだが、全く相手にされないのに肩を落として、それでもなお未練がましく視線をよこしていた。


 この男はいつもそうなのだ。

心を奪っただの恋に落ちただの生易しい表現ではすまさない程完膚なきまでに女を堕としきる。夢中にさせて狂わせるから困ったものだ。


『面倒にならなければいいけど』


フラグでしかなかった。





❀❀❀





「シエルが?」

「はい、皇女様がお休みになられたのであちらの貴賓室にてお待ちになっていらっしゃると」

「………、そうか。わかった」


シエルがチビを昼寝の寝かしつけに行った為手持ち無沙汰に借り部屋の窓際で気まぐれに本を読んでいた。あまり傍を離れた事が無い為どうにも落ち着かず、たまには一人を楽しむ…、というのも違和感を感じていたところで。

手にしていた本をソファに放ると黙って侍女の案内されるのに付いて歩く。


こちらへどうぞと促され、言われるがまま開かれた扉から部屋へと足を踏み入れた瞬間足元から淡い光がアッシュを包み視界を一瞬奪った。


「…、ッ魔法陣… 転移か…。レン いい、このままいく」


魔法陣の光に包まれた瞬間、精霊レンブラントがアッシュに手をかけ阻害しようとするのを止める。

シエルの気配がないのはわかっていた。

そもそも自分達の間で侍女に居場所を言伝るなどするはずもないのだ。誰が何の目的かと黙って手の内にかかってはみたがなにやら手の込んだ悪さを仕掛けられたようである。




「おや…」


ふいに消えた気配に窓の外を見る。


「何処へ行ったのやら」

「あにちゃま、つぎこっちよんで」

「貴女、実はあんまり眠くないでしょう」

「こっちー」

「仕方ないな、もう一冊だけですよ」



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