第17話 絶望 愚かなアリア
「…………終わりだ…………」
かすれた呟きが、静まり返った病室に落ちる。計画失敗の四文字が、鉛のようにアリアの心にのしかかっていた。
(もし……もし、このまま事情聴取とかでボロだして全部バレたら……)
最悪の想像が頭をよぎり、アリアは恐る恐る脳内の相棒に問いかけた。
「なあ、ルクス……。万が一、この嘘がバレた場合、どうなる……?」
《そこまで理解した上での計画の実行かと思っておりましたが、そうですね……》
ルクスは衝撃の発言の後、いつものように淡々と、しかし恐ろしく的確に告げる。
《ご主人様の行為は、騎士団及び王家に対する欺瞞、公務執行妨害、、そして何より王国英雄の名誉を著しく毀損したことは大罪にあたります。判例から鑑みるに、まず間違いなく、公開処刑の後、三日三晩晒しものになるでしょう。生家のヴァレンシュタイン家も良くて取り潰しになるでしょう》
「ひっ……!」
アリアの喉から、短い悲鳴が漏れた。処刑に晒しもの、生家の取り潰し、その単語が、彼女のなけなしの理性を粉々に打ち砕いた。その時だった。
《ご主人様、 フィン様、エルナ様、アレクシオス様が、凄まじい速度でこちらに向かっているようです。まもなく到着します》
「なっ!?」
処刑台にいる未来の自分のビジョンと、仲間たちの接近。二つの情報がアリアの頭の中で結びつき、最悪の結論を弾き出した。
(やっぱりバレたんだ! 私の嘘が、全部バレて、処刑するために捕まえに来たんだ!)
「ほら!全然大丈夫じゃないじゃないか!」
ルクスの言葉などもう信じられず、半狂乱で叫ぶ。もはや、冷静な判断などできるはずもなかった。
バァンッ!!
その思考と同時に、病室の扉が破壊されるかのような勢いで開け放たれた。
「アリアッ!」
血相を変えて飛び込んできたフィン、エルナ、兄アレクシオスの三人の姿。その剣幕は、アリアの目には断罪者の襲来にしか映らなかった。
(終わりだ!)
衝動的にベッドから転げ落ちると、アリアは一番近くにあった窓へと駆け寄り、逃げるためだけにその身を乗り出した。
「なっ…やめろぉぉぉっ!!」
フィンの絶叫が部屋を震わせた。彼はアリアが自ら命を絶とうとしていると勘違いした。力任せに床を蹴り、窓際のアリアに飛びかかる。その剛腕が、アリアの細い体を力任せに引き寄せ、病室の床へと引き倒した。
「いやっ! 離して!」
「アリア、しっかりしろ! 早まるな!」
何が起きたか分からず、もつれ合うように床に倒れ込む。アレクシオスとエルナも駆け寄り、暴れるアリアの体を押さえつけた。嘘がバレたと思い込むアリアは、正義の象徴である騎士団のかつての仲間たちが自らを取り押さえる理由が一つしか思い浮かばない。動転したまま、意味もなく許しを乞うように繰り返した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
その痛ましい姿に、三人はさらに胸を痛める。そんな中、エルナが震えるアリアの体をそっと抱きしめた。
「大丈夫よ、アリア。もう誰もあなたを傷つけたりしない。ここは安全よ。……大丈夫」
その温かい腕と、穏やかな声。そこでアリアは、ようやく気づいた。彼らは、自分を連行しに来たわけではない。ただ、心配して駆けつけてくれただけなのだと。嘘がバレたわけではないのだと。全身から力が抜け、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れる。とりあえず、最悪の事態は免れたようだ。
しかし、その束の間の平穏は、新たな人物の登場によって無慈悲に打ち破られる。
「――これは、一体どういう状況ですかな?」
遅れて部屋に入ってきた担当医が、床に倒れ込み、騎士たちに囲まれているアリアを見て、その表情を険しいものに変えた。看護師から事情を聞き、床のアリアを一瞥すると、彼は静かに、しかし厳しい声で言った。
「……我々の認識が甘かったようです。アリア様は、我々の想定以上に精神的に不安定な状態にある。これでは、いつまた同じことを繰り返すか分からない」
医師は看護師に鋭く指示を飛ばした。 「直ちに隔離病棟の準備を。それと、拘束具を持ってきてください。病室の準備が整うまで、監視もつけましょう」
「拘束具……?」
聞き慣れない単語に、アリアの思考が凍りつく。やがて、看護師が持ってきた、ぶ厚い革と金属でできた無骨な道具を見て、アリアは固まったままルクスに尋ねた。
(……あれ、何?)
《精神異常や魔術による錯乱状態に陥り、自傷や他害の恐れがある患者を、物理的に拘束するための医療器具のようです》
自分が窓から逃げ出そうとした姿が、自殺と勘違いされたのだ。自らの考えなしの行動が、最悪の事態を招いたことに気づき、アリアは血の気が引くのを感じた。
(どうにかして、ここから平穏に抜け出す方法は……)
《もはや、平穏に抜け出す術はございません。ご主人様の初動が、全てを決定づけました。これから拘束された状態で隔離病棟に移されれば、強行作戦以外で逃走はほぼ不可能でしょう》
その無慈悲な宣告に、アリアの心は深い絶望に沈んだ。
その間もアリアの様子を注意深く観察していたエルナは、拘束具の登場と共にアリアの顔色が血の気が引いたように白くなったことに気づく。そして、あの洞窟で枷に繋がれていたアリアの姿が脳裏をよぎった。
「先生、お待ちください! アリアは……彼女は、あの洞窟で拘束されていました。そのせいで、拘束に強い恐怖を感じているのかもしれません! 私がずっと側で見張っていますから、どうかそれだけは……!」
エルナの必死の訴えに、アリアは一縷の希望を抱いた。しかし、医師は難しい顔で静かに首を振る。
「お気持ちは分かります。しかし、彼女は衰弱しているとはいえ、『閃光のアリア』です。それに、万が一、あなたが目を離した隙に暴れだした場合、私や看護師だけで彼女を安全に抑えられると言い切れますか? アリア様の安全と、周囲の安全のためにも、拘束処置は必要です」
理性的で、合理的なエルナは、その正論にぐっと唇を噛み締め、反論の言葉を失った。アリアの最後の希望は、あまりにもあっけなく打ち砕かれる。
(まずい、まずいまずい! 逃げ出すチャンスがほんとになさそうだ……!)
焦りで呼吸が浅くなる。理性的な説得がダメなら、もう、感情に訴えるしか道はない。
《ご、ご主人様?これ以上余計なことをしてはいけません》
ルクスの言葉など全く届いていないように、アリアは、震える瞳で、エルナを見つめた。
「……私は……また捕らわれるのか……?」
その悲痛な響きに、エルナもフィンもアレクシオスも、胸を締め付けられるような表情を浮かべる。
「違う、アリア。 そんなんじゃない…」
「これは治療のためだ。すぐ外されるから、痛くもない!」
彼らの説得が、アリアにはもはや届かない。感情に訴える作戦も失敗したと悟った彼女は、最後の手段に出る。
《ご主人様!いったい何を考えているんですか!?こ、これ以上事を荒立ててはいけません!》
さすがのルクスも自ら死地に飛び込んでいくアリアに冷静さを失う。
「やめっ!」
アリアは、押さえ込もうとする看護師の手を振り払い、ベッドから降りようと素早く身を起こした。少し鈍ってるけど、まだ動けそうだ。だが、そう思ったのもつかの間。その肩を、フィンとエルナの力強い腕が左右から掴む。
(え……!?)
以前なら、二人の拘束など造作もなく振り払えたはずだった。しかし、長い間洞窟でだらけていた体は、予想以上に弱くなっていた。その間も弛まぬ鍛錬を積み続けた二人との差は、あまりにも大きい。アリアは、びくともしない二人の腕の中で、愕然とする。
(ルクス! 身体強化魔法を!)
《これ以上の抵抗は、ご自身の立場を悪化させるだけです。今はお諦めください。次の計画をこれから練っていきましょう》
脳内で懇願するが、ルクスからも冷たく突き放される。
フィンとエルナは、アリアを予想以上に簡単に押さえつけられてしまったことに、彼女の衰弱ぶりを改めて思い知らされ、悲しげに顔を歪めた。しかし、彼らは看護師がアリアの腕や足に冷たい拘束具を装着していく間、必死にもがく体を強く抑え続けた。
カチャリ、カチャリと、金属のバックルが閉まる音が、やけに大きく響く。徐々に拘束が進んでいく。 自分が罪人のように力強く押さえつけられている事実。そして、自由を奪う拘束具の冷たい感触。二つの絶望が、追い込まれたアリアの心を完全にへし折った。
「……ぅ……うぅ……」
アリアの瞳から、静かに涙が溢れ落ちた。それは、演技ではない、本物の絶望の涙だった。
病室を悲痛な空気が満たした。
拘束が完了し、しばらく。フィンやアレクシオスが為すすべもなく立ち尽くす中、エルナは虚ろな目をするアリアのそばを離れようとはしなかった。
「アリア、大丈夫よ。私がそばにいるから……」
エルナは優しく声をかけ続ける。しかし、その声はアリアには届いていない。彼女は、もはや目の前の現実から意識を切り離し、脳内でルクスと、この絶望的な状況から抜け出すための作戦会議を始めていた。
(ど、どうしようルクス…)
《厳しい状況ですが、まだ手はきっとあります。》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます