第110話:遺跡に咲く狂気
夜更け。城が静まり返る頃、レンはひとり薄暗い廊下を抜け出していた。 向かう先は――明日、蒼真がグラウゼルと相対するはずの古代遺跡。
「……勇者を殺した魔族に真正面から挑むなんて無謀すぎる。あまりに愚かしい。大馬鹿者の極みだ。」
独り言のように吐き捨てながらも、その瞳には複雑な光が宿っていた。 不安、苛立ち、そして……どこか打算めいた影。
レンは遺跡にたどり着くと、深く息を吸い込み、力強く名を呼んだ。
「来い!《紅蓮杖(ぐれんじょう)フレイザード》!」
その瞬間、空気が揺らめき、紅の宝石を頂に宿した神器が炎のごとく姿を現す。
紅の宝石を頂に宿した神器――《紅蓮杖フレイザード》。
握った瞬間、心の奥に押し込めていた感情が杖へと吸い上げられていくのを感じた。
「……怒り、焦り、恐怖……全部だ。俺の中で燻ってるものを……燃やしてやる」
宝石が脈動するように光を放ち、炎の揺らめきが杖の先端から広がっていく。
それはただの炎ではない。レンの揺れる心を映す、歪んだ焔だった。
《紅蓮杖フレイザード》――その破壊力だけなら、現勇者の神器の中でも最強を誇る。そして今、その杖は歪んだ心を抱くレンの手に渡り、本来の限界を超える力を引き出していた。
彼は杖を地に突き立てると、炎は瞬く間に遺跡全体へと走り、壁や天井、床に赤い紋様が刻まれていく。熱気が満ち、石造りの回廊が息をしているかのように歪む。
「……これだ。この力こそが俺を英雄にする」
レンの周囲で炎は唸りを上げ、彼の感情に呼応して形を変えていく。
怒りは灼熱の爆炎に、焦りは鋭い火刃に、そして欲望は紅蓮の嵐となり、遺跡全体を飲み込もうとしていた。
「はは……はははははッ! 誰にも止められない! 魔族も、蒼真も、この炎に焼かれて終わるんだ!」
フレイザードの特性。使用者の揺れる心をそのまま攻撃力に変える。
レンの胸にある矛盾と憎悪が、そのまま遺跡を覆う地獄の火力へと転化していった。
「……これでいい。これで、どんな結末になろうと……俺の思う通りになる」
やがて炎はすっと掻き消えるように消滅し、その痕跡は地面に刻まれた紅蓮の紋様として残った。それは罠として組み上げられ、彼の合図でいつでも解き放たれる地獄の火力へと姿を変える。
レンは低く笑みを漏らした。
「怪物だか何だか知らないが、敵に来る場所を教えるような馬鹿なら、罠に嵌めるのは朝飯前だ」
ついでに、邪魔者の蒼真も消せるかもしれない。
もし奴がグラウゼルとの戦いで敗れれば、それを口実に最後の手段として発動し、遺跡ごと吹き飛ばしてしまえば都合がいい。レンの声には躊躇も憐れみもなく、ただ冷たい確信だけが残っていた。
「蒼真は……お前は最後に俺の役に立ってくれたよ」
レンは薄笑いを浮かべ、炎に照らされた顔を歪ませた。
「気に入らない奴だったが、感謝だけはしておこう。俺が英雄になる舞台を整えてくれたのだからな」
彼の周囲で紅蓮の紋様が脈動し、まるで観客席から歓声が沸き起こるかのように炎が揺らめく。レンはゆっくりとフレイザードを掲げ、赤黒い火花を散らせながら呟いた。
「明日で全てが決まる。魔族も蒼真も……俺の踏み台にすぎない」
紅蓮杖を握るレンの肩が小刻みに震え、やがてそれは笑いへと変わった。
「俺は魔族を倒した英雄になるんだ! ははっ……はははははッ!」
炎の揺らめきが彼の顔を赤黒く染め、その笑みはもはや正気を逸したものだった。
「讃えられ、賞賛を浴び、この世界で好き勝手に……面白おかしく生きてやる!」
狂気を孕んだ声が遺跡に木霊し、紅蓮の紋様が呼応するように轟々と燃え盛った。
その笑いが最高潮に達した時。
遺跡の片隅で静かに佇む別の人影が、低く含み笑いを漏らした。
「……実に、興味深い。」
口元に浮かぶのは冷笑。
知性の光を帯びた瞳が、狂気に取り憑かれた少年を研究対象のように映していた。
「この程度でグラウゼル殿がやられるとは思えんが……恩を売っておくのも悪くはないな。」
そう呟くと、男は指を軽く弾いた。
すぐさま漆黒の影が床を這いだしていく。
「まずは実験材料の回収だ。勇者レグナの死体と従者ども……肉体を壊さずに持ち帰れ。解析の価値はある。」
命じられた眷属たちが無言で蠢き始める。
「ふむ……本当に興味深いのは別にあるのだがな。」
男は低く囁き、探究心と計算高さを滲ませる。
「報告にあった、魔族のスキルを宿しているかもしれぬ少年。第一の標的は間違いなくそちらだ。捕獲できれば私の研究はさらに完成に近づくかもしれぬ」
一度だけレンに視線を巡らせると、慎重な声音で続けた。
「あの勇者を今ここで捕らえることもできようが、罠が発動した後の方が得るものは大きい……今は敢えて見逃すとしよう」
男は口元を歪め、愉悦を隠そうともしない。
「明日が実に楽しみだ……ただ一つの懸念は、グラウゼル殿が私の貴重な研究材料を粉々にしてしまわぬか、ということだがな。」
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