私と彼と幼馴染と ~彼氏ができたら詰んだ話~

猫電話

第1幕 幼馴染の話

 学生達が蒸し暑い室内で、顔に流れる汗に目をしばたたかせながら、板張りのコートをキュッキュと鳴らして走り回っている。

 香澄ヶ浦中学校の体育館にある二つコートの内、ステージ側のコートでは男子が、手前出入口側のコートでは女子が、それぞれ練習用のユニフォームに身を包んでバスケットボールに興じていた。

 そんな中、麻木あさぎ佳那子かなこは、壁際に置いてあった自分のスポーツバッグからタオルを取り出すと、頭から被っるように髪型を気にする事無くゴシゴシと拭いた。

 本人的にはしっかりふき取れたのか、スッキリした顔でタオルを首に掛ける

 その後、水筒をバッグから取り出して、その甘酸っぱい中身を勢いよく胃に流し込んだ。


 ふと、体育館の外から強い風が吹き込んできて、佳那子の髪を撫でた。

 佳那子は涼しそうに目を細めて、外に一歩出ると遥か遠くで縦長く伸びている雲を、眩しそうに眺める。

 目に入る強い日差しは、手でひさしを作って遮りる。

 雲の輪郭がキラキラと輝いて、それがより眩しさを強調している。

 ふと耳を澄ますと、つい先ほどまでは『ワシワシ』と鳴いていた蝉が今は『ジリジリ』と鳴き声を変えていた。


「鳴き声変わってる……そろそろお昼頃かぁ」


 もう一度だけ、水筒の中身に口を付けると、首に掛けたタオルで口元を拭ってから自分のバッグの元に戻る。

 水筒をバッグの中に押し込み、奥に転がっていた猫のモチーフが文字盤に書かれた腕時計を取り出した。

 時間を確認すると、時計の短い針はⅫの印を少し超えていた。

 佳那子が体育館の中に視線を戻すと、今試合中の部員をコートの近くで見ている部長をみつけて、そこへ小走りて向かう。


「部長、12時過ぎてますけど、そろそろ休憩にしませんか?」


 そう言いながら、自分の腕時計の文字盤を部長に見える様に差し出した。


「え? ほんと? あら、時間過ぎてるね! じゃあ試合こっちは終わってから休憩するから、他の皆にも伝えて、先に休憩に行ってらっしゃい」


 部長は壁際で休んでる部員達を親指で指さしながら、そう言って笑顔を浮かべる。


「わかりました、それじゃ休憩行って来ます!」


 それだけを言って佳那子は、壁際で休んでる女子部員達の元へ小走りで駆け寄り、部長の言葉を伝えた後、自分のバッグを肩に担いで体育館を後にする。

 それを見ていた、奥の方の壁際で休んでる一人の男子生徒が一度、ステージ上の時計に目をやって舌打ちをする。

 苦い顔をして自分のバッグの中を漁ると、腕時計を取り出して時間を確認してから右手に着ける。

 それから、近くの三年生に一言ひとこと声をかけて軽く頭を下げてから、佳那子を追いかけた。


「佳那子! まてよ!」

「なに?」

「なにって、お昼食べるんだろ?一緒に食おうぜ!」


 そう言いながら、その男子生徒、上月こうづき隆志たかしは佳那子の横に並んだ。


「一人で食べればいいじゃない? いつも私に着いて来なくてもいいよ」

「一人じゃ寂しいじゃん? 佳那子だって一人きりはさびしくないのか?」

「はぁ……、寂しかったら他の子と食べるわよ。一人がいいからに決まってるでしょ?」


 佳那子は避けるように足の速度を上げるが、隆志はめげずにその後を追う。

 二人の家は隣同士の為、小さい頃から家族のように育った幼馴染で、特に佳那子の家はお好み焼き屋を営んでいる事もあり、両親の帰りが遅い隆志は、佳那子と二人でよくお店の中の座敷で遅い時間まで遊んで過ごしていた。

 そんな間柄の為、お互いに遠慮と言うものを持ち合わせておらず、平気で邪険にもするし、口汚く罵る事もある。

 家族と変わらないように育った二人にとっては、それが普通の事だった。


「冷たいなぁ、ついこの前まで一緒にお昼してたじゃん?」

「小学生の頃の話しでしょ。 そんなに付きまとわれたら色々勘違いされるからやめてって言ってるじゃない、いい加減に幼馴染離れしてよね」


 二人でそんな事を言い合ってる間にお気に入りの場所である、校舎裏の木立に隠れて周囲から見えない場所へ到着した。

 そこにはいつから有るか分からない座るに適した大きい石が転がっている。

 この石は二人で腰掛けるには狭すぎるので、佳那子が石に座るとそこに隆志は座れないので、隆志はそのまま地面に直接腰を下ろした。

 そうまでして、何故一緒に食事をしたがるのか意味が分からないと佳那子は思う。

 最近は何かと言うとついて回る隆志が、ほんとうに鬱陶しいと感じるようになってしまっていた。

 いい加減に幼馴染離れしてほしいな、と思いながら佳那子は自分のバッグから弁当箱を取り出して広げる。

 瞬間、気持ちの良い風が頬を撫でたので表情が緩む。


「結局嬉しそうにしてるじゃん?」


 見当違い事を言う隆志の言葉に、佳那子は呆れて疲れたように肩を落として弁当箱の蓋開ける。

 弁当の中身は半分は白ごはん、残り半分はお好み焼き……


「はぁ……」


 いつもの事だけど溜息が漏れる。

 スポーツを頑張ってる娘への弁当がこれってどうなのだろう、と佳那子は思う。

 これだから、お昼は一人になりたくなると言うものだ。


『スポーツやってるんだから、タンパク質くらい入れてよ』


 と、先日母親に弁当の文句を言ったら、笑いながら豚玉じゃないと返されて、言い返す気力すら失った。

 やっぱりもう少し頑張って文句を言ってみようと密かに決意する。


「溜息なんか付いてどうしたんだ?」


 そんな佳那子は、そう聞いて来る幼馴染を見下ろしながら、「なにも」とだけ返した。


「そういや、今日じゃ無かったけ?先輩達の試合」


 隆志の疑問に『そんな事言われなくても覚えてますよ』と心の中で突っ込みを入れながら箸でちぎった豚玉を口に運ぶ。


『大好きな先輩が頑張ってる試合を忘れるわけが無いじゃない』


 そう口の中で独り言ちりながら、いつもと変わらない味のする口の中の物を咀嚼する。


「後でしっかし試合動画みるつもりだから、余計な事言わないでよね?」


 口の中身をしっかりと呑み込んだ後にそうそっけなく隆志に宣言する事も忘れない。

 実際、試合を応援に行った子が動画に取ってくれている筈なので、帰ってきたらそれを見せてもらう予定だ。

 だから、事前に情報を耳に入れたくは無かった。


「お! 先輩達、決勝戦にでるみたいだ! 決勝戦が午後からだって!」


 とは言え、ほんとは試合結果は早く知りたいのが佳那子の本音なので、隆志のスマートフォンの画面を上から覗き込もうとしたら、見えやすいように画面を向けてくれた。

 こういう所だけは気が利くのが返って腹立たしいなと思いながらも、佳那子は素直に画面の表示に目を落とす。


「準決勝77対44!結構点差付けて勝ったんだ! すごい!」

「う! あ、ああそうだね!」


 その画面を見て、つい興奮した佳那子は顔を近づけてしまっている事に本人は気が付かないが、隆志は満面の笑みの佳那子の顔が直ぐ真横に来た事に驚いて、慌てて身体を仰け反らせた。


「ちょっと、画面が見えないじゃない!」


 仰け反った拍子でスマートフォンの画面も逸れた事に佳那子が文句を言うが、隆志にとってはそれどころじゃなく、慌ててスマートフォンをポケットになおす。


「そ、それよりも先に弁当食べてしまおうぜ!」

「んーまぁ、決勝が始まる時間はまだ先だし別にいいんだけどね」


 そう言って佳那子はこちらの方を見ようとしない隆志に、呆れたように目を細めて溜息をついて弁当に箸をつける。


「な、なんだよ?」

「別にいいじゃない、あなたに呆れてるだけだから」

「っちょ! なんでだよ?」


 佳那子は焦っている隆志の反応が面白くて、少しだけ気分を良くして、くすくすと笑った。


「なんだよぉ……」


 不安そうにこちらを見上げる隆志に、佳那子は小ばかにするように口角を上げて見下ろして、腕時計に気が付いて質問した。


「珍しく隆志も腕時計つけてるの?」

「え? あ……」


 隆志は自分の右手首に巻いてる古いタイプのショックに強い腕時計に視線を落として眉を寄せる。


「ん? どうしたの?」

「……この腕時計に見覚えねぇの?」

「?」


 全く記憶にないのか、きょとんとした表情で首を傾げる佳那子を見て、隆志は大きく溜息をついた。


「五年前の誕生日に佳那子がくれたやつだよ……」

「……? あー! 思い出した! そうなんだ、まだ使ってくれてるんだね」


 佳那子は思い出せてすっきりしたような顔でそう言うと、直ぐに興味を無くしたように風に揺れる木立に視線を向けて、箸でつかんだソースの付いた小麦粉で出来た塊を口に放り込んだ。


「体育館の時計っていつ治るんだろうな? あのままだとすげー不便なんだけど」


 隆志は寂しそうな表情を一瞬浮かべるが、それを誤魔化すように別の話題を持ち出して愚痴ると、弁当箱から卵焼きを取って口に放り込む。

 

 そんな隆志に視線を落とした佳那子は、その弁当の中身にイラっとして自分の箸を突っ込むと、もう一個の卵焼きをつかんでそのまま自分の口に放り込んだ。


「はぁ!? ちょ! なに取ってんだ!」


 遅れて反応した隆志が文句を口にした時には、既に佳那子の口の中で咀嚼されている。

 勝ち誇った顔で見下ろす佳那子の表情に、隆志もムッと来たのか立ち上がると、佳那子の弁当箱に自分の箸を伸ばそうとして固まる。


「……マジ?」


 隆志が向ける憐みの目線に、何かが心にグサグサと突き刺さる傷みを覚えた佳那子の顔から、笑顔が消えて絶望した表情が浮かんだ。


「……やるよ」


 そういって、自分の弁当箱から揚げ一個を佳那子の弁当箱に移すと、隆志は無言で座り直す。


「ありがと……」

「おまえんとこのかーちゃん、変だよな……」

「まぁね……」


 二人とも無言でお弁当を咀嚼する。

 ほぼ同時に弁当箱が空になった二人は、同じような動作で蓋をしてバッグの中へ弁当箱をしまった。


「……ねぇ、神大じんだい先輩って彼女とかいるのかな?」


 暫しの沈黙の後、唐突にそんな事を口にする佳那子に、口の中の物を吹き出しそうになってなんとか堪えた隆志が見上げる。

 神大じんだい飛燕ひえん、二人にとって一つ上の先輩で男子バスケ部のエースだ。


「は? え? ……佳那子ってまさか神大先輩のこと!?」

「ストップ! ごめん今の忘れて!」


 佳那子は自分を隠すように両手を隆志に向けて開いて激しく振る。

 そんな恥ずかしそうに真っ赤に顔を染める佳那子の姿で、残酷な事実を突きつけたられた隆志は、愕然とした表情を浮かべた。


「……いないと思う……けど、いつからなんだ?」


 自分の声が思ったよりも低くなりすぎてる事に気づいて、なんとか明るい声になるようにと努力するものの、隆志は上手く声色を調整出来ないままに聞き返す。


「部活紹介の時、壇上でドリブルを披露した先輩を見た時に……かっこいいなって思って……」


 トキメキを抑えられないと言った感じに身体を捻る佳那子に隆志は眉間に皺を寄せて目を瞑る。

 それを聞かされる隆志は、今にも泣きそうな表情を浮かべているが佳那子は気が付かないままに話しを続けた。


「殆ど入学直後じゃん……」


 隆志にとってバスケは佳那子との絆のつもりだったのに、その絆が塗り替えられたようで、佳那子の言葉を聞いて心臓がギュッと締め付けられる痛みに顔を歪める。

 それでも、それを隠して何事も無かったような表情に取り繕うと佳那子を見る。


「それで、どうするつもりなんだ?」

「うん……迷ってるけど……考えてる」


 真っ赤になりながらも、どこか嬉しそうに下を向いて微笑んでいる佳那子の顔を、隆志は苦々しい気持ちで見上げる。


「隆志……どうかしたの?」


 そんな隆志の様子がおかしい事に気が付いたのか、佳那子は隆志を不思議そうに見下ろして首を傾げた。


「いや、なんでもない」

「そう?」


 隆志は立ち上がると、両手で自分の頬を数回叩くと「よし!」と言って、気合を入れて表情を笑顔に変えて石に座ったままの佳那子を見た。


「先輩が大会から戻ったら、それとなく聞いておいてやるよ!」

「ほんと!?」


喜色のこもった声で佳那子は声を上げるのを見て、隆志は柔らかい笑顔を彼女に向けると、元気よく答えた。


「ああ、だけど結果は知らんからな!」

「うん! わかってる! ……ありがとね?」


 佳那子のお礼に、隆志は複雑な表情を浮かべてそれを振り払うように、その場で準備運動を始めた。


「俺、ちょっと校庭走って来るよ!」

「え? 休憩はちゃんと取った方がいいんじゃない?」

「軽く流すだけだよ……走りたい気分なんだ!」


 佳那子は隆志の行動に訝しげな表情を浮かべると、一度溜息をついてから笑顔で自分と隆志のバッグを肩に担いだ。


「私は隆志のバッグも持って、先に体育館に戻るね?」

「え? いや! いいって!」

「大丈夫! お礼にこれくらいやらせてよ!」


 バッグを持った佳那子に慌てた隆志は断るが、佳那子はそのまま隆志を振り切って体育館に向かって走っていった。


 それを手を伸ばしたまま見送ると、隆志はその場にしゃがみ込み、佳那子の中途半端なやさしさにいたたまれなくなって、膝に顔を埋める。

 隆志は行き場の無い思いに胸の中をぐるぐると渦巻かせて、小さな嘆きの呻きをもらす。


 校庭では、そんな隆志をあざ笑うかのように『ジリジリジリ』と蝉の泣き声が響いていた。

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