38.終焉

「苦しみ抜いて、死ね。お前の罪だ」



 倒れ伏す彼を見下して言った【剣聖】は、しかし彼から距離を取るように後ずさる。

 痛みに耐えかねて地面に片膝をつき、必死に呼吸を繰り返して意識を保った。


(……回、復が、追いついて、いない、か)


 未だに胸の傷からは鮮やかな血が流れ出ている。

 魔剣に残る魔力全てを治癒能力に回しているが、追いつかないほどに魔力を消耗している。原因はそれだけではなく、彼の攻撃をまともに受けた事も含まれる。

 もろに受けてはいけなかった、と僅かばかりの後悔を感じた【剣聖】は彼に目を向けた。

 胸に大穴が空き、呼吸すら止まった彼。



 何かが、心の中で引っかかった。



 何か見落としているのではないか。

 第六感が警鐘を鳴らす。

 まだ、彼に何かを仕組まれている。

 だが、【剣聖】は自身でその考えを否定した。


「……あり得ないか」


 彼は滅ぼされた。

 【神滅属性】によって。例え人を遥かに凌ぐ能力や実力があろうと、『神』を滅する力は平等に神を滅ぼす。


(意識、が……)


 殺意のぶつけ合い、限界まで気力と体力を振り絞った事、感情を剥き出しにした事。

 意識が微睡かけるほどに疲れを【剣聖】は感じていた。意識を手放そうと、微睡に身を任せようとしたその時。



 反射的に、魔剣を構えていた。



 ──黒刀を防ぐために。



「ッ!?」


 あり得ない。あり得るはずがない。

 何故、何故、何故、何故、何故、何故。

 【剣聖】は、乱れた思考でしかしすぐに意識を張り詰めさせた。



 胸に大穴を空けたまま、彼が立ち上がっていた。



「反応出来るのか。……英雄、ってのはどいつも化け物揃いだな」


 彼は呟いた。

 胸の穴が塞がれていく。穴を埋めるように肉が集まり、血が流れ、元通りに。


 再生は意図的に止められていた。


 彼が【剣聖】の隙を突くために。


「何、で…………あり得ない!!」

「……そうだな」


 あまりに理不尽な光景。

 だが、【剣聖】の思考は高速でその答えを導き出した。

 『破滅の使者』というシスターの言葉。

 『神』ではなく『使者』。

 『お前は神なのか』という【剣聖】の問いに、彼は『笑って』みせた。

 『頷いて』はいない。



 彼は、神ではない。



 思い込まされていた。


 彼が、黒刀を構えた。


 魔力は心許ない。

 思考は纏まらない。

 身体は既に限界を迎えかけている。

 彼の攻撃を、止められない。


 それでも、魔剣を構えた。


 一つの壁を、今まさに【剣聖】は超える。



「【    】」



 迫る破壊の斬撃。

 【剣聖】は、魔剣を振るった。



「【 至 天 】」



 斬撃と斬撃が、お互いを喰らい合う。

 鮮やかな虹と虚無の黒。


 二つの攻撃は、その威力を開放し、完全に相殺し合う。衝撃波が辺りに広がり、地面を、地盤を、消し飛ばす。


 彼は衝撃波を受け止めて立っている。


 【剣聖】は片膝を地面について辛うじて耐えている。



 二人の体勢は、より顕著に両者の差を表していた。



 吹き荒れる衝撃波が二人の視界を阻害した。

 その瞬間から、二人は動き出した。

 彼は、真っ直ぐに【剣聖】へ。

 【剣聖】は、彼へ向かって立ち上がりかけたがすぐに膝をついた。重なっていた疲労、未だ完治していない負傷。

 それでも魔剣を構えて彼を迎え打とうと【剣聖】は足掻く。残り少ない魔力を全て魔剣の攻撃力へと変換、彼の攻撃を見極めた。


 黒刀が、【剣聖】の左腕を斬り飛ばした。


 だが左腕を犠牲にした【剣聖】は、右手一本で魔剣を振り抜いた。


 彼の黒刀を持つ右腕が、二の腕から斬り飛ばされ、離れた場所へと落下した。


「ッ、おおッ!!!!」


 続け様、彼の体へと魔剣が迫るが一瞬早く彼は【剣聖】を蹴り飛ばした。

 二人の距離が強引に開くその最中。彼は虚空へと左手を伸ばした。


(今さら、量産品の刀なんぞ……!!)


 疲労は見えていても、【剣聖】の正確な刃が彼を斬り裂く、そのはずだった。

 虚空へと伸びたように見えた手は、しかし彼の首に巻かれていた白のマフラーを掴み取っていた。



「【さずかりし未完みかんやいば】」



 燐光を纏って現れるは、白とも銀とも見える、荘厳な刃を持つ一振りの長刀。

 マフラーは、ただの見せかけ。

 黒刀と対比的な刃。

 無骨ではなく、荘厳。

 刃は刀であるとはいえ、薄く、鋭い。

 その刀を目にした【剣聖】は、憤りのままに怒鳴った。


「お前、まだ隠していたのか!?」

「……」


 彼は、答えない。

 ただ静かに霊刀を腰辺りに構えた。


「【刹那せつな】」


 その一撃を、【剣聖】は防げなかった。黒刀によって見慣れていた速度を、遥かに上回る速度。反して威力は黒刀よりは低い。


 だが、防御が間に合わなかった。


 かろうじて間に挟んだ魔剣を持つ右腕から出血。


 それでも強引に振るった魔剣が彼に迫る。



 戦闘は、拮抗していた。



 彼に、これ以上の秘密が無ければ。


 初見殺し。


 それは、一度限りの不意を突くための戦術。


 彼は、二つの秘密を持っていた。


 神では無い、という秘密。


 もう一つは、そう。


 今まさに振り下ろされんとする、魔剣がに弾かれた。


 驚愕し、止まりかける【剣聖】の思考。


 だが、その答えはすぐに導き出された。


「……ッ」


 結界。


 飛び道具のみを弾く、という特性があるように


 事実、彼は今この瞬間に至るまで魔術を防ぐ事以外には使用しなかった。


 彼の、最後の初見殺し。最後の秘密。



 魔力による吹き飛ばし──不可。

 魔剣による斬り返し──不可。

 魔術──不可。

 体術──不可。



 ──クソが。



 彼の視界に映る【剣聖】が、口汚く罵る言葉を最後に。


 【剣聖】の右腕が霊刀によって断たれ、傷から血が噴き出ると同時。


 霊刀が魔剣を叩き折った。


 空中で粉砕された刃が、陽を反射し光輝く。


 魔剣の力は、彼の霊刀と比べるべくも無い。


 返す刀で、彼は【剣聖】の首を斬り飛ばした。


 あまりにも呆気ない、最後だった。



──◆──



 砂のように変化して消えていく【剣聖】と魔剣。

 彼は、ただその様子を見つめていた。

 元は【剣聖】と魔剣であったそれが、完全に消えた、その時。


「……始まったか」


 彼の呟きに合わせるように、世界が割れた。

 地平線の先まで地面に亀裂が走り、赤とも黒とも見える光が溢れ出る。空は歪み、滅茶苦茶な色合いへと変化していく。


 魔剣の破壊による、世界の崩壊。


 元は【天魔】の安定化させた世界。

 その才能を移した魔剣が破壊された事で、世界の崩壊が始まった。

 最早止める事はできない。


 彼は不可逆的に変化していく世界を眺める。

 その表情は何の感情も感じさせない。

 自身の足元が揺れ、空が裂ける。


 彼は、終わりをもたらした。


 崩れていく世界に背を向け、彼は空間を薙いだ。


 現れた時と同じように。


 彼は、何の痕跡も残さず崩壊する世界から去っていった。

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