第26話

 次の瞬間、ジェロムは背後の殺気に反応して自身の長剣を引き抜いた。

 巨獣との戦いで受けた傷がまだ癒えておらず、脇腹に激痛が走る。それでもジェロムは、受け止めた剣戟を跳ね返し、攻撃者に蹴りを一発入れて間合いを取った。

 奇襲を仕かけてきたのは、先ほど近くの外郭塔を登ってきた城兵であった。その顔には何となく見覚えがある。ジェロムは、腹の底で唸った。


「まさか、そんな……」


 信じたくはなかった。

 だが、彼の祈る様な思いを嘲笑うかの如く、城門付近で聞き慣れた声が響き、疑惑を確信へと変えさせた。


「早く門を開け! お前は、狼煙を上げてモンディナーロ卿に開門を知らせろ!」


 城門の内側で大勢の城兵を指図し、門の閂を外しにかかっているのは、間違いなくマルセランであった。そして城壁上通路でジェロム率いる防備隊に攻撃を仕かけているのもまた、マルセランが連れてきた新参の城兵達なのである。

 ジェロムはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。


「なるほど、そういう訳でござったか。道理でひとりだけ、ぴんぴんしておった筈よ」


 呑気に鼻先を鳴らして、デュガンがふわりと軽やかに跳躍した。

 ジェロムは長剣を構えたまま、仰天して目を剥いてしまった。

 黒衣の巨漢は、相当な高さがある筈の城壁から飛び降り、何事もなかったかのように、中庭へと着地したのである。

 ジェロムに長剣を向けて対峙していた裏切りの城兵もまた、目を丸くして驚いていた。

 そこへ素早く我に返ったジェロムが長剣を叩き込み、一撃で昏倒させた。相変わらず負傷箇所が強烈な悲鳴をあげるも、それらの苦痛を全て無視して、ジェロムは外郭塔へと走った。


「どけっ!」


 その気迫に圧されたのか、他の裏切り城兵達はジェロムの長剣を避けるようにして左右に広がり、ジェロムがその間を駆け抜けてゆく。

 外郭塔に到達した時、丘の斜面から大地を揺るがす地響きが鳴った。

 既に開放された城門に向かって、数百もの敵兵が一斉に雪崩れ込んでこようとしているのである。

 城壁上の防備隊はあらかた倒されてしまい、石弓を放つ者はひとりも居ない。

 つまり、ルゥレーン城は完全な丸裸と化してしまったのだ。

 主塔や居館では、これといった動きはない。マルセランの裏切りが、まだ伝わっていないのだろう。

 このまま敵兵が雪崩れ込んできてしまっては、あっという間に居館も主塔も制圧されてしまう。

 既にデュガンは主塔へと走っているが、彼がそのまま居館にも連絡をまわすには、時間がなさ過ぎた。


(くそ、間に合うか!?)


 ジェロムは外郭塔内の螺旋階段を、飛ぶように駆け下りた。デュガンが間に合わないのであれば、自分が知らせるしかない。居館には、城付きの家士や避難民達だけしか入っていないのである。

 そしてその中には、ミネットも居る筈であった。

 城壁の外で、鬨の声が盛大にあがった。最早、敵は勝利を確信しているのだろう。


◆ ◇ ◆


 ジェロムは中庭に飛び出した。

 そこかしこで、怒号や悲鳴があがる。マルセラン率いる裏切りの城兵と、あくまでラヴァンセン公に臣従する騎士達や城兵達などが、城内での小競り合い規模の戦闘に及んでいた。

 だがジェロムには、味方に加勢している暇はない。今にも城壁の外から、数百という膨大な敵勢力が雪崩れ込みつつある。

 いち早く居館に連絡を取って防衛線を張らなければ、あっという間に呑み込まれてしまい、夥しい犠牲を出す結果となるだろう。


「ジェロム!」


 斜め後方から、怒声と殺気が同時に殺到してきた。ジェロムはその方角を長剣で薙ぎつつ、横っ飛びに跳んで転がり、慌てて姿勢を立て直す。

 直後、マルセランの長剣が頭上に迫ってきた。

 一撃二撃と受け止め、三撃目が来る前に、ジェロムは鋭く踏み込んで、今度は自分から上段に向けて切っ先を振り上げた。


「うぉっ!?」


 マルセランは慌ててのけぞり、その拍子で尻餅をついた。畳みかければ難なく切り伏せたかも知れないが、ジェロムは無視して、再び居館へと駆け出した。

 背後から、マルセランの甲高い声が追いかけてくる。


「い、今更もう遅いぞ! この城は落ちるのだ!」


 だから、何だというのだ――ジェロムは内心で悪態をついた。今はマルセラン如きに関わっている暇はない。一刻も早く居館に辿り着き、館内の皆に事態の急変を告げなければならないのである。

 再び鬨の声が響いた。今度は城門のすぐ外である。もう時間がない。

 ジェロムは息を切らせながら、猛然と走りに走った。居館の玄関に当たる大扉に取りつき、扉の金具に手をかけたが、開かない。内側から、閂を架けているようだった。


「開けろ! 開けてくれ!」


 木製の大扉を拳で激しく打ちながら、ジェロムは叫んだ。一瞬だけ、城門を振り返る。巨大な破壊槌を携えた敵兵の姿が、ちらりと見えた。

 あんなものを使われては、居館の玄関など、軽く打ち破られてしまうだろう。

 だが、誰も応じる者がない。中庭の騒乱に恐怖し、誰も取り合わないのだろうか。

 ジェロムは焦った。このままでは、館内の全員が敵の餌食になる。そうなってしまう前に、早く手を打たねばならない。


「僕だ! ジェロムだ! 早く開けてくれ! ここに居ては、皆やられてしまうぞ!」


 もう一度拳を振り上げて大扉を叩こうとした時、内側でごとり、と音が鳴った。

 次いで、中に引き込まれるようにして木製の扉面が消え、ジェロムの拳は空を切った。

 ようやく声が届いた、と安堵したのも束の間、今度は居館内から短槍の切っ先が飛び出してきた。

 ジェロムは慌ててのけぞり、間一髪のところでこの致命的な一撃をかわした。

 マルセラン配下の城兵だった。ジェロムは容赦なく長剣を振るい、短槍を叩き落した。

 だが、敵はひとりだけではなかった。更に別の裏切り城兵が、ジェロムの死角から攻撃を仕かけてくる。


(しまった!)


 受身の取れない態勢で、ジェロムは硬直した。

 このまま敵に貫かれるのを待つしかないのか――己の迂闊さを呪ったジェロムだったが、次の瞬間には、その敵は側頭部に鈍器による奇襲を浴びて昏倒した。


「ジェロム! 大丈夫!?」


 殴打用の木製武具を振り下ろした格好のままで、ミネットが安否を気遣う声を放った。彼女は最初に短槍を突き出してきた城兵をも気絶させて、ジェロムに駆け寄った。


「生きてる!? 怪我はない!?」

「あ、ありがとう、ミネット。今のは、本当に危なかった……」


 背中に冷たいものを感じながらも、ジェロムは心底胸を撫で下ろした。

 が、安堵していられたのも、ほんの一瞬だった。

 再び城門方面に振り向くと、敵兵の乱入が始まっている。中庭を突破してここへ到達するのも、時間の問題であろう。

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