第19話

 デュガンが構える。巨獣が狙いを定める。一瞬の睨み合い。直後に巨獣が噛みつく。それを寸前のタイミングでデュガンがかわす。

 基本的にはこの一連のやり取りの繰り返しであったが、問題は最後の部分。デュガンが攻撃をかわした直後。ジェロムはそこに、一定の間があると感づいた。


(これは、もしかして)


 勘違いかも知れないし、そうではないかも知れない。

 ジェロムは再度、デュガンと巨獣の攻防にじっと目を凝らした。

 特に、巨獣が空振りした直後に注目する。

 巨獣が動いた。

 これでもう、一体何度目の攻撃になるのか分からないのだが、巨獣は全く飽く様子も見せずに、デュガンめがけて牙の列を殺到させた。

 そして矢張りデュガンはそれまでと同様、大きく開かれた顎が自身に達する直前で、螺旋を描くようにして身を翻し、横っ飛びに跳躍する。

 その瞬間を、ジェロムは口の中でぶつぶつと数を読みながら凝視した。

 極端な前傾姿勢で首を伸ばし切った姿勢のまま、巨獣の動きがぴたりと止まった。

 それも一瞬ではなく、確実に一秒以上は停止している。頸部の筋肉が収縮し、巨獣が上体を起こすまでには、少なくとも三秒はかかっていた。

 ジェロムは、両手に携える短槍の柄を握り直した。


(……見切ったぞ)


 確信を抱いた。もう、間違いない。

 見たところ、巨獣は大体三回連続で噛みつき攻撃を繰り返す。一度目と二度目では、空振り直後の隙はほとんどないのだが、三度目の空振りで、全身が硬直するようであった。


(あの速い動作に、首まわりの回復が追いつかないのか)


 そう判断した。

 いや、もしかしたらわざと隙を作って、誘っているのかも知れない。

 しかしそういった疑問を持ち始めたらきりがないのである。

 ここはもう己の観察眼を信じるしかないだろう。

 短槍を腰だめに構えて、ジェロムは岩場の上を駆けた。

 丁度巨獣が、三連続攻撃の一度目を終えた直後である。このタイミングで突入すれば、三度目の空振り直後の硬直時に、短槍の穂先を巨獣の頭部に突き立てられる筈であった。

 ジェロムの眼と鼻の先で、巨獣の牙が三度目の空を切る。まさに、狙った通りであった。


「食らえっ!」


 気合一閃。

 両手で柄を握った短槍を大きく振りかぶり、ジェロムの目線と同じ高さにある巨獣の右側頭部めがけて、一気に突き下ろそうした。

 その時、理性の欠片もない巨獣の無機質な右眼が、ぎょろりと蠢いてジェロムを見た。次の瞬間、ジェロムの胸から腹にかけて、巨大な破壊鎚で殴られた様な衝撃が走った。


「うっ……ぐはっ!」


 視界が反転し、天地が逆になった。宙を舞う浮揚感。

 その直後、ジェロムは岩畳の上で数度跳ねるように転倒し、全身をしたたかに打ちつけた。

 不思議なほど、痛みはなかった。その代わり腕や脚が麻痺してしまい、直前まで握っていた筈の短槍は、どこかへと放り出してしまっていた。


「ジェロム! いやぁっ!」


 ミネットの悲鳴が夕闇を裂いた。

 ジェロムはその声を、茫漠とした意識の中で他人事のように聞いていた。


(……遅れた)


 それでもジェロムは、自分でも不思議なほど落ち着いた気分で、先ほどの失敗を冷静に分析していた。

 岩の上で大の字に仰臥し、ジェロムはぜぇぜぇと苦しい呼吸に悩まされた。鉄を舐めた様な独特の味が、喉の奥から込み上げてくる。咳き込むと、口のまわりが血で汚れた。

 巨獣が岩場を踏む振動が、ジェロムの背面全体から伝わってくる。

 寝ている場合ではない。起き上がろうとしたところでようやく、気を失いそうになるほどの激痛が全身に走った。

 ジェロムは、血にまみれた口の中で歯を食いしばった。


「大丈夫なの!? ねえ! ジェロムったら!」


 ミネットの悲痛な呼びかけに、しかしジェロムは答えず、ゆっくりと立ち上がった。

 両脚が、がくがくと震えた。

 恐怖によるものではない。肉体が、受けた打撃から全く回復し

ていないのだ。ジェロムは気力を振り絞り、必死の形相で上体を起こした。

 背負っていたもう一本の短槍を両手に取りながら、ジェロムは手酷い一撃を食らった瞬間を思い出した。

 巨獣はジェロムが短槍を突き下ろす直前に、頭を薙ぐように振ってきたのだ。

 いわば横っ面で頭突きを仕かけてきた様なものだ。巨獣にしてみれば僅かな動作であったのだろうが、その太い首を形成する膨大な筋肉を駆使しての一撃である。

 人間のジェロムにとっては、この上もない強烈なカウンターとなった。


(あのタイミングじゃ、遅過ぎたんだ)


 激しく咳き込み、大量の血反吐をぶちまけながら、ジェロムは悔しさで拳を握り締めた。決して狙いは悪くなかったのだが、方法に問題があったのだ。


「ジェロム殿、もう一本!」


 突然、デュガンが大声で呼びかけてきた。

 依然として彼は、巨獣の攻撃をかわし続けている。しかし疲労は確実に蓄積されてきているらしく、明らかに呼吸が乱れ始めていた。

 激痛に耐え、脂汗にまみれながら、ジェロムは大きく頷いた。痛い痛いと嘆いている暇はない。体がばらばらになろうとも、あの巨獣だけは撃退しなければならないのだ。

 ジェロムは素早く左右を見まわした。


(よし、あれだ!)


 人間がひとり、身を隠せるほどの大きさの岩が、視界に飛び込んできた。ジェロムはすぐさま、短槍の穂先でその岩を指した。


「デュガン殿、あそこで!」


 ジェロムの呼びかけに、デュガンは一瞬だけ穂先が指す方向を見やり、それから頷き返してきた。恐らく、ジェロムの意図を理解したのであろう。


(やってやる……今度こそ、やってやるぞ)


 体中のあちこちが、張り裂けんばかりの悲鳴をあげる。しかし一切の苦痛を無視するが如く、ジェロムの面には凄惨な笑みが浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る