第14話

 調査隊がクルザール隊壊滅の現場付近に到着したのは、正午を少し過ぎた頃であった。

 森に覆われたふたつの丘の間を走る細長い窪地で、エモンラニエ城域までは、まだ少し距離がある。道らしい道はないが、一帯には背丈の低い草が生い茂っていた。

 春から夏へ移行しつつある時期である。降り注ぐ陽光は決して弱くはなく、革鎧を着込んだ一行にとっては、疲労を倍増させるだけの暑気が充満していた。

 幸いにも、左右の丘の上から時折、樹々の香りを含んだ風が吹き下りてくる。少し休憩を取れば、すぐにでも調査活動に入れそうな雰囲気ではあった。


「ここで昼休憩を取る。食事は手早く済ませるように」


 指示を出してから、ジェロムはふと、右手の丘の上に視線を這わせた。人影が見えた気がしたのである。

 するとミネットが傍らに寄ってきて、ジェロムと同じ方向に目線を固定した。


「ねぇジェロム、あそこ……」


 どうやら彼女も気づいていたらしい。

 ジェロムは小さく頷いた。

 矢張り、間違いない。

 右側の丘、その上に広がる森の縁にあたる箇所に黒い人影がしゃがみ込んでいた。

 抜ける様な蒼い空と、豊かな濃淡のコントラストを見せる緑の樹々と草原。

 その中に一点だけ、ぽつんと墨を落としたように浮かび上がる黒い影は、どうやらこちらの存在に気づいたようである。

 立ち上がると、のっそりとした足取りで、丘の斜面を下りてきた。

 近づくにつれ、黒い影が見上げるほどの巨躯であると分かった。顔かたちが分かる位置にまで歩み寄ってきたその人物の正体を、ジェロムは少し前から見抜いていた。


「これはスキュルテイン卿。何故この様なところに?」


 いささか強張った表情でジェロムは訊いた。

 黒衣の大男は、調査隊の面々を茫漠とした表情で眺めながら、尚もゆっくりと足を進めてきた。


「堅っ苦しいのはなしにしましょう。デュガンで結構です、ジェロム殿」


 相変わらず渋みのある、太い声音である。

 ジェロムより頭ふたつかみっつ以上は上背があるものの、その容貌はこの体躯にしては随分端整な方だといって良い。


「それにしても、存外速かったですな」

「ではお言葉に甘えてデュガン殿……貴卿も、調査にいらっしゃったのですか?」

「ブランシェーヌ姫が、是非手伝いをしてこいと仰せでござってな」


 デュガンは、どこかすっとぼけた調子で答えた。ブランシェーヌの名が出た時、一瞬ミネットが表情を輝かせたようにも見えたが、ジェロムは無視して更に言葉を続けた。


「そうでしたか。今回は状況が状況ですし、お力添えは大変ありがたく存じます」

「しかしジェロム殿。本件はちぃっと厄介な問題になりそうな気がしますぞ」


 何故か渋い表情のまま、デュガンはじっと足元を見つめている。ジェロム達も釣られて、同様に薄緑色の下生えが生い茂る地面を眺めた。

 が、何も見つからない。

 ジェロムはさっぱり訳が分からなかった。彼は面を上げて、依然として視線を落としている漆黒の巨漢に問いかけた。


「デュガン殿、足元に何か?」

「……少し後ろに下がって、よくよくご覧あれ」


 ジェロムはデュガンにいわれた通りに、数歩退いて、それまで自身が位置を占めていた辺りの草地を、更に凝視した。

 ひたすら見詰め続けて数分。ジェロムはあっと叫び出しそうになるのを懸命に堪えた。

 それまで彼は全く気づかなかったのだが、そこに、あり得べからざる形が刻まれていたのである。


「これは、一体何だ」


 しばらくして、ジェロムはようやく声を絞り出した。ミネットや他の調査隊員達は、まだ何も発見出来ていないのか、不思議そうな面持ちでジェロムとデュガンを交互に見やった。

 生い茂る草に覆われている為、ぱっと見には、すぐに気づかなかった。しかしジェロムは確かに、草の下の地面にあるものが残されている事実に、驚愕の念を隠せなかった。

 それは、巨大な足跡のようであった。

 鳥類を連想させる三つ指の先端は尖っているらしく、爪先は特に深く窪んでいた。同様に、踵に相当する箇所も爪先とほぼ同程度の深さにまで沈んでいる。

 この踵から指一本の爪先までは、成人の足裏をふたまわりほど長くした程度に過ぎない。しかし三つ指全ての分の面積を合わせると、これは相当大きな生物の足跡であると理解すべきであった。

 ジェロムは、腰に吊るした長剣を鞘ごと革帯から外した。その鞘の先で、巨大な足跡の外郭をゆっくりとなぞる。

 ミネットと他の調査隊員達はこの時初めて、表情を凍りつかせた。穏やかな陽射しを一杯に浴びて、暖かな午後を迎えようとしている筈なのに、その一角だけが薄ら寒い空気に包まれたかの如く、調査隊の面々は一様に青ざめていた。


「な、何よ、これ……」


 ごくりと生唾を飲み込んでから、ミネットが呆然と呟いた。ジェロムとて、今気づいたばかりなのだ。答えようがない。

 唯ひとり冷静な視線を地に這わせていたデュガンは、ジェロム達の狼狽を嘲笑うかの如く、更に彼らの胆を冷やす言葉を吐き出した。


「あの丘の上に広がる森の中に、モンディナーロ隊の壊滅現場がござってな。この足跡は、そこから続いてきておる」


 デュガンが、つい先ほど斜面を下ってきた丘に視線を転じた。

 ジェロム達調査隊の全員が、デュガンの視線を追った。右手の丘の上で緑の屋根を形成する樹々は、静かな風に吹かれて他人事のようにざわめいている。

 壊滅現場に行くべきかどうか、ジェロムは迷った。しかしデュガンは既に別方向に面を転じている。もっと重要な何かを追跡すべきだ、とでもいうように。


「この足跡は、どうやらロワールまで続いているようですな」


 思わずジェロムは、デュガンと同じ方向に目を向けた。

 起伏のある草地や点在する樹々に遮られている為にここからでは見えないのだが、その先の遥か向こうに、ロワール川の豊かな流れが横たわっている筈である。

 巨大な足跡は草の下に紛れており、一見しただけではなかなか見分けづらい。

 それでも確かに、ジェロムは足跡の主がロワール川に向けて立ち去った痕跡を、その目でみとめた。

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