(5)地域信仰(N教)と校則群の関連性
前項で示した校則群の形成と変遷の経緯は,鴉在町において特定の教育理念を持つY氏の着任から始まり,その規模・反倫理的思想がエスカレートしていく様子を認めた.本項では,それら校則群がY氏の信仰していた地域信仰(N教)の教義や時代背景が大きく影響している可能性を示し,具体的にどのように関連しているのかを考察する.
5.1. N教の教義における「浄化」の思想,およびY氏の信仰の反映の一例
N教の教義は,外部からの不可視の「穢れ」や「不浄」から身を守り,共同体の「清浄」を保つことを重視する思想が強く見られる(別紙8).特に,海辺や境界領域に潜むとされる特定の「存在」からの防衛,および特定の物質や行為が持つ「浄化」や「魔除け」の力に関する記述が教義書に複数確認された.
例) 浄化と魔除けに関する教義
・一日五回,手と足を真水で清めること.
・地面に落ちたものを拾い上げた際には必ず竈の火にくべ魔を祓う.
・子どもを神に取られないために,魔除けの犬を飼う.
・子どもが海の魔に触られないように,満潮時には子どもを家に入れておく.
これらの教義は,Y氏が鴉在町の学校に着任後,主導的に導入した校則群の内容と一部で一致を見せる.Y氏は,自身の教育観や「子どもたちを守る」という強い執着のもと,これらの教義を具体的な学校規則へと落とし込んだと考えられる.彼の教育的指導は,個人の信仰に基づいた特定の規範を,公教育の場において児童生徒に義務として課すという点で,日本国憲法が定める政教分離の原則から著しく逸脱していたと評価せざるを得ない.
Y氏は,校則導入の際に「児童の安全確保」や「地域の伝統尊重」といった名目を用いていた.しかし,その実態は,彼個人の信仰するN教の教義を教育現場に持ち込み,児童生徒に強制する行為に他ならなかったと考えられる.彼の異動先である鴉在町内の全ての学校で同様の校則が導入されていった事実は,Y氏の強い影響力と,彼が自身の信仰を公教育のカリキュラムの一部として位置づけようとした意図を裏付けている.
5.2. オカルトブームとN教の地域社会への浸透
N教が鴉在町に影響力を拡大し,その教義が校則として定着していった背景には,当時の社会状況,とりわけ1970年代と1990年代の二度のオカルトブームが深く関連していると考えられる.(15
1970年代に日本を席巻した第一次オカルトブームは,超常現象や未確認生物,心霊現象などへの関心を一般大衆に広めた(15.科学では説明しきれない事象への好奇心や不安が社会全体に広がる中で,N教のような特定の「不可視の存在」への対処法を提示する団体は,人々の精神的な拠り所となり得た.この時期にN教の信者数が増加し始めたことは,ブームとの関連性を示唆している(16.Y氏が校則の「創始」期に地域住民に受容された背景には,こうした社会的な「怪奇現象」への関心や,それに対する「防衛策」への潜在的な需要があったと推察される.
さらに,1990年代の第二次オカルトブームは,世紀末思想や終末論と結びつき,より一層,人々の不安を煽る側面を持っていた.この時期Y氏が退職した後も,校則が維持され,加えて一度廃止されても短期間で再制定されるという現象は,N教が地域社会において盤石な影響力を確立していたことを物語る.保護者の校則に対する受容度が大きく向上した時期もこのオカルトブームと重なっており,「子どもたちの奇行が増えた」という証言が校則再制定の動機となった背景には,超常現象に対する集団的な不安や,N教が提供する「安心」への傾倒があったと考えられる.N教は,こうした社会の動向を巧みに捉え,その教義が地域を守るための「必要な規範」であるという認識を広げていったのではないかと考えられる.
5.3. 校則とN教教義の具体的な関連性の考察
N教の教義(別紙A)と校則群の内容を詳細に比較分析した結果,両者の間には以下の顕著な類似点と関連性が認められ,これらがY氏の信仰と当時の社会状況によって強化されたと見られる.
(1)水辺・境界への過剰な警戒と行動制限
N教の教義では,海辺や一種の境界領域が「穢れ」の侵入経路となる可能性が示唆されている.これに対し,校則では「潮干狩りの禁止」「バス最後部座席の禁止」「背中が開いた服装の禁止」「扉の開閉管理の徹底」「校門前の水撒きと環境維持」「盛り塩の禁止」といった規定が確認された.これらは,教義における海辺や境界に関する過剰な警戒思想が,児童生徒の行動に不必要にまで介入する形で反映されたものと考えられる.
(2)「名」と「情報」の不合理な秘匿
N教の教義において,「真の名」や「個を特定する情報」が特定の存在に知られることへの強い警戒が読み取れる.これに対応するように,校則では「呼び名」の義務化とその構成」が設けられ,本名ではない仮の名称を使用することが義務付けられていた.これは,N教の教義における情報秘匿の思想が,児童生徒の「名」の扱いにまで適用され,そのアイデンティティ形成を阻害する可能性を持つ.
(3)特定の物質や行為による「防衛」と「処理」の強要
N教の教義には,特定の獣毛(狼や犬など)が持つとされる「守護」の力や,酸味のあるものが「不浄」を退けるという記述が見られる.これらは校則における「特定の獣毛の携帯」や「弁当への梅干しの義務化」といった規定に対応する.さらに,教義における「不浄物の完全な排除」や「特定の儀礼を通じた供物の処理」といった思想は,校則における「落とし物の焼却」や「落とし物をした際の特定文言口上」と強い関連性を持つ.特に,落とし物時の口上とされる文言がN教の経典に類似の形で記載されていることが確認された.これらの行為は,児童生徒に特定の信念を強要し,合理的な思考を阻害する可能性がある.
(4)「生贄」と「穢れ」の倫理的に問題のある概念
N教の教義には,「共同体の安全を保つための供物」や「特定の対象を穢すことで危険から遠ざける」という概念が存在する.校則における「特定の動物の生体処理」は,N教の教義における供物の概念と酷似しており,その埋葬方法や「穢れた存在となる」という説明も教義の内容と符合する.また,「殺生時の身体処理の義務」も,動物の遺体を細分化して町中に埋めることで「穢れを拡散・薄める」という,教義における極端な実践形態と見なすことができる.これらの規定は,児童生徒に教えるべき命の尊厳や,倫理観に深刻な影響を与えかねない.
(5)「眼」と「視覚」への不合理な警戒
N教の教義には,特定の存在が「目」を介して対象を認識し,侵入するとされる記述が見られる.校則における「水玉模様の着用禁止」は,「水玉模様が特定の存在が子どもたちの日常を垣間見る『目』や『水』の象徴となる」というN教の信条と直接的に結びついている.また「校内特定箇所での鏡の設置禁止と持ち込み制限」も,鏡が水面を映すことで「呪術的な水鏡となり,海の魔が陸地に上がる要素となる」という教義から派生した規定であると考えられる.これらの校則は,児童生徒の視覚情報に対する不必要な制限となり,その自由な表現を妨げている.
以上から,鴉在町の特異な校則群は,単なる教育的な規定の逸脱に留まらず,Y氏による政教分離原則の逸脱と,オカルトブームに乗じて明文化されたN教の教義の強要が深く関連していると結論付けられる.Y氏の着任から始まり,N教の信者数増加と保護者の受容度向上,そして校則廃止後に見られた児童生徒の「奇行例」は,これらの不合理なルールと時代背景が相乗効果を生み出し,児童生徒の行動や心理状態に極めて大きな負の影響を与えていたことを示唆している.現在も確認されている「奇行例」および「N教」の派生団体の存在を踏まえ,鴉在町の教育環境は,公教育の場として適切であるか,厳しく再検討されるべきである.
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