帝都風流伝~風読み姫と冷徹皇帝~

みつまめ つぼみ

第1章

第1話 敗戦

 侍女のハリエットが、不安気な声で私に告げる。


「カミーユ様、どうかお逃げください。

 国王陛下が耐えてらっしゃる間に、裏手から脱出するのです」


 私は祈りを中断して目を開ける。


「駄目だよハリエット。私はお父様が勝つって信じてる。

 信じてる私が逃げたら、王宮内の兵士たちも不安になるもん」


 ルシオン帝国は強大――それは知ってる。


 だけどお父様だって歴戦の騎士だったし、我が国の兵士も決して弱くはない。


 王都前の決戦で追い詰められてるけど、お父様がむざむざやられっぱなしのわけがない。


 再び祈りを捧げる為に目をつぶった私の耳に、兵士の慌てた声が飛び込んでくる。


「――カミーユ様! お逃げください!

 国王陛下の軍が敗れました! 間もなく帝国軍がここに来ます!」


 ――そっか、負けちゃったか。


 私は小さく息をついて椅子から立ち上がる。


「お兄様とお姉さまは? ちゃんとお逃げくださったかしら」


「はい! ただいま裏手より脱出しております!」


 そっか、それなら大丈夫だ。クレルフロー王国は負けたけど、滅びたわけじゃない。


 私は笑顔で兵士に告げる。


「お母様の所へ行くわ。お一人じゃ心細いでしょうし、せめて私が傍に居ないと」


 歩き出す私に、ハリエットが金切り声を上げる。


「カミーユ様もお逃げください! 相手はあの冷徹皇帝です! 命の保証はないのですよ?!」


「それなら、なおさらお母様の傍に居て差し上げたいわ。

 ハリエットはお逃げなさい。今までありがとう」


 私の笑顔に、ハリエットが床にくずおれた。


 彼女のすすり泣きを聞きながら、私は王宮の廊下を歩き出した。





****


 不安気なお母様の手を握りながら、一緒に謁見の間で兵士に囲まれる。


 みんな緊張してるなぁ。顔が青ざめてる。


 やがて謁見の間の重たい扉が開き、一人の青年が姿を現した。


 長身で黒髪、整った顔と鋭い目つき――何より、感情の欠片もない眼差し。


 その背後から、帝国兵に縛られた鎧姿の――お父様?!


「お父様、ご無事でしたの?!」


 慌てて駆け寄ろうとする私を、お母様が抱き留める。


「駄目よカミーユ! 近寄らないで!」


 お父様も苦し気に私に顔を向けて告げる。


「……カミーユ、なぜ逃げなかった」


 お父様は傷だらけだけど、手当はされてるみたいだ。


 コツリ、コツリとゆっくりと歩み寄ってきた青年が口を開く。


「お前たちが王妃と王女か」


 私は青年の冷たい眼差しから、お母様をかばうように前に立った。


「そうよ。貴方は誰?」


 青年がフッと笑みを浮かべて答える。


「お前の国を征服した男の名を知りたいのか?

 その勇気に免じて教えてやろう――ジルベール・ルシオン。帝国の皇帝だ。

 これを知ってもなお、ひざまずかずにいられるのか?」


 お母様が腰を落とす音が聞こえた。


 でも私は両足でしっかりと床を踏みしめ、胸を張って答える。


「私たちを殺すの? いいわ、やりたいならやりなさい。

 それでもクレルフロー王家は終わらない。必ず王国を取り戻して見せるわ」


 私の意思を込めた眼差しを、ジルベール皇帝は冷たい眼差しで受け止めていた。


「裏手から逃げた王族なら、全員捕縛してある。

 ――連れて来い!」


 お父様に続いて、お兄様とお姉さまも兵士に槍で追われながら、謁見の間に現れた。


「お兄様! お姉さま! ご無事ですか?!

 ――貴方! 何が目的なの?!」


 私が鋭く睨みつけると、ジルベール皇帝が冷たい微笑みで告げる。


「……クレルフロー国王よ。子供たちの中で一人だけ、命を助けてやろう。

 それ以外は処刑する――誰を救いたい?」


 私は割り込むように声を上げる。


「そんなの、お兄様に決まってるじゃない!」


 私の背後からお母様が私を抱きしめてくる。


 お兄様とお姉さまも、兵士たちから離れ、弾けるように私に駆け寄ってきた。


「この子だけは! カミーユだけはお助け下さい!」


 ――何を言ってるの?! お兄様が死んだら、王家が潰えちゃう!


「お母様?! お兄様、お姉さまも! お気を確かに持ってください!」


 ジルベール皇帝の背後で、お父様が渋面を作って告げる。


「……ジルベール皇帝、たった一人であれば、その子だけは救ってやってもらえないか。

 敗残の王が、命を持って贖う。人としての情があるならば……頼む」


 私は混乱しながら、抱き着いてくるみんなを必死に振りほどこうとあがいた。


「私の命より、王家の存続を考えて下さい! お父様も正気に戻って?!」


 ジルベール皇帝の手が、私の顎を持ち上げた。


 その目が値踏みをするように私を見つめてくる。


「……よかろう。ではこいつを俺の妃とする。

 この娘の命が惜しければ、大人しく帝国に服従しろ。

 逆らえば、むごたらしい死をこの娘に与える――理解したならひざまずけ」


 兵士から解放されたお父様が、唇を噛み締めながらゆっくりと膝を床に付けた。


 お母様もお兄様も、そしてお姉さまも、私から離れてジルベール皇帝にひざまずいていく。


「みんな待って?! これはどういうことなの?!

 私、こんな人の妃になんてならないわよ?!」


 ジルベール皇帝の手から逃れ、お母様に縋りつく。


 お母様が悲し気な瞳で私に告げる。


「カミーユ……ごめんなさい。貴女には幸せな婚姻を用意してあげたかった。

 力が及ばない私たちを、どうか許して」


「お母様?! 私のことなど気になさらず、王家復興の為に立ち上がってください!

 まだクレルフローは負けておりません!」


 お兄様が私の肩に手を置いて微笑んだ。


「そうだ、まだ負けていない。だからカミーユも耐えてくれ。

 必ず私がお前を助け出す。それまで、辛くとも耐えて欲しい」


「お兄様……」


 ジルベール皇帝の冷たい声が謁見の間に響く。


「その娘を連れて行け! 我が妃だ、丁重にな。

 ――クレルフロー国王よ、一時間だけ待ってやる。

 その間に娘の支度を整えさせろ」


 私の周囲を、帝国兵が取り囲んだ。


 槍先で脅されようと、私は胸を張り続けた。


 私に触れようとする帝国兵に告げる。


「触らないで! ……一人で歩けます」


 身を翻して謁見の間から去るジルベール皇帝の後ろを、私は睨みつけながら追いかけた。





****


 私は帝国の馬車に乗せられ、見張りの帝国兵と共に帝国へ向かっていた。


 後ろからは我が国の馬車が一台。一時間で詰められる荷物だけを運んできてるみたいだ。


 ――捕虜かぁ。こういうの、人質婚っていうんだっけ。


 十六歳であんな年上の夫か。嫌だなぁ。


 私はふと、隣の帝国兵に尋ねる。


「ジルベール皇帝は何歳なのかしら」


 帝国兵が怪訝な顔で私を見た。


「……陛下は今年で二十四歳になられた。それがどうした?」


 うげぇ、八歳も年上か。きついなぁ。


 せめて優しい人なら良かったんだけど、あんな冷たい人じゃ愛せる気がしない。


「そ、ありがとう」


 それだけを帝国兵に告げると、私は窓の外を見た。


 んー、『この風』は……一雨来るなぁ。


「雨で行軍が遅れるわね。外の帝国兵たちは大丈夫なの?」


 隣に座る兵士から、戸惑うような声が聞こえる。


「何を馬鹿なことを言ってる。雲はあるが晴天だろうが」


「にわか雨がくるのよ。帝国兵とはいえ、雨に濡れたら体調を壊すわ」


「何を馬鹿なことを……我が帝国の精兵は、そんな軟弱ではない!」


 私は小さく息をついた。


 自分が馬車の中に居るからって、のんきな物ね。


 ふと窓の外に、何か『風に乗って流れてくる文字』が見えた。


 ……なんだろう? 風に文字?


『どうか、カミーユが泣かずに耐えられますように』


 その祈りのような風が、馬車の周りに付きまとうように流れていた。


 つむじ風のような風は、しばらくすると掻き消えてしまった。


 ……なんだったんだろう?


「ねぇ、今の風を見た? 文字が風に書いてあったの」


 振り向いた私に、帝国兵が眉をひそめて答える。


「馬鹿を抜かすのも大概にしておけ。何も見えなかったぞ。

 気が違った振りをすれば、助かるとでも思ったか」


「そういう意味じゃないんだけど……」


 どうやら、帝国兵たちはあの風に気づかなかったらしい。


 私はため息をついて、馬車の座席に体を預けた。


 やがて空が暗くなり、にわか雨が降り始める。


 雨脚が強まる中、私を乗せた馬車は帝国へ向け、静かに駆けていった。

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