第2章-1:静寂の食卓、運命の宣告

その夜の夕食は、奇妙な静寂に包まれていた。


テーブルの上には、母さんが作った温かい肉じゃがが湯気を立て、炊きたてのご飯の甘い香りがリビングに満ちている。豆腐とワカメの味噌汁、ほうれん草のおひたし。いつもの、俺が好きな、我が家の夕食だ。

母さんは、テレビのバラエティ番組を見ながら「この芸人さん、面白いわねえ」と屈託なく笑っている。その陽気な声だけが、この重苦しい食卓で唯一、明るい色を灯していた。


俺は、黙々と箸を進めた。

肉じゃがは、いつも通り完璧な味付けのはずなのに、口に入れると、まるで砂を噛んでいるかのように味がしない。じゃがいものほくほくとした食感も、人参の甘みも、舌の上をただ滑っていくだけだった。


向かいに座る父さんは、ただ静かに食事をしている。背筋を伸ばし、迷いのない所作で箸を動かす。テレビに目を向けるでもなく、俺と母さんの会話に入るでもなく、まるで空気の彫像のように、そこに存在していた。だが、その静けさは、嵐の前の静けさのように重く、リビングを張り詰めた空気で満たしていた。


時折、父さんの視線が俺に注がれているのを感じる。それは、責めるようなものではない。かといって、心配するようなものでもない。ただ、何かをじっと観察し、見極めようとするような、底光りする鋭い視線だった。

その視線は、まるで外科医のメスのように、俺が必死に隠している「普通の高校生」という薄皮を一枚一枚剥ぎ取り、その下にある得体の知れない「何か」を暴き出そうとしているかのようだった。

父の前では、俺はただの鳴神悠真ではいられない。鳴神家の跡取り、この血に流れる呪い、そして――化け物。その視線は、俺にその事実を絶え間なく突きつけてくる。


だから逃げたい。

この息の詰まる食卓からじゃない。俺に課せられた、この訳のわからない運命そのものからだ。


俺は、その鋭い視線から逃れるように、ほとんど無意識にご飯茶碗の中へと意識を沈めた。白い米粒の海。そこには、この忌まわしい力も、制御できない衝動も、何も無い。ただ、空腹を満たすためだけの、ありふれた食事がそこにあるだけだ。その小さな世界に閉じこもることだけが、今の俺にできる唯一の抵抗だった。


「悠真、ごちそうさまは?」


母さんの声に、俺はハッと我に返った。いつの間にか、茶碗は空になっていた。自分が何をどう食べたのか、全く記憶にない。


「あ……ごちそうさま」


テレビから視線を外し、俺がすぐに席を立つのを見て、母さんは心配そうに眉を寄せた。


「今日は早いじゃない。部活、疲れたの?」


「うん、まあ……」


俺は椅子を引く音すら立てるのが憚られ、ゆっくりと腰を上げた。早く、この場から消え去りたい。一刻も早く、自分の部屋という狭い聖域に逃げ込みたい。

父さんのいるこの空間は、まるで水中にいるかのように空気が重く、息をするたびに肺が軋むような錯覚に陥る。壁も、天井も、テーブルも、全てが俺を責め立てているようだ。背中に突き刺さる父さんの沈黙の視線が、見えない鎖となって俺の足に絡みつく。

それでも、俺は一歩を踏み出した。自室のドアノブに手をかける、その瞬間だけを考えて。


「悠真」


背後から、低く、静かな、しかし部屋の隅々まで染み渡るような声がかかる。父さんの声だ。

その一言が、まるで冷水を浴びせかけたかのように、リビングの温かい空気を一瞬で凍てつかせた。さっきまで楽しげに響いていた母さんの笑い声が、途中でぷつりと途切れ、テレビの中の芸人たちの声は、まるで遠い異世界から聞こえてくるかのように、空虚に響く。ダイニングテーブルを照らしていた暖色の照明さえ、なぜか色を失い、冷たく無機質な光に変わったように感じられた。


空気は重さを増し、息をするたびに、ガラスの破片を吸い込んでいるかのような痛みが胸を走る。全ての音が消え去った静寂の中で、俺はただ、宣告を待つ罪人のように、その場に立ち尽くすことしかできなかった。


「少し、話がある。道場に来なさい」


その言葉は、命令でも懇願でもなかった。ただ、有無を言わさぬ、絶対的な決定事項として、俺の鼓膜を震わせた。それは、逃げ場のない、運命の宣告。

今まで見て見ぬふりをしてきた、得体の知れない自分自身との対話を、もう先延ばしにはできないのだと、そう突きつけられた気がした。ああ、ついに、この時が来てしまったのか。どこかで予感していた審判の時が。


俺は、ゆっくりと息を吐き、見えないギロチンの刃が落ちてくるのを待つ罪人のように、ただ、その運命を受け入れるしかなかった。腹の底で、冷たい決意が固まる。

ドクン、ドクンと、心臓が肋骨を内側から叩く、不吉で力強い音が、頭の中に直接響き渡った。

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