第7話 ギャップ萌え
「おはようございまーす」
翌日、出勤すると深雪先輩はすでにデスクで仕事を始めていた。
相変わらず、髪の毛はカッチリとまとめられ、インテリっぽいメガネにスーツもパリッと着こなしている……と、感じたのだけど。
(あれ? あのインナー……後ろ前逆じゃないか?)
深雪先輩がスーツの中に着ているインナーの前後が逆なことに気付いた時、さりげなく深雪先輩は席を立って、どこかへと消えて行ってしまった。
そうして俺がデスクに着いて仕事の準備を始めていると、何食わぬ顔で戻って来た深雪先輩のインナーは、正しい向きに着替え直されていた。
けれどどことなく違和感のある歩き方が気になって足元を見てみれば、昨日は片足だけだった踵の靴擦れが、両足になっていた。
あの後反対の足も靴擦れしちゃったんだ……。
そう思っていると、いつの間にか深雪先輩の姿はフロアのどこにもなかった。
忙しいのかな、と思っていると、しばらくして戻ってきた先輩は手にメイクポーチを持っていて。
(ああ……さっき化粧室に行った時にポーチ忘れて来たんだ)
そこに気付いて、自然と笑みがこぼれてしまった。
……会社ではデキルオンナを演じているだけで、やっぱり中身はユイさんのままなんだ。
そう思うと昨日会ったユイさんは、やっぱり夢や幻なんかではなく、確かに深雪唯奈先輩だったんだなと実感した。
その時、ふっと深雪先輩と目が合ってしまった。
その途端、みるみるうちに深雪先輩の目が泳ぎはじめて、頬がぽっと赤く染まった。
明らかに動揺しているのに、平静を装おうとしているのがバレバレで、そんなところも可愛いなぁと思ってしまう。そんな深雪先輩の一面を知っているのはたぶん、この会社の中で俺だけ。
そのことに少しだけ優越感を感じて妙に嬉しくなってしまった。
けれど、俺は深雪先輩に声をかけるタイミングを完全に見失ったまま――気付けば昼休みに突入していた。
回りの社員達は、あくび交りに背伸びをして、思い思いに昼休みへと散っていく。
それなのに、深雪先輩はやっぱりずっと席についてタイピング音を響かせたままで。
そしておもむろに引き出しの中から栄養補助食品を取り出すと、作業の片手間に口に放り込んで、また作業の続きを始めてしまった。
(全然……休憩してなくない?)
そう思うと気になって声をかけた。
「深雪先輩?」
「えっ!? あ、大杉君。ど、どうしましたか」
反射的に振り向いた深雪先輩は、大きく瞳を見開いた。
一瞬驚いて——いや、戸惑ったのだろうか。その表情の奥に複雑な感情を宿らせてから、口元をひくひくっと引きつらせた。
――いや、これってもしかして……
笑顔を作ろうとしてる??
躊躇うようにあわあわと唇を動かしてから、困ったように俺を見つめたから、一瞬、その瞳にドキッとしてしまった。
「あ、昼休み返上で仕事してるみたいだったので、これ、差し入れです。よかったら」
そう言って俺が缶コーヒーを差し出すと、パッと深雪先輩の表情が明るくなった。やっぱり顔に出るのは会社でも健在なんだなぁとしみじみと思ってしまう。
「あ、ありがとうございます。何か飲みたかったんですけど、手一杯で買いに行く余裕なかったので助かります」
そしてプシュッとプルタブを開けると、一気飲みをしてまた作業を再開し始めた。
どうやら次の会議で課長が使う資料を作っているようだ。
「あの……僕、手伝いましょうか?」
溜まらず声をかけてみたのだけれど。
「だめよ。休憩時間は「自由に使える時間」って労働基準法で決められているんだから。上司が部下に強制させることなんて出来ないわ」
そんな事を言うから。
(真面目かよっ!!)
俺はまた、吹き出しそうになってしまう。
「でも、深雪先輩だってこれ、課長に頼まれた仕事でしょ?」
「だって、今やらないと間に合わないから。私はいいんです。自発的にしてるだけだから」
深雪先輩は、再び高速でキーボードを叩きながらこちらを見ずに言う。
あ、今は完全にデキルオンナモードだ。
「じゃあ、僕も自発的に手伝いますよ。これって、印刷して冊子にするんですよね。部数は? 僕、出来上がってる分から印刷してきます」
「え、でもっ悪いです、まだ休憩時間中なのに……っ」
深雪先輩は手を止めて驚いたように立ち上がった。
「だって、ふたりでした方が早く終わるじゃないですか。こういう時は誰かに甘えてもいいと思いますよ。第一、先輩、足怪我してるでしょ? コピーは僕がしてきますね」
そんな俺の言葉に、深雪先輩は『あ……』と、言葉の先を失ったようだった。
コピー機へと向かいながらふと思う。さっきの会話……あまりにも昨日と丸被りすぎたかな。これじゃ、昨日のユイさんが深雪先輩だったって気付いてるのを暗に伝えたみたいじゃないか。
……そんなつもりじゃ、なかったんだけどな。
◇
「あ、あの! 大杉君。休憩時間は……ありがとうございました。おかげで、間に合いました!」
就業した後、深雪先輩に声をかけられた。よし、今だ。今こそデートに誘う時。そう意気込んだのだけど。
「いえいえ、お役に立ててよかったです」
笑顔で答えつつ、この流れでデートに誘うなんて、誘いにくくないか!? と躊躇ってしまう。
すると深雪先輩は、顔を真っ赤に染めて声を震わせながら口を開いた。
「ああああああ、あの。その……お、お礼、に……この後食事、とか、どうです、か?」
そしてまるで仔猫が様子をうかがうみたいにおずおずと、俺を上目遣いで見つめた。
いつも完璧なデキルオンナ感溢れる(と思っていた)先輩のこんな緊張した様子、はじめてで思わず息をのんでしまう。
(うわーやられたー。俺の方から誘いたかったのに。でも、この様子……絶対勇気を振り絞って誘ってくれたって感じ……だよな?)
「……あ、じゃあ、……割り勘なら、ぜひ。お礼されることでもないので普通に、一緒に食事しに行きませんか?」
そう返した瞬間、目に見えて深雪先輩の全身の力がすっと抜けたのが分かった。
そして彼女の表情がやわらかくほころんでいく。
「……はい! ぜひ……!」
けれどその声の端っこがちょっとだけ震えていて、それが逆にまっすぐで真面目な先輩らしさがあって、不意にきゅっと胸の奥を掴まれた気がした。
そんな俺の気持ちなどお構いなしに、深雪先輩はいつもの隙のない雰囲気をどこかに忘れてきたかのように、ふわりと愛らしく微笑んだ。
……ああ、これが本当のギャップ萌えってやつなんだろうか。
俺はこの時完全に、深雪唯奈先輩に、惚れ直してしまったのだった――。
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