円環を▢す者
朝日那恒常
第1話 《 辺境の風と、歩みのはじまり 》
西方の山並みが夕陽に焼かれ、長い影を地表に落としていた。
鉱山都市オルデンバルク
ヴィルトシャフト共和国の辺境に位置するこの街は、
かつて鉄と石炭で栄え、共和国の発展に大きく関わっていた。
だが今では、廃坑の黒い口と風に鳴る鉱夫の鐘だけが、
過ぎ去った時代の名残を物語っている。
青年、アルブレヒト=ヴェインが、ホームへと降り立った。
薄手のコートが風にはためく。肩には革製のブリーフケース。
共和国の中央学術院を卒業したばかりの彼は、
今日からこの町にある
「迎えに来ていただき、ありがとうございます。
…クロイツ博士でよろしいですか?」
そう声をかけた相手は、石畳の先で彼を待っていた女性 ── ミーナ=クロイツ。
年は自分より少し上だろうか。表情はどこか成熟していた。
灰色のケープに身を包み、手には腕時計の様な端末。
その瞳には知性と疲労が静かに揺れていた。
「ミーナでいいわ。ようこそ、ヴェイン博士。」
ヴェインは一瞬言葉に詰まりながらも、頷いた。
「若輩の身で先輩に『博士』と呼ばれると、私も恐縮ですので、
そちらは付けずにお呼びいただきたいのですが…」
「…そうは言っても…ちゃんと課程を修了してるのだから、
こう呼ぶのが自然に思えるのだけど…ずいぶん珍しい考えなのね?」
「そうでしょうか?号はあっても、
私はまだ何も成し遂げていない新人ですので」
「肩書にこだわる人間ばかり見てきたせいで、私の方が染まっちゃったのかしら?
いいわ。ヴェインさんがそういうなら…『さん』付けも何か言いにくいわね…」
「学術院では呼び捨てか『君』付けで呼ばれ慣れていましたので、
その方が私としても馴染みがあっていいと思います。後輩でもありますし」
「確かにそれなら…えぇ、それで行きましょう。ヴェイン…君…?
あー、…砕け過ぎな気もするけど、やっぱり呼び捨てでもいいかしら?」
名前一つ呼ぶのに苦労する大人二人を、互いに客観的にとらえた二人は、
シュールな笑いがこみ上げる。
「「 フッ… 」」
「もうその時の気分で呼ぶわね?」
「それで構いません。かしこまるのが嫌いなだけなので。」
「じゃあ改めまして、”戦場” へようこそ、ヴェイン博士 ?」
いかが?と握手の手を差し出したミーナにヴェインは応える。
「歓迎に感謝します。ミーナ博士。」
互いに納得の握手が交わされ、二人は歩き出す。
* * *
ヴェインは先ほどのやりとりについて考える。
ミーナの放った “戦場” という言葉は、
想像していたよりも生々しくヴェインの心に響いていた。
しかし、彼はそれをふさわしい表現だと思っている。
── ここはただの赴任地ではない。
人智の領分を逸脱した“現象”が、観測されている場所だ ──
歩き出してしばらくしても、町は思ったより静かだった。煙突から立ち上る煙。
半ば崩れかけた家々。すれ違う人々は少なく、表情もどこか閉じている。
「……中央とは、まるで時の流れが違うようですね」
「ええ。この辺りは、『止まっている』と言った方が近いかしら。
昔は採掘で賑わっていたのだけど、資源が枯れ、
住民の大半は都市の開発区に引っ越したり、他の都市へ移ったりしたけど…
今この辺りに残されているのは、ここでしか生きられない人たち、ね」
「……それが、三年前の“出現”によって変わった?」
「えぇ、変わったわ。良くも悪くもね。ただの寂れた鉱山都市が、
研究や人の欲望に巻き込まれて、その流れに翻弄される姿を見るのは…
何とも言えない気分だったわ」
崩れかけたレンガ造りの家が解体され、
その横でプレハブ工程によって近代的な家屋が建築されている…
何ともアンバランスな街並みを眺めながら、ミーナはしみじみと語る。
◆
三年前、時を同じくして『各地に現れた、と推測される』
── モノリス(Monolith)。
推測される、というのは、現在その姿を直接確認できるのは、
ここ、オルデンバルクの地下斜坑から ”出土” した石柱のみだからだ。
科学者たちはそれを、何者かが遥か昔に遺したとされる構造物とみなし、
特にルールも定まっていない最初期のころは、都市はまるで無法地帯となり、
日夜様々な界隈の研究者がこぞって押し掛け、その実態に迫ろうとした。
◆
「モノリス出土からほどなくして、発熱などの症状を訴える者が現れたわ。
ここオルデンバルクでの最初の一人は、北部の鉱員住宅群にいた少年ね。
高熱と幻覚症状……でも、死には至らなかった。
症状が治まってしばらくしてから、彼は目の前の空間を、
まるで布を裂くように“引き裂いた”…」
「後は知ってのとおりね。それ以降、各地でも同様の症例が起こるようになった。
病後、人によっては、常識を超えた“異能”が発現した…」
「そしてその発症と発現が局地化していることから、
その周辺にもモノリスがあることが推測される。でしたね。
学術院の最初の授業で聞いた、論文の一節にありました。」
ヴェインの胸は高鳴る。
最初期とは違い、国が主導して法整備が急ピッチで進められ、
その研究の重要性、秘匿性が高まった今では、
モノリス・異能研究は誰でも触れられる物ではない。
中央の学術院でも、モノリスもしくは異能について研究できることは、
それだけで栄誉あるものとされていた。そして世界広しと言えど、
モノリスと異能の研究が『同時に』行なえるのは ── 今現在この町だけだ。
「ミーナさんから見て、発症や発現の共通性は確認されていますか?」
「…まだ不十分ね。当然、いくつか仮説はあるけど…、
……あなたならどれを選ぶ?」
「やはりその3つですよね。とはいえ主説になっているその3つは、
それぞれ切り口が異なるので同じ天秤には載せられない、と考えています。
だからこそ、ここに来ました。“答え” を見つけるために」
ミーナは、ちらりとヴェインを見る。
彼の瞳には、曇りのない知的な光が宿っていた。
未熟だが、まっすぐで、純粋な ── 時に危ういほどの、求道者の光だ。
「あなた、ほんとに二十歳なの? 信じられないわ」
「……時に、目を向けるべきは年齢ではなく……精神の有り方かと」
「あら、随分と哲学的ね」
軽く笑った彼女の声から、緊張が解けてきた様子がうかがえた。
歩みながら、彼女は町の建物をいくつか指差す。
「あれも最近建てられてものね。仮設の観測棟。あちらは発症者の収容施設。
表向きは療養所だけど……実態は、異能発現者の早期確保が目的ね。
この町で異能が発現した者は“
ISAARの監督下に置かれる。番号付きでね。たとえば──“
「それはコードネーム、ですか?」
「ええ。Z-17だったら…その子の名前は、ノア・フェーアリヒト。
中度の熱病から回復してまもなく、特異な“共鳴”現象を示したわ」
「…当然彼女も、施設での研究対象なんですね?」
えぇ、とミーナは頷いた。
やがて視界が開け、丘の上に構える研究施設が姿を現した。
三棟から成るISAAR研究所 ──
中央は観測・居住棟、右は主に研究ラボ、左は異能者の隔離区画。
白と銀を基調とした外観は、町の景観からは明らかに浮いていた。
「ここが、最前線。ISAAR オルデンバルク支部へようこそ、ヴェイン博士。」
正式な歓迎と配属を考慮した『博士』という呼称に、
ヴェインは身の引き締まる思いがした。
金属製の重厚な扉が開く音が、沈黙を破る。
ヴェインは小さく深呼吸し、扉の向こうへと足を踏み入れた。
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