放課後の探偵〜図書室の少女探偵と未解決事件〜

兒嶌柳大郎

第1話 放課後の不穏な知らせ

午後の光が、国立中央図書館の大きな窓から差し込み、古びた書架に静かな影を落としていた。

一ノ瀬莉子は、その光の中でページをめくっていた。

分厚いハードカバーの表紙には、『ロジャー・アクロイド殺し』とある。

アガサ・クリスティの巧みなトリックに、莉子の胸は高鳴っていた。

普段は少し控えめな彼女も、ミステリー小説の世界に没頭する時だけは、その瞳に好奇心と探究の光を宿らせる。


「……なるほど、そういうことだったのね」


最後のページを閉じ、莉子は満足げに息を吐いた。

犯人の意外性、そして読者の盲点をつく巧妙な仕掛けに、思わず唸る。

これがミステリーの醍醐味だ。

高校の放課後は、いつもこうして図書室に入り浸っていた。

本に囲まれている時間が、何よりも落ち着く。


その時、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。

表示された名前に、莉子の眉がわずかに寄る。

一ノ瀬孝太郎。警視庁捜査一課の刑事であり、莉子の父親だ。

彼がこの時間に電話をかけてくるのは珍しい。

大抵は、帰宅が遅くなるという連絡か、あるいは夕食のリクエストくらいだ。


「もしもし、お父さん?」


莉子の声に、電話の向こうから孝太郎の、いつになく重い声が聞こえてきた。


「莉子か。今、どこにいる?」


「図書室だよ。何かあったの?」


孝太郎はしばらく沈黙した後、ゆっくりと話し始めた。

その声には、疲労と、そして明らかに動揺が混じっていた。


「……大変なことになった。お前の、学校の生徒だ」


莉子の胸が、ざわりと波立った。

学校の生徒?

まさか。


「本日午後2時頃、〇〇公園の裏手で、女子生徒の遺体が発見された。捜査本部を立ち上げた。まだ、詳細はお前には言えないが……」


孝太郎は言葉を選びながら話しているようだったが、莉子には彼の声が震えているのが分かった。

刑事の父親を持つ娘として、彼女はこれまでも様々な事件の断片を耳にしてきた。

だが、ここまで感情をあらわにする孝太郎は見たことがない。


「誰が……?」


莉子の問いに、孝太郎は深いため息をついた。


「桜井結衣さんだ。お前と同じ、高校2年生の」


その名を聞いて、莉子の視界が揺らいだ。

桜井結衣。莉子とはクラスは違うが、同じ学年で、校内でも知らない者はいないほど成績優秀で、明るく人気者の女子生徒だ。

図書室ではあまり見かけなかったが、校内ですれ違うたびに、その華やかさに目を引かれることがあった。

まさか、あの桜井結衣が……。


「遺体は、複数の刺し傷があったそうだ。凶器はまだ見つかっていない。第一発見者は散歩中の住民。状況から、怨恨の可能性が高いと見て捜査を進めているが……」


孝太郎の言葉は、まるで遠い世界から聞こえてくるようだった。

ミステリー小説のページの中にだけ存在したはずの「殺人事件」が、突如として、莉子の日常に、生々しい現実として飛び込んできたのだ。

しかも、被害者は自分とほとんど変わらない、ごく普通の女子高生。


「お前も、くれぐれも気をつけろ。不要な外出は控えるように。家に帰ったらすぐに連絡をしろ」


孝太郎はそう言い残し、電話を切った。

受話器を下ろした莉子の手は、微かに震えていた。

窓から差し込む夕日は、いつの間にか赤みを増し、図書室の空気に不穏な色を加えていた。


莉子は、借りようとしていたミステリー小説をそっと元の棚に戻した。

今は、本を読む気分ではなかった。

脳裏には、桜井結衣の、あの明るい笑顔が焼き付いていた。


「まさか……」


彼女の心臓が、早くも警鐘を鳴らし始めていた。

これは、ただの悲劇ではない。何かが、おかしい。

父親の言葉の端々に感じた焦燥と、この事件のどこか割り切れない不透明さが、莉子の胸にざわめきを生み出していた。

彼女は、ミステリー好きの直感が、この事件がただならぬものだと告げているのを感じた。


図書室の静寂の中で、莉子は、これから始まるであろう「現実の謎」に、否応なく引きずり込まれていく予感に包まれていた。

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