第5話 自分という赤ん坊
《大雨が降る。雷と勢いよく降る雨に当たりながら、広く暗い草原を歩く。息が絶え絶えになる。次第に疲れが溜まり、全身は泥に塗れる。意識が遠くなる。》
「………うっ。う」
目をゆっくり開く。知らない天井。白い。
「佐古!!」
右から僕を呼んでいる。ゆっくり首を傾けると万理がいた。
「今佐古の児童養護施設の先生が担当医を呼びにいったから」
僕は……確か、綺麗で広い自習室にいたような。
っ!!
そうだ!勉強していたんだ!じゃあなぜここに!?
身体を即座に起こす。
「ん!?」
上半身は起きた。足も動く。しかし、左腕と左足は動かなかった。そもそも感覚すらなかった。
「のうら」
ん!?口が回らない!?
「っか、そっ、…う、っか」
「佐古……」
嘘だ!嘘だ!こんなの!
泣くことはなかった。悔しくて悔しくて歯を噛み締めていた。片方だけ。
絶望に暮れた。勉強はできる。けどそれは自分が1人で生きていく為の手段として。ほんの少しでも生きやすくする為、大企業の会社や国家公務員として働いて稼ぐ為に積み上げてきたのだ。それが身体を動かすことすら叶わないなら僕の目標は途絶える。なぜって?身体が動かないまま1人で生きられるはずないからさ。
今思うと、高校生にしてはとても幼稚で、傲慢だった。故に悲劇を自分で招いた。
それから入院しつつもリハビリを開始した。しかし、気持ちは落胆したまま。他の患者を見ても何とも思わなかった。それよりも自分の信念を曲げられたことが何より悔しかった。
ある時、ベッドにて。
「佐古。最近リハビリ頑張りすぎだよ。理学療法士の中村さんも言ってたじゃない。それに左足も少しずつ動かせているんだし」
「…………それが何だ」
「え?」
「それが何だ!!」
静かすぎる病室に落雷のような怒号が響き渡る。
「俺には、1人で生きる夢があったんだ!誰からも世話を焼かれず、いずれ、自分で作り上げたロボットで最後の最後まで介護されたかった!けど、これじゃぁ」
虚を突いた万理は一呼吸置いて僕を真っ直ぐ見つめて口を開く。
「そんなこといっても、人間だから仕方ないじゃない」
そのまま万理は僕の右手を握り締めたが、僕は一瞬で振り払った。
「もう、来ないでくれ。こんな僕を見ても万理にとって何の得にもならない」
「そんな。あた…」
「いいから出てってくれ!もう万理は万理の人生を歩んでくれよ!!……いい加減、面を見せないでくれ」
数分沈黙が流れた後、万理はパイプ椅子からゆっくり立ち、静かな病室を去っていった。顔を直視した訳じゃないが多分、泣いていた。
あの時の自分はただひたすら傲慢だった。身体を動かすことができなくなる状態に陥っても、リハビリで似た境遇を持つ他の患者を見ても、いや、それ以上に辛い患者を目の当たりにしても、当時の僕は良心の欠片すら無に帰していた。外部に揺らがず、自分という赤ん坊に呑まれていた。感謝も、優しさも、思いやりも、気遣いも、喜びも、寛容さもない。とにかく非業極まりない人間だった。
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