髷恋五結譚(旧題:髷に恋した私が五柱の男神に溺愛されながら髷結って世界を救う)

アガタ

髷が好きな女

第1話 なんじゃあこりゃあ!?


 髷だ。

 髷が視界いっぱいに広がっている。

 采女うねめは、髷の立派な男に膝枕をされて、朱く艶やかな毛氈の上に寝転んでいた。

 彼女の側で、髷の男たちがくつろいでいる。

 猛雄たけおは朱塗りの杯をゆっくりとあおって、中の酒を飲み干した。

 涙月なるみは采女の隣で寝転んで寝息を立てている。

 禍創夜まがつよは、桜の花を茎ごと集め、中空で一つ一つ捻って冠に仕立て上げている。

 寂空せきくうは木の上に登って、手足を投げ出していた。

 膝枕をしている畏見かしこみが、人差し指を掲げる。

 柔らかな風が吹いて、傍らにある桜の大樹から、桜が散り落ちてくる。


 長閑な昼下がりだった。


采女うねめ……」


 畏見かしこみ采女うねめの名を呼びながら、愛しそうに彼女の前髪を撫ぜた。


「一つになろうと思う」


 采女うねめは、緩慢な動作で上向いた。男達全員が、優し気な瞳で采女うねめを見つめている。


「うん」


 采女うねめは、こっくりとうなずいた。




 〇





 東京の片隅に、その映画撮影所はあった。華やかな衣装が持ちだされ、俳優たちはそれを着せられて撮影所を闊歩する。様々な大道具、機材が行き交い、慌ただしい喧噪が、緊張感と一緒に撮影所を支配していた。

 しかし、煌びやかな世界の一角にあるその部屋は、多事多端たじたたんな外界からは隔絶された場所だった。

 その部屋には、時代劇の役者たちが被るかつらがずらりと並んでいた。アルミニウムで出来た中剃りの地金、ドーラン。鶴首と木槌。窪付とかしめ。穴あけ、鋲抜き。やすり。

 切箸。目打ち。髪のクセを取るマーセルコテ。かつらに使うそれらが詰め込まれた部屋は、まるで髷を作る秘密基地だ。

 秘密基地は、時が止まったような静寂に包まれている。

 美紐采女みにゅううねめはその静寂の中で、古びたかつらの髪を一本一本丁寧にいていた。

 采女うねめはこの映画撮影所の、美粧結髪室、通称<かつら部>で働いている、彼女は、舞台用のかつらを結い上げ、役者の頭に乗せて整える床山とこやまだ。


「お、お疲れ様です」


 先輩の松田さんが、かつら部のドアの所から顔を覗かせて、そわそわと部屋に入って来た。


「お疲れ様です……?」

美紐みにゅうちゃん!ちょっと……私見ちゃったかも……」


松田は落ち着かない様子で采女に近づく。


「何かあったんですか?」

「テディベア……」

「テディベア?」

「うん、さっき撮影所に来たんだけど、テディベアが歩いてて……」

「テディベアが歩いて!?」

「そのテディベア、私の目の前で消えたのよ!やっぱりあの噂本当だわ!ほら、全国的に「怖い」体験する人が増えてるって噂……」

「ああ!」


采女は手を打った。今、この国では全国的に怪奇現象を体験する人が増えているのだ。

それは、夜道の壁から生えている人の頭だったり、白昼の空を飛ぶ一反木綿だったりした。

SNSやネットの掲示板などで話題になっている。今朝なんかニュースで「霞ヶ関に不審者か」と言う見出しで、国会議事堂に座敷童子が出たと報道されているのを、采女も観た。


「薄気味悪いったら……美紐ちゃんは今日も元気ねえ」

「あ、はい!」


 采女は元気よく返事をすると、意気揚々とかつらの髪を梳きほぐす。

 松田さんは、話をやめて采女の隣をそそくさと通り過ぎると、自分の席について女形のかつらを手入れしはじめた。松田さんは結髪けっぱつと言って、女性のかつらを扱う専門の人材だった。


 采女にとって、かつら部での仕事は単なる<仕事>とは少し違っていた。

 ここは、彼女が幼い頃から胸に秘めてきた、<まげ>への狂おしいほどの愛を満たす、唯一の聖域だったのだ。


「元気だねえ、いつも」

「えへへ、いっつも言ってますけど……かつら部は、私にとっては天国なんです。だから元気にもなりますって」

「天国ねえ……」


 采女は、京都にある置屋の近くに生まれた。母は置屋の舞子さんの髪を結う髪結いで、父は歌舞伎役者のかつらを結う人、床山とこやまだった。

 家には自然と髷に関する事柄が集まって来る。

 思えば特殊な家庭環境だったと思う。

 テレビで時代劇が放映されれば髷姿の登場人物に目が釘付けになる。

 博物館で江戸時代の書物の展示があれば、何度でも足を運び、髷を探しては、描かれたその精緻な構造に息を飲んだ。

 そして、大人になって、面接にやって来たのがこのかつら部だった。


「今でも思い出すわ。面接の時、髷が好きなんです!って開口一番言ってたっけ……」

「はい!」


 松田と采女は思い出話に花を咲かせる。それは6年前のことだった。


『私、髷が大好きなんです!そのことから、御社を希望しましたっ!』

『髷!?』

『はい!』

『ま、髷のどんな所が……』

『それはもう……髷!特にあの月代さかやきを剃り上げた髷を見ちゃったら、もう目が釘付けになっちゃうんです!おでこがキュッと上がってて、その上に堂々と結い上げられた髷。あれを見ると、他にはない雄々しさを感じるんです!』

『へ、へえ……』


 面接官の松田は、ちょっと仰け反って、いきなり髷について語り出した采女の話を聞いていた。


『顔全体が引き締まって見えて、目が吊り上がってる所なんか、何ていうかとっても……良いですよね!造形美!ただ髪を結ってるだけじゃないんですね、月代の上に乗っけちゃってる。その、何ていうか、一見して奇妙な所も好きです。それから、あの髱の丸みとか、ボリューム感とか……見る角度によって全然違う表情を見せてくれて、見てて飽きないんです。髷って、もはや芸術作品だと思うんです!』

『げ、芸術作品』


 采女は身を乗り出して松田に力説する。


『あとはやっぱり、あの髷を見ると、すぐに江戸時代の武士とか、町人たちの姿が目に浮かぶんです!彼らが生活の中で、当たり前のようにあの髷を結っていたんだなって思うと、なんだかタイムスリップしたような気分になっちゃうんです。日本の文化や伝統が、ぎゅっと詰まってる感じがして、そこにロマンを感じちゃいます!』

『わ、わかった。解ったからちょっと落ち着いて……』


 思い出話から帰って来て、松田と采女は、二人で、顔を見合わせた。

 どちらともなくプッと吹きだす。松田が、片手をひらひらさせて言った。


「あはは、あの時の美紐ちゃんったら、語り出すと夢中なんだもんねえ」

「すみませんでした。えへへ、好きなもので……」

「それで情熱に圧されて、採用しちゃったんだよね。それは本物だったって訳だ」


 櫛を取り出しながら、松田が言う。采女は、また手元に視線を戻した。


(だけど……)


 こと現代社会においては、髷は最早生活の一部ではなかった。振袖に合わせるヘアスタイルは洋風にアレンジされ、日本の伝統的な髪結いの技術は、采女の母や父の様な限られた職人の手によって細々と受け継がれるのみだ。

 まるで人知れず山に咲いた桜のようだと思う。


(いつか、本物の人間の髪で、歴史に息づくような髷を結い上げてみたい)


 それが、采女の夢だった。

 だが、それは敵わぬ夢だ。今の時代、髷を結う人も稀有ならば、月代を剃る男の人なんて、稀有中の稀有だ。


「はあ……」


 髷のかつらに触れて、采女がため息をつく。

 叶わぬ夢と知りながらも、かつらに触れ、その形を整えるたびに、采女の心は満たされた。指先で髷の曲線を描き、毛先の流れを調整するたびに、彼女の魂は古代の職人と繋がっているような錯覚に陥った。

 松田さん以外の同僚たちは、彼女の髷への異様な執着を「ちょっと変わった人」と笑った。

 でも、采女は気にしない。

 彼女にとって髷は、単なる髪型ではなかった。


「……よしっ」


 何というか、それは、そこに込められた人々の想い、時代の息吹、そして何よりも、追い求めている<美>と<魂>の結晶なのだ。


 采女の手が、かつらから離れる。松田が、かつらのチェックをする。


「うん、いいね。あがっていいよー」

「はいっ!お疲れ様でしたっ!」


 その日の業務を終え、采女は撮影所を出た。

 日本全体を見ても、時代劇の撮影本数は、年々減少の一途を辿っている。

 仕事はそう多くない。しかし、今はその限定された少なさの上に、フィルムからビデオ、4K、8Kと、高精細でリアルな画面に耐えられるようにと要求が上がっている。

 昔ながらの方法で、丁寧な仕事が要求された。それだけに、やりがいもあった。

 采女は、この仕事が好きだ。

 床山が厳しい道であっても、かまわなかった。

 かつらとはいえ、髪に触れ、髷を結わせてもらえる。それは采女にとって最上の歓びだ。

 最初は、コテで髪を焦がしたりミスもあったが、今では髪の癖を取るコテ当ての作業だって慣れたものだ。


 夜の東京は、昼間の喧騒とは異なる、どこか妖しい光を放っている。

 彼女の住む古びたアパートは、そんな都会のネオンの中に、ひっそりと佇んでいた。

 采女は、アパートの自分の部屋のドアを開けて、帰宅した。

 荷物を置いて、服を脱ぎ、シャワーを浴びて化粧を落とす。湯舟に入り、1日の疲れを癒す。風呂から上がって、ドライヤーで髪を乾かし終えたその時だった。

 ヒューン、と細い物が空気を裂く様な音が聞こえて来た。


「?」


 ボブカットの乾いた髪にブラシを通していた采女は、怪訝な顔をしていぶかしんだ。何だろう。


 次の瞬間、ターンッという何かが打ち抜かれる音が響いて、鈍く、重々しい衝撃が部屋を揺らした。


「わっ!」


 采女の心臓が跳ね上がり、思わず身を屈める。


(泥棒?不審者?)


 急いで寝間着を着て、采女は玄関へ向かった。そっとドアを少し開けてみる。


 玄関の壁に、何かが深く突き刺さっていた。


「えっ!?なんじゃあこりゃあ!?」



 思わず声が出る。采女が目を凝らすと、それは一本の真っ白な弓矢だった。

 矢じりは壁に食い込み、その周囲の漆喰は粉々に砕けて、ポロポロとコンクリートの地面に落ちかけていた。采女の思考が一瞬混乱でかたまる。


(え?弓矢?家に打ち込まれた?私、矢かけられた?何で?ていうか、壁が……ボコボコに……大屋さんに何ていおう)


 采女はもう一度矢をしげしげと見つめた。真っ白いシャフトと羽根が、月夜に照らされて、おぼろげに光っている。綺麗だなと思って、采女は慌てて首を振った。


(と、とにかく矢を抜かなくちゃ……)


 震える手でドアを開け、采女が恐る恐る矢に手を掛けた。力を込めて引くと、矢はスポンと抜けた。

 壁には、生々しい穴がぽっかり開いている。


「怖……」


 矢を持って、家に入る。何のために誰がこんなことをしたのだろう。悪戯にしては、殺傷能力高すぎないか。


「あれ……?」


 よく見ると、矢の軸には、白い紙が括り付けられている。

 采女は、それを解いて、中を開いた。それは手紙で、中にはこう書かれていた。




『拝啓


 突然の文、無礼の段、何卒お許し下されたく候。

 さて、拝見仕るに、貴殿は髪結いの技、

 まことに卓越せしものと承り及び候。

 つきましては、近日の夜、我が主君に代わり、

 その腕前を頼み申し上げ候間、

 神前の御契りにより、貴殿を嫁としてお迎え仕る所存にて候。

 恐れながら、このたびの義、承知下さるよう、伏してお願い奉り候。


 恐々謹言』


「は……?」


 ちょっとよくわからない。古い言葉で書いてあって、采女の髪結いの技術が凄いとか書いてあるのは何となくわかった。


(ちょっと……いやだいぶ嬉しいかも)


 しかし、その後の「我が主君に代わり」「神前の御契りにより、貴殿を嫁としてお迎え仕る所存」という言葉は何のことやらさっぱりだ。

 嫁って何だ。ストーカーか?心当たりはない。悪質ないたずらか?この矢は舞台の小道具で、何かの狂言か?

 疑問と不安が采女の頭の中をグルグル回る。警察に届けるべきだろうか?それともこのまま無視か?思考はまとまらなかった。

 采女は、ただ巻物を握りしめて、立ち尽くしていた。


 その時、開け放っていたアパートの窓から、どこか埃っぽい、そして微かに生臭いような風が吹き込んできた。何となく生暖かい。それは、普段の都会の風とは明らかに異なる、不気味な気配を孕んで、采女の額のおくれ毛を撫ぜた。

 何かに吸い寄せられるように、采女の視線がドアへと移る。

 玄関のインターホンがゆっくりと鳴る。そして、ドアが独りでに開き始めた。

 ギギギ、と言う音と共に、ドアが開け放たれる。


「フホ」


 奇妙な鳴き声がして、采女は目を眇めてそれを見た。

 玄関の前にいたのは、けむくじゃらのモップだった。






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