第二章 ずれた日常 ⑤

 稜弥は自分の住戸内を確認し始めた。

 照明の類いはスイッチを入れれば点き、エアコンもオンにすれば作動した。冷蔵庫は作動し続けているが、買い出しのあとで食品を入れるのだから、このままにしておくべきだろう。

 テーブルの上にあったリモコンでテレビを点けると、確かに番組は一局であり、この時間は天気予報を流していた。しかも全国の気象予報のあとには「阿座斗町の空模様」なるコーナーだった。その予報では、きょうの阿座斗町は晴れだった。

 ――この阿座斗町にも雨が降ったりするのだろうか?

 素朴な疑問だった。現世と繋がっているのはほんの一部らしいが、ならば低気圧や高気圧、偏西風などの気象現象は、少なくとも現世のものとは異なっているに違いない。いずれにせよ、阿座斗町――否、隠世そのものについて、もっと多くを知らなければ、阿座斗町向けのテレビ番組を見ても、不得要領のままだ。

 稜弥はテレビを消すと、リモコンをテーブルの上に戻した。

 ソファに腰を下ろし、頭をのけ反らして目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのは、やはり維久美と結菜だった。二人が死んだなど、未だに信じられなければ、信じたくもなかった。それでも、二体のヒトムシがそれぞれ稜弥の家族の顔を有していたのは事実である。ならば、稜弥が二人を殺害した可能性は捨てきれない。

 ばかな――と心中で否定するが、記憶が定かでない状況を否定できないのも、また事実なのだ。

 呼び鈴が鳴った。

 稜弥はソファから立ち上がり、玄関へと向かった。

「リミです」

 玄関の外から声が聞こえた。

「今、開けるよ」

 そう言って、稜弥はドアを開けた。

「お待たせしました」

 玄関先に立っていたのは、白のパーカーに青いジャージのボトム、といったラフな姿のリミだった。いかにも普段着の女子中学生である。

 彼女は左手に、たたまれた状態のエコバッグを二つ、持っていた。そのうちの一つが、稜弥に差し出される。

「これ、上げます。使ってください」

「いいのかい?」

「いくつも持っているんで、問題ありません」

 おそらくはこれもただで支給されたのだろう。ならば――と、稜弥は玄関の外に出て、それを受け取った。

「ありがとう」

「じゃあ、行きましょう」

 促され稜弥は、閉じたドアを施錠し、リミと並んで東へと足を向けた。

 そして、アパートの端に差しかかると、リミは足を止めずに南を指さした。

「こっちです」

「武田さんは、スーパー、って言っていたけど……」

「はい、スーパーです」リミは言った。「阿座斗町には、五丁目と九丁目に、一軒ずつスーパーがあります。直接お店に行かなくても、それぞれのお店に電話で注文すれば、いろいろな食品……袋入りのお米のような重いものでも……あと、衣料品や日用品とか、だいたいのものは二、三日後に輝世会の成員というか……配達員が、自宅に直接届けてくれるんです。それぞれのスーパーに置いていない品物だって、スーパーに注文すれば、配達員が現世から運んでくれるんですよ。ガスはプロパンガスで、定期的に担当の人が交換してくれます。でも、品物は限られますが、急に必要になったりとか、あと、やっぱりそのつど手に入れたい、なんていうときには、お店で手に入れたりします。人と顔を合わせたくない、という住民が多いんですが、お店で実物を見て自分で選びたい、という人も、結構います。それと……さっき言った靴の業者はそれらのスーパーに来るので、そのお店で足のサイズを測ってもらったり靴の注文をしたりするんです」

 言いながら、リミは大通りの歩道に稜弥をいざなった。

 二人はその歩道を南へと向かう。

「リミちゃんは、そのスーパーを結構使っているの?」

「お米とかお味噌とか調味料などは配達してもらうんですが、生鮮食品とかは、スーパーで自分で見て決めますね」

 それを聞いて、稜弥はようやく気づく。

「リミちゃんは独り暮らしだったんだね」

「はい。家族……というか、家族だった人たちは、現世にいます」

 淡々とした答えだった。

 横目で見れば、リミは道の先――というよりも、かなり遠くを見つめている。

 これ以上の詮索はよすべきだろう。稜弥は「そうか」と小さく返し、口を結んだ。


 先ほどコンパクトカーが左折した交差点を左に折れ、進行方向は東となった。向かって左の歩道を、稜弥はリミに合わせて進む。

 前方に人影があった。女のようだが、距離があるため、年の頃や容姿などの詳細はわからない。その女は、この通りを右から左へと渡り、家並みの陰に姿を消した。

 それにしても、閑散としていた。自分は隠世かくりよにいるのだ、という感慨を稜弥は改めて意識した。

 この通りに入って二分ほど経過した頃、リミが「こっちです」と言って右の狭い通りを指さした。稜弥はリミとともに交差点を右へと折れ、その狭い通りに入った。

 ふと、リミは立ち止まった。

 やや遅れて、稜弥も足を止める。

 リミは振り向き、曲がったばかりの交差点に目を向けた。

「交差点の向こうにアパートがありますが……」

 見れば、リミの言葉どおりに、交差点の先の右側に二棟のアパートが並んでいた。外観は、稜弥が住むことになったアパートとほぼ一緒である。やはり、アパート名の表示は見えない。

「二つあるアパートのうち、左のほう……第六アパートに、たいくんとプヨミちゃんが住んでいます」

「そうなのか。確かに、武田さんの家からはだいぶ離れているな。あそこ……第六アパートのあるところは何丁目なんだい?」

「四丁目です」

「とすると……一丁目の東に四丁目がある、という位置関係なのかな?」

「そうですね。阿座斗町のほぼ真ん中に一丁目があって、その北に二丁目、二丁目の東に三丁目、三丁目の南に四丁目、四丁目の南に五丁目、五丁目の西に六丁目、六丁目の西に七丁目、七丁目の北に八丁目、八丁目の北に九丁目……といった感じです」

「ちょっと想像しにくいが」

 稜弥は苦笑した。

「一丁目から始まって、の、の字の形に繋がっています。時計回りというか」

 そんな解説を聞いて、ようやく得心がいくが、新たな疑問が生まれてしまう。

「街の外……あの荒れ地には、番地がついているのか? そもそもあの土地は阿座斗町に入っていないのかな?」

「外の空間に接するところまでは、全部、阿座斗町です。でも街の外は無番地ですね。番外地、っていうやつです」

「つまり、阿座斗町番外地か」

 言いながら見れば、近くの電柱の街区表示板に『阿座斗町五丁目1』とあった。

「ここは五丁目か。ならば、スーパーはもうすぐだね?」

「はい、もうすぐです」リミは言った。「ただ、区画については……厳密に言えば、この通りの真ん中から東側が、五丁目なんです。西側は六丁目ですね」

 言われてみれば、進行方向に対して、稜弥が見たばかりの街区表示板は左側――すなわち東側であり、西側の電柱に貼られた街区表示板には『阿座斗町六丁目3』とあった。

「そういうことか」

 稜弥が頷くと、リミは「行きましょう」と言って進行方向へと歩み出した。

 そんなリミに追いつき、稜弥は周囲に目を配った。

 阿座斗町の彼方に見える虚構のビル街を除けば、これまでに目にした大きな建造物は、病院か、もしくはアパートくらいだ。どこかで家並みの間からビルらしき建造物を垣間見たが、雑居ビルのようなこぢんまりとしたたたずまいだった。

 いずれにせよ、民家が多いのだ。趣からすれば決して新興住宅地ではない。だが、住宅街、と呼ぶには相応な街並みである。

 そんな趣に変化があった。

 向かって左に現れた施設が、その起因だった。

「ここです」

 そう言うリミに続いて、稜弥もその大きな駐車場に足を踏み入れた。

 五十台ぶん以上はスペースのありそうな駐車場だった。もっとも、車は一台の白い軽ワンボックスが、向かって右の端に停まっているだけだ。見渡す限り、やはり人の姿はない。

 この駐車場の奥に、明らかに「スーパー」とわかる店舗があった。アパートと同じ理屈なのか、店名は店舗出入り口の上に「五丁目スーパー」と小さめの文字で表示されているだけだった。

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