私たち、結婚しませんか? -2

 ヴィサルティスの兄、前辺境伯ヴァインロートは、妻とともに国境沿いのウルティマ要塞を視察中、命を落とした。野蛮人の捕虜の脱走騒ぎに巻き込まれたため、とされているが、詳細は不明だ。

 当時ヴィサルティスは別の戦線に出ており、事件の対処を行ったのは、兄弟の母であるクレスティラ辺境伯代理である。当主であるヴァインロートが不在の際、領地内の問題を解決する義務が、彼女にはあった。長男の死に激昂し、事件の中心である捕虜だけでなく、要塞の責任者や高官らもまとめて処刑してしまった件については、短慮であるが母親の情として已む無し、と世間では知られている。


「ウルティマ要塞の南側の見張り台、樹木と建物がぶつかって生じたひび割れの中に、失われた家門の証があります」

 家門の証とは、家紋が刻印された指輪のことで、公文書に押印される重要なものだ。

 ヴァインロート夫妻の死に際して、家門の証が紛失したことは非常にセンシティブな問題であり、ヴィッターリス王家をはじめ限られた人間しか知らないはずの情報である。

「私の情報が確かだと判断されたら、我がトラット男爵領にある珈琲酒場『黒い蜂蜜』へお越しください。闇夜の案内人に紅茶をごちそうする、とおっしゃれば、店主が適切なおもてなしをするでしょう」

 ふたりは互いに礼をして別れ、ロアーナはその後幾人かとダンスを踊った。



「首尾はどうですか、お嬢様」

 合流すると、待ちかねたシェナが目を輝かせて尋ねる。

「そうね、食いついたと思うわ……あなたもたくさん収穫があったようね」

「はい。美味しいお菓子を無料で食べられて感動です。またパーティーに連れてきてください」

 余りの菓子を包んでもらったらしく、大事そうに紙袋を提げている。

「そうね、計画通りトルエノ辺境伯の妻の座を獲得できれば、いくらでも機会はあるでしょう」

 そう答えたロアーナに、シェナは珍しく戸惑いの色を浮かべた。

「このパーティーでトルエノ辺境伯とお近づきになりたいと言っていましたね。お嬢様はいつもクールで冷たくてつれないけど、それにしても、あれは恋に落ちた女の子の目じゃなかった」

「……普段あなたがどう思っているかよく分かるわね」

「クレバーなのがお嬢様の売りです。だから、今回、トルエノ辺境伯と結婚することは手段であって目的ではない、そうですよね?」

 ロアーナは微笑む。肯定の意味だ。

 まだ15歳のシェナだが、状況を理解し、適切にロアーナを助けてくれる。特に、対人観察力には信頼を置いている。


 自分は臆病なのかもしれない、そう思いながらも、ロアーナは、シェナにも誰にもすべての事情を打ち明けられないでいた。それはあまりに荒唐無稽で、残酷な内容だったから。


 ロアーナを困らせたと思ったのか、シェナは「言いたくないことなら、言わなくていいですよ」と、お菓子をひとつ渡してくれた。

「お嬢様が、国ひとつ乗っ取りたいって言っても、大富豪になって世界を裏から操りたいって言っても、私はついて行きますから!」

 シェナの例えもなかなか物騒だが、ロアーナの望みは、あるいはそれ以上に大胆不敵なものかもしれない。


 端的に言って、ロアーナは目的のために周囲の人間を利用しようとしている。自分を慕ってくれるシェナから、今日初めて出会ったヴィサルティスまで。

(こんな私は、本当に悪女なのかもしれないわ)

 「悪女」「呪われた令嬢」「売国奴」と罵られた過去を思い出し、ロアーナの紫陽花色の瞳に翳りがさした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る