春一つ、やり直せたなら

タナカ

第1話 昔むかしあるところに、一目惚れをした男がいた



あの日 俺は、「 」を知った。


春の息吹が芽吹く、2020年3月卒業式。

卒業式を終えた中学校の教室では、別れを惜しむ声がこだましていた。


「ねぇ、私たちって、卒業しても会ったりするのかな?」


窓から差し込む風に、肩までの髪がふわりとなびく。


三年間同じクラスだった斎藤が、ぽつりとつぶやいた。


斎藤は褐色の肌が健康的な、水泳部のキャプテンだった。


陽気で、誰とでもフランクに接する。男子にも女子にも人気があった。



「急に何?会おうと思えば、いつでも会えるんじゃない?」



俺は教室から見える桜を見ながらそう言った。 


目の前の緊張している女の子を、わき目にも降らずぶっきらぼうにそう答えた。

「そ、そうだよね。いつでも会えるよね。」続けて斎藤は言う。

「でもさ、・・・」


俺は桜が咲き始めた中庭に目を向けたまま、淡々と返す。


緊張している彼女の様子を横目に、ぶっきらぼうに。



斎藤は苦笑いを浮かべ、視線をそらす。



「でもさ、──」



彼女が何かを言いかけたが、正直もう聞いていなかった。


部活仲間とその後どこに遊びに行くかを考えていて、上の空だった。



──中学生活は、楽しかった。


サッカー部のキャプテンとしてスクールカースト最上位。


女の子ともそれなりに付き合った。

まるで青春漫画の主人公で、モブキャラたちが羨むような毎日だった。



「柊はさ、今って付き合っている人とかいるの?」



唐突な質問に、現実に引き戻される。


「んー、いないかな。高校もあるし、今作ってもって感じ?」


愛想のない返し。でも、嘘ではなかった。


自分の言葉にへりくだる必要はない。俺がそう思ったから、そう答えた。ただそれだけの話だ。



「……そっか!じゃあ、提案なんだけどさ。

 高校で好きな人ができるまでの“仮”ってことで、私と付き合わない?」




目の前の彼女が真剣な顔で、でもどこか照れながら言った。


興味のなかったはずの斎藤に、少しだけ関心が湧く。


「……軽い感じで付き合えるっていいじゃん、高校にかわいい子いなかったら最悪だし」


冗談めかしてそう言うと、斎藤は目を輝かせ、頬を赤らめた。


その様子に心がときめくことはなかったけど、彼女にとっては意味のある会話だったのだろう。


俺は机の上からひょいと降り、

斎藤の前で立ち止まり、肩をすくめながら言った。


「じゃあ──今から付き合うってことで、よろしくな」





――時は2040年。 


36歳になった俺は、あの頃想像もしなかった日常にいた。


仕事に追われ、結婚のチャンスも掴み損ね、

夢だったものも、思い出すことさえなくなった。



「柊先輩~この案件終わったら飲みに行きましょうよ~!」


オフィスで元気よく声をかけてきたのは、部下の田中。


今どき珍しく、先輩に物怖じしないタイプだ。



「そうだな。林も誘うか」



ぐっと苦虫をつぶすような顔を田中がした。


それもそのはず、田中と林は同期の中で犬猿の仲といわれる男女だったからだ。



「え~~~柊パイセン絶対いじってるでしょ。まあ、あいつが来るなら勝手に来いって感じだけど」


可愛いやつだ。本当は来てくれる可能性があってニタニタ顔をしているのに口ではそっぽを向いている。



「あの、私をお誘いしてくれる声が聞こえたのですが、柊係長。もしかしてごはんですか?」


後ろから急にひょこっと会話に混ざってきたのが、俺や田中よりもずっと背が低い。

そして、長い黒髪が目立つ林だった。



「そうだ、この頃頑張っていたしな。労いもかねて三人で飲みに行こう。女子が一人だとあれだし他も誘か?」


俺は適切な距離をしっかりと取ったのちそう言った。


「二人きりが理想でしたが……まあ、三人でも嬉しいです」


林は甘い匂いとともに距離を詰め、いたずらっぽく笑った。


俺は、苦笑しながら頷く


「まあ、三人のほうが楽しいしな。じゃ仕事終わりいつものところでな」





──その夜、居酒屋にて。


先に店に入っていた二人は、俺に気づかず言い争っていた。


「だから、何回も言ってるだろ。」


まだ俺が来たことに気づかず、会話を続けていた。ここでたちぼ受けを食らうとは思わなかった。。


「柊パイセンは、俺ら後輩の面倒見ながら結果出してるし、マジで人格者なんだぞ?

お前みたいな奴が付き合おうとか、百年早ぇわ」


……なんだこの会話。

これあんま俺聞いちゃいけないやつじゃね。そう思い外に出ようとしたが、間に合わなかった。



「知ってるよ……でも、わからないことがあったとき、

こっち向いて“どうした?”って聞いてくるあの顔が、ずるいの……!」


「なんだあの、ん?って顔は!刺しすぎだろ私の心を! 

 あ~一生そばにいてほしいわ~柊かかりちょ…………」



――その瞬間全ての時が止まった。


「お疲れ様です。お仕事お疲れ様です。」


焦りすぎた林が二度同じこと言ったが無視しておこう。


「ああ、お疲れ。二人とも結構酔っぱらってるな。遅くなってごめんな。」


「パイセン、店着きそうになったら連絡してって言ったじゃないすか~」


頬を赤らめ、頭をくらくらさせながら言ってきた。


「なんだその付き合い立てみたいな連絡は」


びくっと林が動くのが目の端で見えた。

(しまった、この話題はあまりよくなかった)と反省をする暇もなく、林が確認してきた。


「どこから聞いてたか伺ってもよろしいでしょうか」


すっかり仕事と同じスンっとした顔で訪ねてくる。


「林が俺の名前を呼ぶあたり、かな。会話自体は全然わからなかったぞ」


勘違いさせないよう慎重に言葉を選びながら、最後のところで現れたかのように説明しておいた。



「よしパイセンきたし、飲みますか!」


微妙な空気が流れそうなときに助け舟が来た。 本当助かるなお前は。




会話は自然と、近況や仕事の話に移っていった。



「そうだ、あれ聞かせてくださいよ!パイセンの”ひとめぼれ”の話。あれ俺だいすきなんすよ」



「え、なにそれ知らない!詳しく教えてください!」



林も身を乗り出してくる。


話す気はなかったが、ここで断るのも野暮だ


「あまり面白い話じゃないぞ、昔の話だし」





「あれは、俺が中学校三年生の時に高校の合格発表を見に行った時だ」




中学校三年生


「ちょ柊! チャリ漕ぐの速いって~~」


坂の途中、後ろからランの叫び声が聞こえてきた。


でも俺は止まらなかった。むしろ、立ちこぎでさらにスピードを上げた。



志望していた高校は、坂道の上にある。



その場所まで、約二十分。


俺はただひたすらに、足を回した。


「どうせ受かってるけど、結果早く知りたいから先行くわ。置いていくから追いついてこい」


かの有名セリフを吐き捨てるように登っていた。



校門に着いてから五分後、ようやくランがゼェゼェと息を切らして追いついてきた。



ランは中学時代から一緒のサッカー部で、傍若無人な俺を理解できる数少ない友達だ。



「うおお、すっげえなこれ……」


彼が思わず漏らした声には、驚きが混じっていた。


発表を待つ受験生たちが、壁の前にびっしりと群がっている。


その数、ざっと数百人。中学生だけでなく、親の姿もちらほら見える。



「それにしても……柊が俺と同じ学校行くって言ったときはマジで驚いたわ。やっぱお前はやるといったことはやり通すんだな~~」



この高校は、県内でも有数の進学校だ。


勉強が得意とは言いがたい俺が、そこに行くと言った時、みんな笑った。


でも俺は、引退してから本気で勉強した。


公言したからには、やり通すしかなかった。


「まあ偏差値がいい学校のほうがかっこいいしな、モテそうやん?」


この男は、マジで”モテ”のために受験していた。



「まぁ、俺らどっちも合格していないと意味ないけどな。じゃまた見たら連絡してくれ」


そう言ってランは、発表の紙を見ようと人混みの中に突っ込んでいった。



このランという男は、できる男である。


受かる見込みの薄い俺と一緒に見て、もし俺だけ落ちようもんなら不貞腐れ、周りの学生にガンつけなが

ら校門の門を蹴っ飛ばすことくらいするだろう。


それを見越してバラバラに合格確認しようとしている。




そして、発表まで残り一分。


紙を抱えた職員が現れた瞬間、群衆にざわめきが走った。



周囲は、期待と不安で張り詰めた空気に包まれている。


けれど俺は、どこか冷めた目でその光景を眺めていた。


ゆっくりと歩きながら、掲示板がかろうじて見える距離まで近づいた。




――その時だった。


ふいに、風が吹き視界が色づいた。


目の前を横切るように、春風が桜の花びらを巻き上げた。


舞い落ちる淡いピンクと、新芽の緑が交じり合って、世界が一瞬だけ絵のように美しくなった。


まるで、誰かの記憶の中に迷い込んだみたいな——そんな錯覚すら覚えた。



その絵画のような世界の中に、彼女はいた。



誰もが合格発表の紙を見つめる中、

俺だけが、まったく別の風景を見ていた。


いや、惹きつけられていた。一人の女の子に。



スラッと伸びた手足。


黒く長い髪を、煩わしそうに耳にかける仕草。


一人、人混みの中にいて、どこか“そこにいない”ような、静けさを纏った存在。




──引力という言葉が、頭をよぎる。



物は手を離せば、地面に落ちる。


そんなの、当たり前だ。



けれどこのとき、俺はその“当たり前”が、ただの物理法則じゃないと知った。



目線も、心も、思考も──

すべてが、その存在に引っ張られていた。


呼吸の仕方すらわからなくなるほど、見惚れていた。

この瞬間、俺はその「引力」というものの本当の意味を知った。




「おーい、柊合格したかー?」



誰かの声が、遠くから聞こえてきた。


その瞬間、ようやく我に返った。


気づけば、地面に立つ感覚さえ忘れていた自分に気づいた。



俺は、小さく深呼吸をして、口を開いた。



「…………俺、この高校で、あの子と結婚するわ」



情けないほど震えた声だった。


けれど、胸の奥から込み上げてきた想いだけは、確かにそこにあった。



──あの日、俺は「恋」を知った。



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