第33話 西方の街ラルフ

 数日が過ぎ、びょういんには久しぶりの穏やかな空気が流れていた。

 ユフィは体調を徐々に回復させ、簡単な会話や短い読書ができるほどになった。レインとカノンは通常業務に復帰し、リーナはユフィのそばで看護を続け、メルキオルは変わらず忙しなく院内を駆け回っていた。

 そんなある日の午後、びょういんの玄関の扉が勢いよく開いた。


 「よお、久しぶりだな!」


 野太い声とともに現れたのは、闇商人のタグスだった。大きな荷袋を背負い、笑顔を浮かべているが、その目の奥には何かを急ぐような熱があった。

 レインが眉をひそめながらも軽く頷く。


 「……タグス。何か用か?」


 「お前たちにとって、ひょっとしたら運命が変わるかもしれない話を持ってきた。聞くか?」


 その言葉に、院内の空気が少しだけ引き締まる。

 リーナが手に持っていた書類を置き、静かにタグスの方へ近づいた。


 「……話してください」


 タグスは一呼吸置き、低く、しかし確かな声で語り始めた。


 「王都の西の交易路沿いにある街『ラルフ』で、妙な噂が流れてる。“どんな病でも治す女”がいるってな。しかも、その治療法が、どうやら“ソワンの力”に似ているらしいんだ」


 レインとリーナの表情が変わった。


 「ソワンの……生き残り、だと?」


 「確証はない。ただ、その女は“触れるだけで病が癒える”とか、“言葉をかけるだけで熱が引く”とか、にわかには信じられないことをしてるって話だ。だが、目撃証言は多い。あの地に、何かがあるのは確かだ」


 しん、と場が静まりかえる。

 リーナはゆっくりとレインを見た。


 「……本当なら、ユフィを……完全に治せる可能性がある」


 レインはわずかに目を細めたが、すぐに力強く頷いた。


 「ああ。行く価値はある。すぐに行こう」


 「わたしも行きます。法術憲章を読み解くヒントがあるかもしれない!」


 その決断に、メルキオルがすぐさま割って入った。


 「しかし、院を空けて大丈夫なのですか? 現状、医師が減れば――」


 「カノンとメルがいれば何とか頼めないか。しばらくはユフィの状態も安定している。今は……希望を掴むために動くときだと思う」


 レインの言葉に、メルキオルも渋々ながら頷いた。

 カノンは黙ってレインの背中を見ていたが、やがて小さく笑って言った。


 「あなたたちが道を切り開いてくれれば、私はここで道を守る。そういう分担も、ありでしょ?」

 「頼んだ」


 レインはそう言って、カノンと目を合わせた。

 数日後。

 ユフィの枕元で、リーナが出立の準備を整えたレインと並び、微笑みを浮かべていた。


 「ユフィ、少しだけ留守にする。でも、絶対に、君を完治させる方法を見つけてくる」


 「……気をつけて。先生、リーナさん……待ってます。ずっと、ここで」


 ユフィのその声は、弱々しくも温かく、彼女が前を向いている証だった。

 レインとリーナは静かに頷くと、びょういんを後にした。

 向かうは西方の街、ラルフ。

 "ソワンの軌跡"を巡る新たな旅路が、静かに幕を開ける。


* * *


ラルフの街は、遠目からでも賑わいが伝わってくるほどだった。

 石造りの高い城壁が陽光を反射し、その内側からは喧騒と音楽、そして人々の笑い声が漏れ聞こえる。街の外周には荷馬車の列が続き、旅人、商人、芸人、巡礼者……さまざまな人々が行き交っていた。


 「……これがラルフ。噂に違わず、賑わってるな」


 レインは街を見上げた。

 門をくぐると、目に飛び込んできたのは色とりどりの布地が風に揺れる市場の通りだった。果物や香辛料、衣類、宝飾品、異国の品――あらゆる物が雑然と並べられ、呼び込みの声が飛び交っている。

 その活気に、リーナの目がぱっと輝いた。


 「わあっ……見てください、先生、あれ! あの香草! 王都の三倍以上の種類があります! それに、あっちは……ほらっ、すごく綺麗な瓶細工! 見て見て、あれ、あれも!」


 身を乗り出して両手を広げ、視線を右へ左へと忙しなく動かすリーナ。その様子はまるで旅を初めて体験する子どものようで、陽射しの中できらきらと光る笑顔がとにかく眩しい。


 「落ち着け。少しは慎重になれ。歓楽街も近いぞ、どこから人混みに巻き込まれるかわからん」


 口では苦言を呈しながらも、レインの目元はどこか緩んでいた。

 振り返ったリーナがくるりとスカートを翻しながら、ちょこんとレインの隣に並ぶ。


 「先生ってば、せっかくこんな素敵な場所に来たのに、眉間に皺ばかりじゃ損ですよ。ね? 少しは楽しんでもいいですよね?」


 「……お前が楽しんでるのを見てるだけで、十分だ」


 ぽつりとこぼれたレインの本音に、リーナは一瞬きょとんとしたが――すぐに頬をほんのり赤く染め、視線をそらした。


 「も、もう……からかってるんですか? 変な先生……」


 「ああ、変な医者で悪かったな」


 二人の会話をかき消すように、周囲の喧騒がまたひときわ大きくなる。どこかで大道芸人が火を噴き、子どもたちが歓声を上げていた。

 街の空気には、自由と生命力が満ちていた。

 人々が笑い、物が動き、音が重なり、命が躍動している。ラルフはまさに「生きている街」そのものだった。

 ――だが、そんな活気の陰で、人知れず“どんな病でも治す”という女の噂がひっそりと囁かれている。

 レインは通りを見渡しながら、表情を引き締めた。


 「さて。観光はここまでだ。目的を忘れるなよ、リーナ」


 「はい……でも、少しだけ……ね、後で市場、もう一回だけ見てもいいですか?」


 「……行き先次第だな」


 笑いをこらえるようにして、レインは足を進めた。

 目的はただひとつ。

 ――“ソワンの力”を持つ女を探し、ユフィを救う手がかりを得ること。

 賑やかな街の片隅に潜む真実を求め、レインとリーナの探索が静かに始まろうとしていた。

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