第4話

 翌日の昼休み。

 康紀は昨日と同じように僕の席にやってきた。


「良隆、そういえば昨日の面談はどうだったんだ?」


 椅子に座ると同時に、彼は尋ねてきた。


「思ったより早く終わったよ。なんか木代きしろ先生は僕に友達がいないことを心配してたんだけど、昨日から康紀といることを言ったら安心してた」

「そうか。まぁ教員からしたら心配なんだろうな」

「まぁ、康紀も心配されてたけどね」

「はっははは!木代さんも大変だな」


 康紀は他人事のように笑う。

 僕らが原因を作っている張本人だというのに、悪い男である。 


 木代先生とは1年E組の担任である男性教員だ。

 ちなみに僕は木代先生のことは嫌いではない。


 初めてクラスで自己紹介を聞いた時から、爽やかで面倒見の良さそうな人という印象だった。

 個人面談の際に、僕が孤立していることを心配された時は正直面倒だなとは思ったが、それは担任としては当然のことだし、むしろ入学して10日しか経っていないのに僕の現状をしっかり把握しているのは、さすがと言わざるを得ない。

 きっと教師という仕事に誇りを持っているのだろう。


「でも、それも解消されたわけだから、木代さん的には一安心だろ」

「まぁ、そうだね」

 

 どうでもいいが、康紀は基本的に先生には語尾に先生ではなく、さん付けで呼ぶようだ。


 さて、前フリはこの辺にして本題に移らないといけない。

 上牧さんからの依頼を執行せねば。


「……ところでさ、康紀」

「ん?」

「康紀は昨日、僕に彼女がいるのか訊いてきたけど、康紀はどうなの?」

「彼女か?」

「う、うん」

「いねぇよ」

「好きな子も?」

「いねぇな」


 即答だった。

 それも清々しいほどの。


 入学して間もない頃、女子に素っ気ない態度をとっていたし、校内で他の女子と話してるところも見たことなかったから、そんな気はしていた。

 可能性があるとしたら他校の女子と付き合ってるとか、そんな感じかなって気がしていたけど、どうやらそれもないらしい。


「……そ、そうなんだ」


 上牧さんに頼まれたわけではないが、一応情報として訊けそうなことは訊いておこう。

 ちょっと興味はあるし。


「康紀の好きなタイプってどんな子なの?」

「タイプかぁ。タイプっていうと難しいな」

「こだわりとかもないの?年上がいいとか」

「歳はこだわらないな。感覚が合うならいくつでも」

「感覚かぁ。なんか康紀なら色んな女子から言い寄られてそうだけど、そういう時、付き合おうかなとか思わないの」

「今のところはないな」

「どんな人に言い寄られても?」

「そうだな」

 

 その言い草や表情に嘘偽りは感じられなかった。

 

 上牧さん。

 残念ながら康紀はどんな人だろうと、付き合うつもりはないらしい。

 君の友達には気の毒だけど、しっかり現実を受け入れてもらうしかなさそうだ。



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 その日の放課後。


 終礼を終えたと同時に、上牧さんの方から僕に話しかけてきた。


「屋上に上がる階段のとこで待ってて」


 僕は仰せのままに、屋上へ向かう途中の階段に腰掛けて彼女を待っていた。

 すると、1分もしないうちに彼女は駆け上がってきた。


「で、どうだった?」


 よほど気になるのか、彼女は現れるなり僕に結果を尋ねてきた。


「好きな子はいないって」

「嘘よ」


 そして即座に否定した。


「ホントだって。好きな子も彼女もいないし、何ならどんな子に言い寄られても付き合うつもりはないって」


 すると彼女は腕を組み、うーんと、うなり始めた。

 何やら腑に落ちていない様子だが。


「昨日の様子だと、上牧さんが康紀を好きってわけじゃないよね。もし友達に調査を頼まれたってことなら、残念だけどその友達には諦めてもらった方が……」

「言い寄られても付き合わないってことは、既に好きな人がいる可能性はあるってことよね?」

「は?だから好きな人もいないってさっき……」

「とにかく彼に好きな人がいないっていうのは間違いなく嘘よ」


 上牧さんは僕の言うことを被せ気味で反論してくる。

 何やら必死の様子だ。


「何を根拠にそんなこと言ってるのさ?」

「家庭科の豊崎とよさき先生、わかるよね?」


 彼女は急に家庭科担当の豊崎先生の名前を出してきた。 


「そりゃ、もちろん」

「長柄くん、豊崎先生のことが好きなはずよ」


 何を言い出すかと思えば、あまりに奇想天外なことを彼女が口にしたので、僕は開いた口が塞がらない。


「彼、知ってると思うけど授業態度は最悪じゃない?ほとんどの授業はそっぽ向いて聞かないし、寝てる時だってある。でもね、家庭科だけは違うの。豊崎先生の授業の時だけは真っ直ぐ前を向いて、ちゃんと先生の授業を聞いていたのよ」


 入学当初から彼の授業態度の全てを観察してたわけじゃないから、そんなところまでは知らなかった。

 

 豊崎真由とよさきまゆ先生。

 物腰が柔らかくおしとやかで、大きな瞳と背中までかかった長い黒髪が印象的な綺麗な先生である。

 家庭科の授業に加えて、家庭科部の顧問もしている。

 クラスの男子生徒からはもちろん、女子生徒からも人気で憧れている生徒はかなりいるという噂だ。

 上牧さんの様子を見る限り、彼女も豊崎先生に憧れを抱く生徒のうちの一人なんだろう。

 

 それほど人気のある先生なら、康紀が見惚れてもおかしくはないと思うが。


「上牧さん、多分それは違うんじゃないかな」

「どうしてよ?」

「昨日、康紀は事情があって忙しいから部活には入らないって言ってたんだけど、その事情っていうのがどうやら彼のお姉さんが絡んでるみたいなんだ。だから、それと豊崎先生に何か関係があるのかもしれないよ」

「あいつ、お姉さんいるんだ?でも、それが豊崎先生の授業をちゃんと聞く理由になるの?」

「あ……そうだね。確かに。おかしいな」


 僕の推理は即座に撃沈した。


「それにあいつが授業中に豊崎先生を見る目は、何かを探っているような目じゃなかった。恋する男の目よ」

「え?上牧さん、そんなこともわかるの?」

「表情が険しいかそうでないかくらいはわかるでしょ?」


 つまり表情が険しくなかったというだけで、恋する男の目をしていたと判断したのか。

 こじつけにもほどがあるぞ。


「それだけじゃないわ。放課後、私が家庭科室で部活の準備してた時、長柄くんが家庭科室に来たことがあったのよ」


 康紀が家庭科室に?

 放課後の家庭科室は家庭科部員の部室となり、部員は女子しかいなかったような気がする。

 そんなところに康紀が来るなんて、にわかに信じがたい話だ。


「それでその時、私が長柄くんに『どうしたの?』って訊いたら、『豊崎さんは?』って訊いてきたから、『まだ来てないけど何か用?』って訊いたの。そしたら彼、『いや何でもない』って言って、去って行ったことがあったの。その言動が明らかに怪しかったのよ」

「それこそ豊崎先生にお姉さんのことを訊きたかったからじゃないの?」

「だとしても、そんなことが4回もあったのよ。さすがに怪しすぎるでしょ?」

「それは怪しい!!」


 思わず突っ込んでしまった。

 康紀よ、それは怪しすぎるぞ。


 お姉さんのことを訊きたくて豊崎先生を訪ねたのなら、素直にその件を訊けばいいだけなのに、彼のその動きには明らかな迷いが生じている。

 話すことを躊躇ためらっていると考えると、上牧さんの予想もあながち間違いではないような気もしてきた。


 それにしても普段のあの態度からは想像できないピュアすぎる行動だ。

 この2日間で彼のイメージがどんどん更新アップデートされていく。


「でしょ。だから北野くんに真相を確かめて欲しくてお願いしたってわけ」


 ここまでくると、僕自身も真実を明らかにしたいという気持ちが芽生えてきている。


「このままだとあいつのせいで豊崎先生が犯罪者になってしまうわ」


 康紀は誕生日を迎えていなければ、まだ15歳。

 豊崎先生は20代後半くらいだろうか。

 

 10歳以上も離れていることはまだしも、康紀はまだ未成年。

 しかも今はまだ教師と生徒という関係。

 当然このまま突き進むことを黙認するわけにはいかないのだが。


「でも仮にそうだったとしても、さすがに豊崎先生も断るだろうし、両思いになってもお互い成人になるまで待つでしょ普通」

「あのね北野くん、恋愛を甘く見ないで。場合によっては理性が効かなくなることだってあるし、何が起こるかわからないのが恋愛なのよ」


 さすがカースト上位。

 そこまで恋愛を語るくらいなのだから、彼女はさぞかし恋愛に詳しく、経験も豊富なのだろう。


「なら尚更止めないとまずいね」

「そう。だから言ってるのよ」


 彼女が嘘をついているようには見えないし、康紀のしたことは事実なのだろう。

 問題はそれが本当に豊崎先生への恋愛感情からくるものなのか、それともただの上牧さんの誤解なのかだ。


「ということで、調査は続けてもらうわよ。憧れの豊崎先生の危機なんだから」

 

 やはり彼女は豊崎先生に憧れを抱いているようだ。

 まるで推しの熱愛が発覚したファンのように必死の様子である。


「いや、それは別にかまわないけどさ」

「絶対に尻尾を出すまで諦めないんだから」

「探偵か何かですか、あなた」


 とても嫌な予感がするが、僕にはこの問題を解決する能力やアイデアは持ち合わせていないので、今は彼女に従うしかない。

 今できることといえば、彼女の推理が誤解であることを願うだけだ。


「とにかくよろしくね!私、もう部活行かないとだから」

 

 そして彼女は踵を返し、階段を颯爽と駆け降りていった。

 

 上牧さん。

 廊下と階段は走らないように。

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