ー森田家ってー

 森田家は、江戸時代から続く宮大工をしていた。


 神社仏閣、阪急グループの創始者、小林一三邸や、大地主さんなどのお金持ち

の純日本家屋を担当する工務店の仕事をしていた。


 戦前までは、家にも丁稚さんなどを住まわせていたそうだが、私が生まれた頃は、敷地内に小さな官舎のような建物があり、2人ほどの職人さんが住んでらっしゃ

った。

 祖父(祖父と書くと、自分らしくないので、これからはお爺ちゃんと記します)

は、よく人に聞かれると、「うちは家は450坪やと言いなさい」と言われてい

た。

 その他に、家から少し離れた場所に、仕事の作業場や、田畑もあった。

 私には、意味が分からなかったが、家は、近所やお友達の家に比べると大きかっ

た。

 

 門の横には、二階建ての事務所があり、仕事の車などが止められる広い駐車場

と、材木置き場、大工仕事ができる仕事場があった。


 その横に鉄で出来た格子の正門があり、入ると左手に池があり、そこから広い庭

を流れる小さな川が中門を越え、母屋から離れの家まで続いていた。


 小川には母屋から離れに渡る、石で出来た太鼓橋も掛かっていた。

 中門を入ると右手に土蔵で出来た二階建ての大きな蔵が建っていた。


 庭には、いくつかの灯篭や、変わった形の石や二宮金次郎の銅像、いろんな木々に、あらゆる植木や花が植わっていた。


 母屋は、正面玄関と右手に勝手口があり、勝手口の隣には井戸があった。

 家は、純日本家屋の二階建ての、広い家だった。


 襖を取り外すと家で、ちょっとした結婚式が出来たそうだ。

 そんな、広い家屋で、子供なのに孤独で息苦しい毎日を過ごしていた。


 家の場所の地名は勝部と云い、大阪の北摂地区、阪急電車で云うと曽根と岡町駅

の間に位置し、どちらの駅からも歩いて30分以上かかった。


 伊丹空港に近く、今では、いつの間にか、飛んで来る飛行機が着陸する姿(見

上げると、飛行機のお腹が見える)が、ま近で見えるスポット、≪千里川土手≫

として有名になった千里川の畔にある、勝部と云う地域に住んでいた。


ジェット機が飛ぶまでは、時々、頭の上をプロペラ機が通る音が流れたが、静かで、

春になると千里川の土手や畑にレンゲやシロツメクサ、土筆、ヨモギがなり、長閑のどか

所だった。

 いつも一人の私は、千里川の土手に座って、川の流れを眺め、飛行機をぼんや

り眺め、よく、レンゲやシロツメクサを摘んでは、輪っぱにして遊んでいた。


1960年代の(千里川の畔の村)勝部地図

   勝部の駐在さんの息子さん、辻村佐兵衛 作成

       

  「ふるさとの風景・豊中勝部」より

   https://toyonakatsube.sub.jp/katsube_mukasimap01.html


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