Lv.999のモフモフ、異世界で何をする?
九葉(くずは)
第1話 転生したら、Lv.999の毛玉だった件
チカチカと点滅する蛍光灯の光が、やけに目に染みた。
山積みにされた書類とキーボードを叩く乾いた音。
それが、私の最後の記憶だった。
「……まだ、終わらない」
誰に言うでもなく呟いた言葉は、誰の耳にも届くことなく、無機質なオフィスに溶けて消える。
もう何日、家に帰っていないだろう。
視界の端が霞んで、ぐらりと世界が揺れた。
ああ、疲れたな。
もう、頑張らなくていいかな。
温かい布団で、ただ、ぐっすり眠りたい。
それが、私の最後の願いだったのだ。
ふわり、と頬を撫でる優しい風。
土と緑が混じり合った、どこか懐かしい匂い。
木漏れ日がぽかぽかと暖かく、全身を柔らかな光で包んでくれている。
「……ん」
意識がゆっくりと浮上していく。
なんだか、すごくよく眠った気がする。
あんなに重かった体も、嘘みたいに軽い。
私はゆっくりと目を開いた。
そこに広がっていたのは、見慣れたオフィスの天井ではなかった。
高く、どこまでも高く伸びる木々。
その隙間から覗く、吸い込まれそうなほど青い空。
「……どこだ、ここ?」
声を出そうとしたはずが、喉から漏れたのは「きゅ?」という、か細い鳴き声だけだった。
驚いて自分の体を見下ろす。
そこにあったのは、雲みたいにふわふわで、真っ白な毛玉だった。
ちょこんと生えた短い手足。
なんだか、すごく小さい。
状況が、全く理解できない。
パニックになりかけた、その時である。
すぅ、と目の前に半透明のウィンドウが現れた。
まるでゲームの画面みたいに、いくつかの項目が並んでいる。
『ステータス』
『スキル』
『アイテム』
『マップ』
「……は?」
またしても、口から出たのは「ふみゅ?」という間の抜けた音。
これは、割と本気でまずい状況なのではないだろうか。
前世、というべきか。
過労で意識を失う前の私は、しがない会社員だった。
趣味はゲームとネット小説。
なので、この状況が何を意味するのかは、すぐに察しがついた。
いわゆる、異世界転生というやつである。
「まあ、死んだんだろうしな……」
心の中で呟きながら、私は目の前のウィンドウをじっと見つめた。
とにかく、現状把握が最優先である。
私は『ステータス』の項目を、心の中で強く念じた。
「ステータス、オープン」
すると、ウィンドウの表示がすっと切り替わり、詳細な情報が表示される。
【名前】 ルナ
【種族】 神獣
【Lv】 999
【HP】 測定不能
【MP】 測定不能
【STR】 測定不能
【VIT】 測定不能
【AGI】 測定不能
【INT】 測定不能
【DEX】 測定不能
【LUK】 測定不能
【スキル】
《ユニークスキル》
・生命創造(ライフ・クリエイト)
・空間保護(サンクチュアリ)
・因果律操作(ワールド・リライト)
・……他多数
【称号】
・世界の救済者
・星の愛し子
・理を超えし者
・……他多数
「…………」
私はしばらく、無言でその画面を見つめていた。
そして、心の中でそっとウィンドウを閉じた。
見なかったことにしよう。
うん、それがいい。
きっと何かのバグなのだ。
もう一度、私は心の中で強く念じる。
「ステータス、オープン」
【名前】 ルナ
【種族】 神獣
【Lv】 999
……ダメだ。
何度見ても、そこには燦然と輝く「Lv.999」の文字がある。
測定不能のオンパレード。意味ありげなスキルと称号の数々。
前世の記憶が、頭をよぎった。
出世競争、終わらないノルマ、同僚との足の引っ張り合い。
誰もが少しでも高い地位、少しでも良い評価を得ようと、必死になっていた。
私も、その一人だった。
上を目指して、力をつけて、認められたい。
そう思ってがむしゃらに働いた結果が、あの過労死である。
もう、うんざりなのだ。
力を持つこと。
他者より優れていること。
それは、必ず面倒事を引き寄せる。
嫉妬、やっかみ、過剰な期待。
「規格外の力?それより美味しいご飯とのんびり昼寝がしたい」
心の底から、そう思った。
ただ、穏やかで、満たされた生活。
心から安らげる、ささやかな幸せ。
それだけだったのだ。
このLv.999という力は、その全てを壊しかねない危険なものだ。
私は固く、固く決意した。
この力は、絶対に隠し通そう。
誰にも知られず、目立たず、この世界の片隅で静かに暮らすのだ。
そう、今度こそ、私は幸せになってみせる。
そう決めた途端、なんだか心がすっと軽くなった気がした。
近くにあった水たまりを覗き込んでみる。
そこに映っていたのは、体長30cmほどの、本当にただの毛玉だった。
純白のふわふわな毛並み。
耳の先と、くるんと丸まった尻尾の先だけが、綺麗な銀色に輝いている。
吸い込まれそうなほど深い青色の瞳。
……まあ、割とかわいいかもしれない。
自分の尻尾が気になって、くるりとその場で一回転してみる。
「きゅん!」
思わず声が出た。
動物の本能には抗えないらしい。
これはこれで、悪くないのかもしれないな、と少しだけ思った。
平穏に生きる。
そう決めた矢先のことだった。
グオオオオオオォォォンッ!!
森の奥深くから、地を揺るがすような巨大な咆哮が響き渡った。
ビリビリと空気が震え、木々がざわめく。
小鳥たちが一斉に飛び立っていくのが見えた。
「……」
前言撤回。
ここは、どう考えても平穏な場所ではない。
あの咆哮の主と鉢合わせするのは、さすがにごめんである。
Lv.999の力を使えば、あるいは倒せるのかもしれない。
でも、それはダメなのだ。
力を使えば、目立ってしまう。
私の穏やかなスローライフ計画が、初日にして頓挫してしまう。
選択肢は一つしかない。
逃げる、である。
私は小さな四本の足で、ぐっと地面を踏みしめた。
目指すは、人が住む、安全で、静かな場所。
できれば、美味しいパンを焼いているような、小さな村がいい。
「ふみゅっ!」
気合の鳴き声を一つ。
ルナと名付けられた白いモフモフは、前世で失った穏やかな日常を取り戻すため、新たな世界での第一歩を、力強く踏み出したのであった。
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