第二話 3

 翌日、余裕を持って登校したはずの私はそわそわしていた。

 授業までに井坂君を捕まえられれば一旦落ち着ける。

 そう思っていたのだけれど肝心の井坂君が現れないのだ。

 結局井坂君が教室に現れたのは始業ぎりぎりで、とても長話をする暇はない。

 なんだか嬉しそうな顔をしているのが気になった。


 北高校は単位制だから同じクラスだからといって同じ授業を受けるわけではない。

 たしか今日の授業は井坂君と被るものは無かったはずだ。

 次の授業がある教室に移動しつつ考える。

 どうやら今日は落ち着かない一日になりそうだ……。


 放課後なんとか井坂君を捕まえることができた。

 文通について聞きたい伝えると、いぶかしがりながらも笑顔になった。

 心持ち前傾姿勢になっている気もする。

 どうやら誰かに話したい気持ちもあるらしい。


「それで何が聞きたいの?」

「そうだね……。

 文通っていつ頃から始まったの?」

 井坂君は記憶を探るように視線をさまよわせる。


「去年の1月だったか2月だったかそのぐらいかな。

 それからぽつぽつ続いてる。

 実は昨日も手紙を出して、今朝返事が来たところなんだ」


 朝の嬉しそうな顔はそれか。

 ただ1時間目の前は美術室は開いてなかった記憶がある。

 私のいぶかしげな顔を見て、井坂君は頷くと続けて言った。


「もちろん普通は鍵がかかってるよ。

 ただ僕は美術部だからね。

 朝でもやることがあるといえば簡単に開けてもらえるんだ。

 もちろん実際に今日の部活動の準備もしてたから嘘をついたってわけでもないし」


 よっぽど手紙の返事がたのしみだったようだ。

 これなら朝に美術室を覗いてみればよかったか……。

 思わずうつむいてしまう。

 予測しようがなかったことを結果論で悔やむのは悪い癖だと思うがなかなか直らない。

 気を取り直して質問を続ける。

 

「文通ってどんな感じのこと話してるの?」

「今回は描いた絵を見てもらって、感想とかもらった感じ。

 だいたい的確な指摘が入ってくるから勉強になるんだ。

 褒めるところは褒めてもくれるしね。

 一人で書いてた頃と比べるとやる気が全然違ってくるよ」


 私ならどうだろうか​?

 書いている小説に感想を貰った方がやる気が出るのだろうか。

 いや、考えるのはやめよう。

 あの小説はそういうものではない。

 決して万人受けする内容ではないし、そもそも他人を楽しませることができる内容ではないのだ。

 たとえ先さんにだって見せるべきものではない。


 そういえば先さんから確認してほしいといわれていたことがもうひとつあった。

「次の文通っていつになりそうなの?」

 おかしな質問だと思うが井坂君は気にする様子もなく答えてくれた。

 少し残念そうに目を伏せると言う。

「昨日の今日だからね。

 しばらくはいいかな。

 向こうも忙しいだろうし」


 井坂君と分かれ、文芸部に移動する。

 先さんは少し前から待っていたらしく、考え事をしている様子でこちらにすぐには気が付かなかった。

 挨拶して近くの椅子に腰をおろす。

 とりあえず必要なことを報告してしまおう。

「あの……」と声を出して先さんの注意を引く。


「井坂君ですけど文通をはじめたのは今年の1月か2月位って言ってました」

「そう。

 こっちも確認してもらったんだけど夜間部にはやっぱり美術部はないってことだった」

 そうすると状況がややこしい。

 結局誰かが夜間部の美術部を名乗って井坂君と文通をしていることになる。

 頭を軽く振り、続けて報告する。


「次の文通ですけど、しばらくは予定はないみたいです。

 昨日手紙を置いていたらしくて、今日の朝返事が来たって言っていました。

 タイミングが悪かったですね……」

「今日の朝?」

 先さんのその声には意外の念が含まれているように感じた。

 その目が思わず見開かれそうになり、ごまかす様に目を閉じて咳ばらいをしている。

 その動揺は少し大きすぎるように感じた。


「何かおかしなことでもありましたか?

 タイミングは良すぎるかもしれませんが、たまたま昨日今日で文通しててもおかしくはないと思うんですけど」

 先さんはまだ目を閉じたまま、考え事をするかのように目の間を揉んでいた。

 その目が開かれると、携帯電話を取り出して操作する。

 

「この写真を見てほしいんだけど……」

 美術室の写真の様だった。

 中心には絵が置かれており、そのすぐ脇に折りたたまれた紙が置かれている。

 紙自体はルーズリーフのように見える。

 四つ折りされた紙の一辺に綴じるための穴が見えている。

 これは……、井坂君が言っていた手紙だろうか?

 写真を示した姿勢のまま先さんは続けて言った。


「夜間部の生徒が校舎に入っていいのが17時半かららしいんだけど、昨日のその時間の写真。

 昨日連絡をとった知り合いがけっこう心配してくれてね。

 美術室の様子を見てくれたんだけど、その手紙を見つけたんだ。

 いつ手紙が交換されたかもし分かれば手掛かりになると思って、定期的に写真をとってくれたんです。

 もちろん内容を見るようなことはしてないって。

 で、問題がこの写真なんですけど……」

 そう言って先さんは携帯電話を操作する。

 あらためて示してくれたのは全く同じ構図の写真だった。

 手紙も当然のように同じ位置に置かれたままだ。

 同じルーズリーフだし、穴の向きも変わっていない。


「これが夜間部の放課後の写真らしい。

 この写真を撮って、そのまま美術室の戸締りまで待っていたけど誰も手紙に触った様子は無かったって。

 だからてっきり昨日は手紙の交換は無かったと思ってたんだけど……」

 ……どういうことなの?


 ふたりで考え込んでしまった。

 向かい合ったままお互いに首をひねって、少々間抜けな絵面ではある。

 昨日の夜間部の放課後まで手紙は交換されていなかった?

 それなのに井坂君との間の文通は成立している?

 視線をさまよわせたまま、苦し紛れに言ってみる。


「先さんが頼んだその人が文通相手だったという可能性はありませんか?

 いくら何でも協力的すぎる気がしますし、最後の写真をとった後手紙を入れ替えたとか……」

 協力してくれた人には悪いけれど、そのくらいしか思いつかない。

 ただこれは無理筋だろう。

 先さんはまっすぐ私の目を見るとあっさりと答える。


「さすがに無理がないかな?

 それは私も協力的すぎるなとは思ったよ。

 けっこう年上の人でね。

 協力的なのは自分の子供ぐらいの歳の子が面倒ごとに巻き込まれそうなのが見てられない言ってたよ」


 ……コメントが難しい。

 子供みたいな相手にだってひどいことをする人はいくらでもいる。

 それだけでは否定の根拠にはならないだろう。

 ただ先さんは口元に手を当てて、少し考えると続けていった。


「理屈で考えてもあり得そうにないね。

 もしあの人が犯人だったなら別に昨日手紙を交換する必要はない。

 こうして不自然な状況になって無駄に疑われることになるだけだし。

 それに……、夜間部の見学会で知り合ったって言いましたよね。

 今年度に入学したばかりの人だから今年のはじめ頃に文通が始まったっていう話とは矛盾するね」

「それはそうですね……」

 肩を落とす。

 苦し紛れのアイデアではやはり上手くいかないものだ。


 でもだとしたらいったい誰が……?

 しばらくふたりで考え込む。

 鉛のような沈黙の中、時間だけが過ぎていく。

 教室の中では机や椅子の作る影が次第に長くなっていった。

 先さんは机を撫でていた手を持ち上げると、指を1本立てた。


「発想を変えないといけないのかもしれない」

「発想をですか。

 たとえば?」

「たとえば……、文通相手は生徒だとばかり思っていたけど、実は教師だったとか。

 例えば美術の教師なら施錠後に美術室を開けても不自然ではないはず。

 あの写真が撮られた後で手紙の返事を返すことができる……」


 なるほどと思った。

 それならば理屈は通る。

 ただ先さんはまだ納得していない様子だ。

 しばらく眉をひそめて考え込んでいたが、首を振ると言った。


「いや、やっぱり駄目かな。

 夜間部の美術教師が昼間部の生徒の作品に興味を持ったなら素直に名乗って手紙を書けばいいはず……。

 あえて生徒を名乗る理由があるかな?

 仮にあったとしても生徒ならともかく教師なら美術部がないことを知らないはずはないでしょう。

 ないことがわかって美術部の学生を名乗るのも不自然な気がします……」


 言い終わると先さんは目を伏せた。

 考えがまとまらないようだ。

 いったい何がどうなっているのか、雲をつかむような状況なので気持ちはわかる。

 沈黙が気まずい。

 間を持たせようと口を挟む。


「でも夜間部の放課後まで手紙が交換されていなかった以上、先生だと考えるしかないんじゃないでしょうか?

 聞いた感じ井坂君は美術室の鍵を開けて入ったみたいですし、朝の時間に他の生徒が手紙を交換する暇はなかったはずです」

 ……他の生徒が、と自分で口に出して思った。

 では教師ならば……、可能かもしれない。

 夜間部の教師でないのならば、昼間部の教師ならば?

 先さんも同じことを思ったようで考える表情になっている。


 ころころと変わる表情に意外と表情豊かな人だなーとその顔を眺めているが、気が付く様子もない。

 よっぽど集中しているのだろう。

 考えがまとまったのかいつもの表情に戻ると目線がこちらに戻った。

 眺めていたのでまともに目が合ってしまう。

 ちょっと気まずい。

 先さんは軽く咳払いをすると、心なしか頬を赤らめながら言った。


「早朝に手紙を交換した可能性もないとは言えませんが少し危険があるように思います。

 仮に昼間部の教師が犯人だったとして井坂君が朝手紙を確認しに来ることは知っているはずです。

 はちあわせるのは避けたいはず。

 では間違っても生徒が来ないような早朝に交換するのはどうか?

 ほんの数回ならともかく定期的にやり取りをしているとするとこれも難しそうです」


 たしかに教師といえどあまりに早朝に来るようであれば人目が気になるだろう。

 頻繁だとそんな時間に美術室で何をやっているのかという話になる気もする。

 井坂君とはちあわせるリスクもないわけではない。

 では他に手紙を入れ替えられるタイミングがあったのだろうか。


 先さんは携帯電話を取り上げると例の画像をこちらに示した。

 これは始業前と施錠前のどちらの画像なのだろう。

 どちらにしても手紙の状態に差はない。

 この画像から何かわかるとでもいうのだろうか。

 先さんを見る。

 その表情には自信が満ちていた。

 確信に満ちた声で言う。


「たぶんこれもう井坂君の手紙じゃないんですよ」

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