第二章:魔女の日常

第14話:「音を消す少女」

昼休み。

廊下にはパンの袋と恋の匂いが漂っていた。


そして――事件は起きた。


「おはよう、霧島さん。今日もいい声してるね」

神城レンが、例の笑顔で声をかけていた。


学校イチのイケメンで、女子人気ランキングぶっちぎり一位。

成績も運動もそこそこ。性格も悪くない。

でも何かこう、“スペックが整いすぎてて逆に実感がない”。

たぶん、女子に「きゅん」って言わせた回数、県大会出れる。


 


見た目は完全に少女漫画。

声も柔らかく、なぜか“余韻”がある。

イケメンというより、イケボが顔面から歩いてくる感じだった。


「俺さ、放送委員だから音にはうるさいんだよね」

「霧島さんの声、ちょっと変わってると思って……なんか惹かれるっていうか」


うわ。来た。

お前、よりによって“そこ”に触れたか。


俺――佐々木空也は、志乃の斜め後ろから状況を見ていた。

そして、心の中で静かに手を合わせた。


(……合掌。南無三)


だが、志乃は――顔ひとつ動かさなかった。


「空也くん、あっち行こう」


志乃はスッと立ち去る。


空也も後を追う――が、途中でふと振り返った。


「あ、えーと……たぶん、その、悪い意味じゃなかったと思うよ? 志乃的には」


空也は半笑いのまま手をヒラヒラ、語彙力ゼロのまま立ち去ろうとした。


「――急いで」


志乃が無表情で空也の腕を引きづりながら二人は廊下の奥へ消えていった。


その直後、廊下では神城レンが困惑したように喉に手を当てていた。


「ん……? あれ、声が……?」


彼のつぶやきはかすれていて、いつものような“響き”が失われていた。


背後から、“校内ランキングNo.1イケメンが”完無視された音が聞こえたような気がした。


◆ ◆ ◆


その日の午後、俺は珍しくクラスメイトに話しかけられた。


「なあ、空也。お前、霧島さんと付き合ってんの?」


「いやいやいや。ないないない。ゼロ。むしろマイナス」


「でもあれ見たぞ。お前、連れてかれてたじゃん。無言で」


「交通事故みたいなもんだ。不可抗力」


「え~、でもさ、あの志乃さんが唯一しゃべる男子って、お前だけじゃね?」


「頼むからやめてくれ……俺、平和に生きたいんだ……」


本当に平和に生きたいんだ。


なのに、だ。


放課後、俺が靴箱に向かっていると――いた。


神城レン。

髪の毛ふわふわ、制服しわなし、笑顔キラキラの“校内異物”。


「やあ、佐々木くん」


「あ、どうも……」


「君さ、霧島さんと仲良いよね?」


「いや、全然」


「謙遜しなくていいよ」

「彼女、美人なのに、すごく面白いよね。今日の無視っぷり、正直……燃えたよ」


「えぇ……?」


「今まで、俺にあんな対応した子いなかったんだ。すっごく新鮮」


「ええぇ……」


「ね、もしよかったら――何か情報、くれない?」


「……止めといた方が良いよ」


「ん? どうして?」


「本能的に、っていうか……その、たぶんあの人、“音のない人間”が好きなんだと思う」


「それ、どういう意味?」


「いや俺もよく分かってないけど、音の響きで好き嫌い判断してる感じ」


「へぇ~~~……それ、めっちゃ気になるじゃん」


(こいつ……天然で地雷に向かって全力疾走するタイプだ)


◆ ◆ ◆


その夜、俺は夢を見た。


放送室の薄暗い照明の下で、志乃が機械の前に座っていた。

彼女の前には、放送部で使うような音響ミキサーがあった。無数の小さなツマミがずらりと並んでいる。


志乃は、そのうちの一つに指をかけて、ゆっくりと回していた。


「ねぇ、空也くん……音ってね、自由に消せるんだよ?」


ツマミを左に回すと、小さなランプが一つ消え、放送室に流れていた誰かの声がふっと途切れた。


もうひとつ、またひとつと、ツマミが回されていくたびに、耳元に囁かれていたようなクラスメイトの声が順番に消えていく。


「やめろよ!」


慌てて止めようとした俺を、志乃は振り返って優しく笑った。


「大丈夫だよ、空也くんの声は特別。ちゃんと残しておくから」


目が覚めると、俺は喉の奥に、震えが残っているのを感じていた。

 


スマホを手に取ると、見覚えのない通知が一つ点灯している。


――神城レンからのメッセージだった。


『佐々木くん、助けてくれない? 

 声が出なくなったんだ。

 これ、霧島さんと何か関係あるかな?』


背筋を冷たい何かが這い上がり、部屋が一瞬、妙な静寂に包まれた。


すると、そのタイミングを待っていたかのように――スマホが再び震えた。


差出人は志乃。


『空也くん、ちょっと夜中だけどいい? 

 レンくんの声、すごく面白い音になったの。

 一緒に聴いてみない?』

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