婚約破棄されたので政略結婚したら、愛と権力と甘やかしが全部手に入りました
ひだまり堂
第1話 婚約破棄、謹んでお受けいたします
王都リグリュールの中心、太陽神殿の石畳が白く輝いていた。
初夏の陽光の下、神殿の大広間に集まった百を超える貴族たちの視線が、ただ一人の少女に向けられている。
「この場を借りて、正式に告げる」
朗々と響く声は、王国第三王子ライアン・セレファスのものだった。
「この者、エレノア・ヴァンタンとの婚約を、ここに破棄する」
神殿の祭壇に立つ王子の宣言と同時に、空気が弾けた。
ざわめき、ため息、興奮と侮蔑が入り混じった声の波。
エレノアは、壇上に膝をついていた。彼に呼び出されるまま、何も知らぬままこの場に連れて来られ、ただ命じられるがまま“公衆の前”で婚約破棄をされたのだ。
国王はいま隣国の招待を受けて不在にしており、王の承認なく破棄が進むのかとも思ったが、第三王子の発言である。
少なくとも今この場での最高権力者の発言であり、誰もそれを止めることはできなかった。
「エレノア・ヴァンタン。お前は王家にふさわしからぬ女だ。己の立場を弁えぬまま第一王子派と懇意にしたという噂もあり、これ以上王家の名を貶めるわけにはいかぬ」
そう言いながら、ライアンは隣に立つ金髪の美女へと目をやる。
リリス・ベルグロワ。
商人貴族の出身ながら、美貌と積極的な“接待”で王子の寵愛を受け、今ではすっかり社交界の寵児となった女だった。
「私の妃には、潔白で王家の威信を守れる者がふさわしい。リリス嬢こそがその適任だと、我が父王とも話がついている」
まるで“栄誉の継承”でも語るかのように、王子は笑った。
そのすべてが、彼の思い通り。
エレノアが否定しようとも、言葉を発するより先に、場の空気が“彼女が悪い”という空気で満たされていた。
貴族たちはざわつき、顔をしかめる者、口元を緩める者さえいる。
「……ご納得いただけないようであれば、証人を呼びましょうか。君が第一王子派の令嬢や子息と何度も書簡を交わしていたことなど、すぐに証明できますよ」
それは完全な濡れ衣だった。
なぜか勝ち誇ったように高い声でセレナを貶めるリリスは、これ以上ないと言わんばかりの笑顔をこちらに向けた。
(――何を言っても無駄なのね。だったら……)
エレノアは静かに立ち上がった。
視線の先、かつては憧れていたはずのライアン殿下が、いまはまるで別人のように思えた。
思い出すのは、十五の春、初めて「可愛い」と髪を撫でてくれた日。
学園の舞踏会で初めてペアを組んだ夜、ほのかな熱に浮かされて交わした約束。
すべてが、過去になる。
「エレノア・ヴァンタンは、あなた様の婚約者であったことを、誇りに思っておりました」
そして深く、礼をとった。
「このたびの婚約破棄、謹んでお受けいたします」
その声は震えていなかった。
だが、心は震えていた。悔しさと、哀しさと、自分の弱さに。
(だけど私は、ここで崩れたりはしない)
「ふん──」
ライアは縋りつかないエレノアに不満な表情を浮かべた。
「最後まで可愛げがない。泣いて縋れば愛人くらいには慈悲をかけてやってもよかったのにな。
そうだな……エレノアには、国外追放でもいいが……、あぁ、そうだ。いいのがいた。
新たな婚姻を命ずる。北の防衛を預かる、ユーベルト公爵家との縁組だ」
「……!」
その名を聞いた瞬間、空気がさらに張り詰めた。
王国北方を守る辺境の軍事貴族。幾多の戦いで名を馳せながらも、その素顔はほとんど知られていない。
“氷の公爵”の異名を持ち、王家の命令すら平然と突っぱねる孤高の男──それが、レオン・ユーベルト。
(彼に、嫁げというの……?)
「明朝、王都を発つがいい。
公爵領へ向かう馬車はせめてもの花向けに準備してやろう。出立せよ」
王子に見限られ、王都を追われる。
王家の意向に逆らえば、エレノア家の爵位も危うくなる。
これは追放と同義だった。
* * *
屋敷に戻ったエレノアは、夜の間に静かに支度を整えた。
侯爵である父は政治的に中立を貫いてきた人物であり、今回の件で立場が危うくなるのを察し、娘を守ることができないと察して、ただ謝っていた。
母はただ「王子の婚約者だったことはわが家の誇りだった」と小さくつぶやいただけだった。
ひとりきりで荷物を詰めながら、エレノアは自分があまり必要とされていなかったのか、どれほど甘かったか、そんな現実に気付かされ悔しさを覚えた。
(殿下の妃になれると思っていた。愛されていると信じていた。でも、私は、殿下にとっても父や母にとっても、ただの“駒”だったんだ)
それでも。
(駒なら、駒らしく。盤面を転がして、勝ってみせる)
(私を捨てたことを、あの人が一番後悔するように──)
* * *
翌朝、王都の城門前に現れたのは、黒鉄の紋章を掲げた騎士団だった。
その先頭、黒馬にまたがる男が彼女を見下ろす。
鋼の鎧に黒いマント。白銀の髪に、冷たい鋼のような瞳。
「エレノア・ヴァンタンか」
低く、研ぎ澄まされた声。
まるで刀のように、感情を切り捨てた響き。
「私はレオン・ユーベルト。公爵家の長であり、お前の“契約上の夫”となる者だ」
エレノアは無言でうなずいた。
この男と共に、氷と軍政の地──北の果てへと旅立つのだ。
“花向けで用意してやる”と言っていた馬車はただ単にユーベルト公爵に迎えに行けた指示しただけのこと。
婚約破棄された“無価値な女”として扱われたのだ。
だが、彼女は気づいていなかった。
この出会いこそが、自身の人生を大きく塗り替える、“始まり”であることに。
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