17. それは、予期せぬ再会でした
家出を決行し、フローラさんに弟子入りしてから約一年が過ぎた。
僕の人生は、何の希望のない灰色から、希望に満ちたものへと劇的な変化を遂げた。
生活スキルや魔法を覚えるのは楽しかったし、優しい人たちに囲まれ、ささやかな幸福に満ちていた。
ラーシュやフローラさん以外の仲間と組んで、着実に依頼もこなせるようにもなった。ギルドの評判も上々。「もうほとんど一人前ね!」と師匠も誉めてくれた。
そうして弟子卒業も視野に入るようになったある日、僕は、令嬢時代の知り合いに再会したのだった。
+++++
僕が住んでいる街──ハーネは、この地方でもっとも大きな街だ。
隣国との国境にあり、古くから交易の要所として栄えてきた。そしてそれは今も変わらず、たくさんの人や物が街を行き交っている。
国境付近の街、といえば治安が悪い事も多いけど、ハーネは比較的安全な方。僕が出くわしたチンピラ崩れが紛れ込む事もあるが、概ね治安は良い。
それは、隣国との関係が良好で、領主の統治が安定しているからだ。
近くに騎士団も常駐し、街道や周辺を巡回し、魔獣や野盗に対応している。
つまり、何が言いたいかというと。
ハーネという街は、王都からも僕の実家からも遠い、辺境の商人の街で、外から訪れる貴族はほとんどいなかった。そもそも僕は、令嬢時代の知人自体少ない。
だから「この街に知り合いなんかいないだろう」と高を括っていたんだ。なのにどうして、
「──ここで再会したのも、おそらく運命。どうか、私の求婚を受けていただけないだろうか」
かつての知人に求婚されてるのか。人生って本当に分からない。
「──ガラナ砦にようこそ。副官のレゼク・ノイマンだ。以後よろしく」
魔獣の討伐を手伝ってほしい。
つい先日、ギルド経由で騎士団からそんな依頼があった。二つ返事で引き受けた僕は、顔合わせのために、騎士団の本拠地ガルナ砦を訪れた。
僕を出迎えたのは、砦の若き副官だった。
パリッとした制服を姿勢良く着こなした彼は、おそらく二十代前半。この若さで副官なら、かなりの出世頭だろう。
修行僧のような、非常にストイックな印象だが、キリッとした顔立ちはどちらかと言えば塩系の美男子である。
普通にモテそうだな、と思う。しかし重要なのはそこではなかった。
「…………ひぇ」
「どうした?」
挙動不審な僕に、副官は眉をひそめる。
いえ…………どうもこうもありません…………
この人、ものっ……すごい見覚えがある。名前もうっすら記憶にある。
多分──いや間違いなく、いつかの夜会でダンスを踊った相手だ。それも二回、向こうからの申し込みで。
どうしてそんな男がこの辺境にいるんだ。それこそ夜会でダンスとか踊ってたらいいのに……!
背中にダラダラ冷汗が流れる。なるべく平静を装って、「何でもありません」と差し出された手を握る。
彼は僕の手をじっと見つめ、探るようにこちらを見据えた。心臓が縮みそうだ。
「…………君とは以前、どこかで会った気がする」
「いえ、間違いなく初対面です」
にっこり笑って返す。
気づくな頼む……とひたすら祈る。それが天に通じたのか、彼は「そうか」と呟き、すっと手を離した。
「隊長の所に案内しよう。こちらへ」
「ありがとうございます」
踵を返した副官の背中に、どれほど安堵しただろう。バレなかった、助かったぁ……! と内心叫んだ、その時。
「おや、こんな所に、コレット卿が」
「えぇっ!!?」
父がここに!? と慌てて辺りを見回す。が、誰もいない。ハッと副官を見上げると、動揺した僕をつぶさに観察する、茶色の瞳と目が合った。
やられた……!
「君は、マルガレーテ・コレット嬢だな」
それは質問ではなく確認だった。顔からざっと血の気が引く。終わった。完全にバレた。
──いっそ逃げ出してしまおう。
即座に魔方陣を開く。だが、転移魔法は何かの力に打ち消され、発動せずに消えてしまった。
「嘘、何で!?」
「この砦には、侵入防止のために、転移魔法を打ち消す仕掛けがある。君は知らなかったようだが」
彼が淡々と説明する。
……ヤバい詰んだ。魔法以外の方法で、隙のない彼から逃げる方法なんてない。絶望する僕に、レゼク様は無表情で呼びかけた。
「マルガレーテ嬢」
「…………ハイ」
「素性を確かめるためとはいえ、
「そうなんです!! これには海より深ーーーいわけが……!!」
「だが、騎士団としては見逃せない。隊長との打ち合わせが終わった後で、事情をお聞かせ願いたい」
無表情で言うと、彼は「ついてきなさい」と告げて歩きだす。僕はその後をすごすごとついて行った。
挨拶をかわした隊長は、気のいい四十代の屈強なおじ様だった。僕が若いからか、帰り際に飴をくれた。いい人だ。
上の空な打ち合わせが終わり、僕はレゼク様に別室に連行された。殺風景な尋問部屋行きかと思いきや、客人用の部屋に通され、少しばかりほっとする。
腰を下ろしたソファは、なかなか座り心地が良い。堪能してる場合ではないが。
「では事情を伺おう、マルガレーテ嬢」
早速、副官──レゼク様が切り出す。
僕の頭が高速で回転する。この鉄仮面な騎士に、泣き落としが通じるとは思えない。あからさまな嘘をついたらバレた時が怖い。
それに、フローラさんの弟子だという事実は、ギルド経由で知られてるだろう。
こうなったら、フローラさんは僕の素性を知らなかった、という嘘だけ死守しよう。それ以外は、包み隠さず正直に話した方がいい。
尊敬する師匠を罪人にするのだけは、何としても避けたい。
「実は、家出をしまして……」
フローラさんに関する一点を除き、ありのままの事実を伝える。継母の浪費で、財政難に陥った実家。その支援と引換えに、金持ちロリコンジジイに売られかけた事。こっそり覚えた魔法を使い、家出してこの街に来た事。
情けない事情だが、レゼク様は感情の薄い眼差しで、静かに耳を傾けていた。
泣き落としも一応やっておこう。ずびっと鼻を啜ってみる。どうか効いてますように……!
「……というわけなんです」
「成程、理由は承知した」
「僕を、父に突きだしますか……?」
「いや、それは止めておく。君が実家に戻ったら、酷い目にあうのは目に見えている。私一人の胸に収めておこう」
彼は首を振った。心の底から安堵して、へなへなと力が抜けた。深くソファに沈みこみ、長く息を吐いた直後。
彼は再び、とんでもない爆弾を炸裂させた。
「ところで私は、二度、夜会で君にダンスを申し込んだ。覚えているだろうか」
「…………はい」
「私は君に一目惚れして、婚約を申し込むつもりだったんだ、マルガレーテ嬢」
目を丸くして、ポカンと口を開けた僕を、騎士レゼク・ノイマンは無表情で見返した。
「ここで再会したのも、おそらく運命。どうか、私の求婚を受けていただけないだろうか」
今、求婚って言った?
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