15. 剛毅な熊男さんでした
夏の終わり。それは、この地方における長雨の季節だ。ハーネもその長雨に突入したらしい。
昨日も今日も雨。記憶を辿れば、五日前から雨だった気がする。しとしと降り続く驟雨は一向に止む気配がない。
窓から曇天を見上げる。雲から落ちてくる雨粒は、よく考えたらとても不思議で、キラキラして綺麗だと思う。
ただ何日も続けばさすがに鬱陶しい。
魔法で洗濯物を乾かせるようになって良かったとしみじみ思う。
今日はその乾燥魔法の件で、ラーシュから呼び出しがあった。何でも、乾かしてほしい武具があるとかで、至急だとの由。
僕は出かける支度をして、フローラさんに声をかけた。
「師匠、ちょっとラーシュに呼ばれてまして、彼の家に行って来ます」
「うん、ゆっくりしてきていいわよ!」
二つ返事のフローラさんに見送られ、魔方陣を発動させる。周囲の景色が歪み、別の風景に置き換わる。
次の瞬間、僕は小雨が降りしきる中、ラーシュの家の前に立っていた。
こじんまりした石造りの平屋。庇からポタポタと雫が垂れている。軽くノックすると、パッと開いた扉の向こうから、ひょいとラーシュが顔を出した。
「来てくれたか、マール。さ、入ってくれ」
彼は、僕を急かすように招き入れた。珍しく必死な雰囲気だから、よっぽど困ってたんだろうな。
「お邪魔します……」
友人の家に招かれたのは、初めてかもしれない。少し緊張しながら、足を踏み入れたラーシュのうちは……来る前に想像してたのと比べると、ずっと素っ気なかった。
ベッドや机など、最低限の家具しか置かれてない。用途に合わせて使い分けるであろう武具を整然と立て掛けた壁が、少し異質に感じるほどだった。
でも、じろじろ見るのも失礼かと思い、僕は早速本題に入った。
「乾かして欲しいのはどれですか?」
「この辺だ」
ラーシュが指したのは、台の上に並べられた革鎧やベルト、剣の鞘だった。
「一昨日仕事で泥まみれになって、一応洗ったんだが、外には干せねえし、どうしようかって時にマールの魔法を思い出したんだ」
「なるほど」
「去年、同じ状態からカビが生えるわ、金具が錆びるわで結局買い替えたんだ。二年連続買い換えはかなりキッツいから、お前の風魔法が頼りだ」
ラーシュはそう言って眉を下げた。
僕は魔法師見習いだけど、言いたい事は分かる。武具や防具は剣士の命綱だ。整備不良で命を落としたら洒落にならない。
だけど、全て買い替えたらかなりの出費だ。毎年やれば破産だろう。
「わかりました、やってみますね。少し時間がかかるので、ラーシュは休んでてください」
「すまんな、恩に着る!」
拝むように手を合わせるラーシュに笑顔を返し、集中するために目を閉じる。
魔力を操り、温度を調節しながら台に温風を送る。炎と風の魔法を同時に扱うので、地味だけど難易度は高い。「マールって器用ね~!」と師匠にも褒められた、独自の魔法だ。
まあ、洗濯物の乾燥以外にあまり使えないんだけど。
ちなみに、師匠が得意とするのは、火力頼みの強力な炎魔法だ。繊細な調整は苦手なんだとか。
ちょっぴり不器用なフローラさん。かわいい。
気長にのんびり、半刻ほど乾かしていると、革の湿り気はずいぶん取れてきた。
顔を上げると、ラーシュはそばで剣の手入れをしていた。
「大体終わりましたよ。確認してください、ラーシュ」
「どれどれ……おおー、すげえちゃんと乾いてる! これで買い換えしなくて済むぜ。ほんっと助かった!」
「いえ、お役に立てて嬉しいです」
いつもは自分が世話になってばかりだったけど、少しは恩返しできたかな。
外は雨だけど、武具を確認したラーシュの笑顔は、ピカピカの夏の太陽みたいだった。
つられて笑顔になった時──突然、バッターン!とド派手な音がして、玄関の扉が勢いよく開いた。
「バカ息子、元気にしてたかぁーっ!!?」
「だから鍵を壊して入ってくんなっつの、クソ親父!!」
ラーシュが青筋を立ててガバッと振り返った。そちらを見ると、破壊された鍵と取っ手が、ブランブランと扉に引っかかっている。その壊れた扉からノシノシと入って来たのは、熊のような大男だった。
固まってる僕を見て、熊男は歯を見せて笑った。
「おっ、ラーシュの新しい彼女か?」
彼女。いや待って。彼女……?
「お前の目は節穴か!? こいつはどっから見ても男だろうが!」
「何を言ってる。女にしか見えないが?」
「よーく見ろよ、こいつは髪も短ぇし、胸も真っ平らだし、肉も全然ついてねえだろ!!」
あ、ちょっと傷ついた。
「お前こそ大丈夫か? こういう女は、世の中にごまんと……」
僕を指差して、熊男が反論する。
僕は焦りまくった。たぶん、この人は誤魔化せない。自分の直感を信じ、慣習や先入観に惑わされないタイプだ。破壊された扉を見れば、それは一目瞭然だった。
だが、性別を隠してる事がちゃんと伝われば、無闇に騒ぎ立てず、黙っていてくれそうな善良さを持ち合わせてるようにも見えた。
ラーシュの背後から、必死に目で合図する。下手くそなウインクも連発した。
気づいてくれますように、と祈る気持ちが通じたのか、彼は一瞬目を見張った後、「……おう、そうか、男か。悪かったな」と頭をかいて、ガハハと笑った。
「ったりめーだ、クソ親父」
悪態をつくラーシュの後ろで、僕はそっと安堵の息を吐いた。
「……あのう、ラーシュ、用事も終わったしお客さんがいらしたので、僕は帰りますね」
「あんたが先客だろう。ゆっくりしていけ」
「何で親父が仕切ってんだ、俺の家だが?」
──帰ろうとした僕を、何故か熊男が引き留め、三人でダイニングテーブルを囲んでいる。家主のラーシュはいたく不機嫌だし、どうしていいか分からない。
「…………クソ親父、俺の隣にいる初対面の女に、『新しい彼女か?』とか聞くのやめろ。俺が取っ替え引っ替えしてるみてーだろ」
「実際そうだろ」
「実際そうですよね」
「マール、お前まで同意すんな」
「いたいいたいーっ」
ラーシュにこめかみを拳でグリグリされた。痛い。
「はっはっは、何だ何だ、仲良しだな!」
熊男は機嫌良く笑っている。笑ってないで息子さんを止めてください。
「バカ息子、俺は喉が乾いた。茶でも淹れてくれ」
「ちっ、わーったよ」
熊男に言われ、ラーシュはものすごく嫌そうな顔でキッチンに消えた。
向いに座った大男をさりげなく観察する。顔立ちこそラーシュとは似てないけれど、くすんだ銀髪や、深い琥珀色の瞳は、濃い血の繋がりを感じさせた。間違いなく親子だ。
「…………さっきはありがとうございました」
「何の事だ?」
しらっとすっとぼけた父上殿は、僕をじっと見て、ふっと目元を和らげた。
「ふむ……茶を待ってる間に、ちょっとばかりオッサンの話に付き合ってくれるか」
「はい、どうぞ」
何の話が始まるんだろう。首を傾げていると、彼は訥々と話し始めた。
「俺は元々、東の大森林に住まう、狩猟を生業とする一族の出身でな」
唐突な身の上話。意図がわからず面食らう。
だがそんな僕に構わず、父上殿は話を続けた。
「俺たち一族の祖先は、大森林の聖域におわす白狼と、古き森の民の娘だと言われていてな。祖先が狼だからか、一族の男は、これと見定めた伴侶を生涯愛するんだ」
「はぁ、とてもロマンチックですね……?」
ますますよく分からない。何で僕にこんな話を、と怪訝に思っていると、父上殿はガハハと笑って立ち上がった。
「おい、バカ息子! お前の顔は見たから、もう十分だ。またな!」
キッチンに向かって叫ぶと、僕以上に下手くそなウインクを寄越し、熊男は「あいつをよろしくな」と言い残して出ていった。
「待てクソ親父! 茶はどうすんだよ!」
「はっはっは、お前らで飲め。じゃあな!」
キッチンから出てきたラーシュが止めるのも聞かず、来た時と同じように、唐突にいなくなった熊男…………もとい父上殿。
「あの、クソ親父め……!」
「嵐みたいでしたね」
憮然としたラーシュはため息をついて、「お前のも淹れたから飲んでいけ」と僕の前に湯気が立つマグカップを置いた。
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