わんだーらんとりっぷ!

霰石琉希

1.魔法学校の留学生

プロローグ 動き出す物語







「失礼いたします、学園長先生」


静かな廊下に凛とした声とノックの音が響く。分厚い両開きの扉に手をかけ、きらびやかな容姿をした少女が一人の男と対面した。


「まもなく『狭間』を抜けてオーバーワールドへ差し掛かりますわ」

「ええ、ありがとうございます。行きましょう」


学園長先生、と呼ばれた男は革張りの椅子から腰をあげて少女の後ろをついていく。窓のない廊下は太陽光がないなりにろうそくが最大限の仕事をしていた。


「最終確認ですが、今回の接近地は地球の日本という場所でよろしいですね」

「ええ、問題ありません。詳しく言うならば東京の薙沢なぎさわ町ですね」


学園長は胡散臭い笑みを持って少女に微笑みかけた。少女もそれに微笑をもって返す。


「今回も留学生の案内をお願いしますよ、生徒会長さん」

「ええ、勿論ですわ。この生徒会長マーガレット・ストレヴァーにお任せください」






(……あ、ハンカチ)


私の少し先を行く女子生徒のポケットから可愛らしいピンクのハンカチが落ちるのを目にした。女子生徒は友人との談笑に夢中で気づく気配がない。小走りに駆け寄ってハンカチを拾いそのまま女子生徒の肩を叩く。


「あ、神崎かんざきさん……?」


女子生徒は振り返って私を認識した途端にやりにくそうな表情をした。口だけを動かして生徒の目を見つめ、ハンカチを差し出す。


「私のハンカチ……ありがとう……?」


その子の隣にいた生徒や通り過ぎていくクラスメイトが私を珍しいものを見る目で見ていた。生徒にハンカチを押し付けて頭を下げる。訝しげな表情をした彼女たちは教室移動のために足早に去っていった。


(……人と目合わせたの、久しぶりだったな)






終業を告げる鐘が鳴る。部活の生徒で騒がしくなる学校をそそくさと足早にあとにした。


(……瀬戸せとさん、やりづらそうにしてたな)


ハンカチを渡した同じクラスの彼女が苦虫を噛み潰したような表情でこちらを伺っていたのが脳裏によみがえる。口から乾いた笑いがこぼれ出た。今さら感傷的になりはしない。入学して一年、進級して二カ月。話しかけられても言葉を発しない私に話しかける物好きはありふれたあの高校にはいなかった。


私_____神崎かんざきあやめがと親戚一同が気がついたのは小学五年生の秋。肉親を失ってすぐ、お祖母ちゃんが異変に気がついた。あの日から未だ、学校でだけ声が出せないでいる。理由は不明。医者からは精神的なものだと告げられた。最初は筆談や身振り手振りでクラスメイトとコミュニケーションを取ろうとしていたけど、会話のテンポや伝わらなさから何時の間にか皆離れていった。


(友達……か)


私の横を通り過ぎていく同じ制服を着た女子の集団。自転車で坂道を気持ちよさそうに駆け下りていく男子。青春はとっくに諦めた。でも、そのスマホケースに挟まれたプリクラへの憧れは未だ捨てることができなかった。


_____まもなく電車が到着します。黄色い線の内側にお入りください_____


混みがちな快速も夕方ではまだ椅子が空いていた。最寄りの薙沢を過ぎて終点まで乗車し、気だるげな人々の行進に紛れて改札を出た。最寄り駅を二つ過ぎたここは、祖父の友人である富山さんが住んでいる場所だ。富山さんの家は歩いて五分ほどのマンションの六階。ご家族と一緒に暮らしていて、訪問すると温かく出迎えてくれる。


「あやめちゃん、大さんによろしく言っといて」

「はい。ありがとうございました」


祖父への旅行のお土産を受け取るだけだというのにお菓子を他にいくつももらってしまった。そこまで邪魔になるものでもないのが幸いだ。富山さんの住むマンションを出て駅とは反対方向に足を進める。


快速の終点のこの駅周辺は穏やかで自然も多くそれなりに気に入っていた。何より同級生がほとんどいないから、変に絡まれる可能性も少ない。


ゆるやかな坂が続き、小高い丘を道なりに上っていく。登りきった先に綺麗な景色があるとかではまったくない。あるのは一台のクレープのキッチンカー。


「すみません、ミルクキャラメルクレープ一つ」


毎週水曜日にだけこの場所に出店しているキッチンカーのクレープ。娯楽のない生活の中で数少ない楽しみの一つだった。


「うま……」


眼下に広がる屋根だらけの街並みもすっかり見慣れた日常の一コマだ。今日は短縮授業だったからまだ日が高い。たまには丘の一番上まで登ってみようか。


「ごちそうさまでした」


クレープのゴミを捨ててさらに上へと登る道に足を進める。一度だけキッチンカーにお祖父様を連れてきたときはこの道を登るのを断念してクレープを食べただけで帰った。丘を登りきると、今しがた乗ってきた電車の線路や駅舎もはっきりと見える高さになる。初夏特有の若干湿った風が私の髪を撫でた。


「……普通に喋れるようになりたいなー」


喋らない私にやりづらい顔をするクラスメイトももう見飽きた。せめて名前の一つでも呼ぶことができれば状況は変わったのだろうか。


「あーあ、きっかけが欲しいな……」


芝生にごろりと転がった。制服が汚れても構わない。鞄も手足も投げ出してぼんやりと空を見上げる。空はいつもと同じ穏やかな青……ではなかった。


「……なんだあれ」


青空を覆い隠す大きな楕円形。目を凝らせば船のオールのような装飾がいくつもついていて、黒い煙を吐き出している。昔からのファンタジー映画のような飛行船にも見えるが、現代にそんなものがあるだろうか。


「珍しいなあ」


なんとはなしにスマホのカメラアプリを起動して飛行船に向ける。シャッターを切ろうとして気が付いた。


「……写ってない?」


肉眼で見ても装飾がわかるほど大きな飛行船が、スマホが表示する画面には写っていなかった。私は困惑してアプリを再起動する。再起動しても写っていない。


「な……なんで? えっ、私の幻覚?」


空には確かに飛行船があるのに、カメラを通すと写っていない。戸惑っていると後ろから声をかけられた。


「あの……貴方も、あの飛行船が見えているんですか?」

「えっ?」


振り返るとそこに黒いコートを着込んでフードを目深に被った男が立っていた。そのいかにもと言った怪しい見た目に一歩後ずさる。


「えっと」

「見えているんですか?」

「……はい、見えてますけど」


関わってはいけなさそうな雰囲気の男だった。よく観察すればフードの隙間から見える顔に大きな傷が見える。もしかしてヤクザ系の人だろうか。返事しないで逃げればよかった、と遠い目をしていると、男が懐から何かを取り出した。


「それでは____死んでもらおう」


男が取り出したのは銃だった。私は驚いてスマホを取り落とし芝生に尻餅をつく。


「なっ、死ん、ってなんで!?」

「あの飛行船が見える、すなわち我々の敵ということだ」

「意味、意味わかりません!」


あの大きな飛行船くらいみんな見えているだろう。なのになぜ私だけ死ぬとかそういう事態になるのだ。男が銃口を私の方に構えたままじわじわ近づいてきた。


(嫌、助けて、死にたくない、誰か!)


叫んで助けを呼ぼうとしても声がでない。ここで死ぬんだと錯覚した脳が恐怖の感情を煽ってきた。怖い。恐怖で足が動かなかった。


「大人しく死んでくれるみたいでなによりだ」


こんなところで死にたくない。銃口は無慈悲に私の方へ迫ってくる。お爺様、先立つ不孝をお許しください。そんな思いで目をぎゅっと瞑った。


(ああ____友達、欲しかった____)


バン、と乾いた音が響いた。その後に響いた甲高い音。男の舌打ちが聞こえた。

……十秒経っても私は生きている。


「なんとか間に合ったようですわね」


耳の飛び込んできた女の人の声。目を開けると、風に靡いた金色の髪が見える。


(……助かった?)


金髪の女はその髪を惜しげもなく靡かせて、一歩前に進み出た。女が私を振り返る。勝気な表情をしていた。


「ごきげんよう。あとはわたくしにお任せくださいまし!」

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