第6話 「明日は、お前だけのために歌う」

『俺を、トップにしろ』

『来栖ハヤトを、超えさせろ』


神代くんと交わした、あの夜の「契約」。

その言葉が、私の頭の中で、キラキラしたリフレインみたいに、ずっと鳴り響いていた。


私たちは、ただのファンとアイドルじゃない。

共に頂点を目指す、『共犯者』なんだ。


その言葉の響きが、なんだかすごく甘美で、ちょっとだけ危険な香りがして。

翌朝、鏡の中の私は、寝不足のせいで目の下にうっすらクマができているのに、口元は、自分でも気づかないうちに、ふにゃりと緩んでいた。


その変化は、学校での私たちにも、微妙な空気感をもたらしていた。


「――おーい、小鳥遊」


昼休み。

私が一人、教室の隅っこでプロデュースノートを広げていると、クラスの入り口から、不意に声がかかった。

え、と思って顔を上げると、そこに立っていたのは、神代くんだった。

彼が、教室まで、私を訪ねてくるなんて。


クラス中の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。

(ひぃっ! 注目されてる……!)


「きょ、今日の練習は、放課後、いつもの音楽室で……!」

「分かってる。そうじゃなくて」


彼は、ずんずんと私の席まで歩いてくると、私のノートを、上から覗き込んだ。

その距離の近さに、心臓がドキッと跳ねる。


「評価会で歌う曲、どうするつもりだ」

「え、あ、それは……!」

「決まってないなら、さっさと決めろ。時間はねぇんだぞ、プロデューサー」


ぶっきらぼうな言い方だけど、それは、彼が私を頼ってくれてるってことだよね?

私がうんうん頷いていると、隣の席から、ニヤニヤしたきらりさんが、ひじで私の脇腹をつついてきた。


「あんたらさー、なんか昨日から雰囲気変わった? っていうか、神代、あんたがデレるとか、槍でも降るんじゃないの?」

「……うるさい」


神代くんは、きらりさんをジロリと睨むと、気まずそうに「じゃあな」とだけ言って、教室から出て行ってしまった。

その、ほんのり赤くなった耳を、私と副会長は見逃さなかった。


(か、可愛い……! 共犯者、最高すぎる……!)



「来栖ハヤトを超えるには、既存の曲のカバーだけじゃ、足りません」


放課後、いつもの音楽室。

私は、プロデュースノートを開いて、神代くんに宣言した。


「衝撃度、話題性、そして、オリジナリティ。すべてにおいて、彼を上回る何かが必要なんです。だから……」


ごくり、と息をのむ。


「あなたのための、あなただけの、オリジナル曲を作りましょう!」


私の提案に、神代くんは、一瞬、目を見開いた。

そして、何かを考えるように、ふっと視線を落とす。

長い沈黙。

やっぱり、無茶な提案だったかな……。


「……曲なら」


ぽつり、と彼が呟いた。


「ある」

「え?」

「……誰にも、見せたことないやつが」


彼は、自分のカバンの中から、くしゃくしゃになった一冊のノートを取り出した。

そして、ためらうように、でも、意を決したように、それを私の前に差し出す。


そのノートに書かれていたのは、楽譜の断片と、走り書きされた、いくつかの言葉だった。

それは、ひどく切なくて、痛々しくて、でも、どうしようもなく美しいメロディー。


『硝子の箱庭』『偽物の空』『届かない光』


歌詞になるはずであろう言葉の断片は、彼の心の叫びそのものみたいだった。

きっと、彼の過去に、何かがあったんだ。

ファンが一人もつかなかった理由。いつも孤独を纏っていた理由。その答えの、ほんの一部に触れてしまった気がした。


ズキッ、と胸が痛む。

だけど、それと同時に。


キラリ……


私の頭の中に、鮮やかな映像が、流れ込んできた。

ステージの上で、この曲を歌う神代くんの姿。

彼を照らす、一筋のスポットライト。

切ないメロディーに、希望の光が差し込むような、ストリングスの音色。

そして、彼の歌声に、熱狂する満員の観客たち――。


(これだ……!)


「神代くん、この曲、すごいです……! でも!」


私は、彼の瞳を真っ直ぐに見た。


「このままじゃ、ダメです」

「……何?」

「この曲は、あまりにも悲しすぎるから。このまま歌ったら、あなたの心も、聴いてる人の心も、全部、孤独の闇に引きずり込んじゃう」


私の言葉に、彼は、傷ついたような顔をした。

でも、私は続ける。


「だから、光を加えましょう。この『偽物の空』を突き破る、本物の光を! ここの歌詞は、『届かない光』じゃなくて、『手を伸ばした光』に変えませんか? そして、このメロディーの最後には、夜明けを告げるような、力強いピアノの音を入れるんです!」


夢中で話す私を、神代くんは、信じられないという顔で見ていた。


「……なんで、お前に、そんなことが分かる」

「私、あなたのプロデューサーですから!」


胸を張って、そう答える。

本当は、自分でもよく分かってない。

でも、彼の曲を聴いた瞬間、最高のステージが、見えたんだ。

これが、私のファン力が進化した、新しい能力なんだって、直感的に理解した。


私たちは、その日から、二人だけの共同作業に没頭した。

私が提案するアレンジのイメージを、彼が必死に音にしていく。

ああでもない、こうでもないと、何度もぶつかり合って、笑い合って。

音楽室に、二人の声と、ピアノの音だけが響く。

その時間が、私にとって、かけがえのない宝物になっていった。



評価会まで、あと一週間。

私たちの秘密の特訓は、ますます熱を帯びていた。


「ここのステップ、もっと大きく! ファンは、あなたの指先の、その先の宇宙まで見てるんですよ!」

「無茶苦茶言うな……!」


新曲の振り付けを確認する、その時だった。

私が、お手本を見せようと、くるりとターンした瞬間。


「きゃっ!?」


運悪く、床に置いてあった楽譜で、足を滑らせてしまった。

やばい、転ぶ!

そう思って、ぎゅっと目をつぶった、その時。


ぐいっ、と強い力で、腕を引かれた。

気がつくと、私は、神代くんの胸の中に、すっぽりと収まっていた。


「……っ!?」


彼の、固い胸板。

練習で火照った体の熱。

すぐ近くで聞こえる、私と同じくらい、速くて大きな心臓の音。

シャンプーの、爽やかな匂い。


ドキィィィィッ!!


時間が、止まる。

至近距離で、彼の顔がある。

汗で濡れた銀色の前髪の隙間から、驚きに見開かれた、色素の薄い瞳が見える。


(むりむりむり、近すぎる……!)


「……どけ。重い」


先に我に返った彼が、憎まれ口を叩く。

私は、はっと弾かれたように、彼から飛びのいた。


「ご、ごめんなさい! 重くないです! いや、重いけど、そうじゃなくて!」

「意味が分からん」


しどろもどろになる私を見て、神代くんは、ふいっと顔をそむけた。

でも、その耳が、トマトみたいに真っ赤になっているのを、私は、ちゃんと見ていた。

もちろん、私の顔も、きっと同じ色をしていたはずだ。


もう、練習どころじゃなかった。

アイドルとプロデューサー。

その関係の裏側に、別の感情が芽生え始めていることに、私たちは、もう気づかないふりはできなかった。



そして、運命の評価会、前日。


「……できた」


音楽室に、完成したばかりの新曲が響き渡る。

私たちの、ううん、神代玲の、最高の一曲。

タイトルは、『アルカトラズ・スター』。

孤独な牢獄(アルカトラズ)から、星になるんだという、決意の歌だ。


「完璧です……! これなら、絶対に、ハヤトくんを超えられます!」

「……当たり前だ」


私たちは、満足感と、心地よい疲労感に包まれていた。

もう、やるべきことは、すべてやった。


「あの、神代くん」


帰り道。

私は、カバンの中から、小さな布袋を取り出した。


「これ……」

「……なんだ?」

「お守り、です。気休めかもしれないけど、私が、あなたの成功を、ずっとずっと、祈ってるっていう、証なので……」


恥ずかしくて、顔が上げられない。

手作りの、不格好なお守り。迷惑かな。


神代くんは、何も言わずに、それを受け取った。

そして、壊れ物を扱うみたいに、そっと、自分の制服の胸ポケットにしまった。


「……小鳥遊」


不意に、真剣な声で、名前を呼ばれる。

ドキッとして顔を上げると、彼の、燃えるような強い瞳が、私を射抜いていた。


「明日は、お前だけのために歌う」


「え……?」


思考が、止まる。

お前だけ、のために……?

それって、どういう……。


「だから、ちゃんと見てろよ」


彼は、一歩、私に近づくと、私の耳元で、囁いた。


「――俺が、ハヤトを超える瞬間を」


ズッキュゥゥゥン!!!


それは、今まで聞いた、どんなアイドルの甘いセリフよりも。

世界中の、どんなラブソングよりも。

私の心を、根こそぎ奪っていく、最高のファンサービスであり、最高の宣戦布告だった。


「は、はい……!」


頷くのが、精一杯。

彼の瞳に吸い込まれそうで、もう、息もできなかった。


決戦の朝は、もうすぐそこまで来ていた。

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