第6話 「明日は、お前だけのために歌う」
『俺を、トップにしろ』
『来栖ハヤトを、超えさせろ』
神代くんと交わした、あの夜の「契約」。
その言葉が、私の頭の中で、キラキラしたリフレインみたいに、ずっと鳴り響いていた。
私たちは、ただのファンとアイドルじゃない。
共に頂点を目指す、『共犯者』なんだ。
その言葉の響きが、なんだかすごく甘美で、ちょっとだけ危険な香りがして。
翌朝、鏡の中の私は、寝不足のせいで目の下にうっすらクマができているのに、口元は、自分でも気づかないうちに、ふにゃりと緩んでいた。
その変化は、学校での私たちにも、微妙な空気感をもたらしていた。
「――おーい、小鳥遊」
昼休み。
私が一人、教室の隅っこでプロデュースノートを広げていると、クラスの入り口から、不意に声がかかった。
え、と思って顔を上げると、そこに立っていたのは、神代くんだった。
彼が、教室まで、私を訪ねてくるなんて。
クラス中の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
(ひぃっ! 注目されてる……!)
「きょ、今日の練習は、放課後、いつもの音楽室で……!」
「分かってる。そうじゃなくて」
彼は、ずんずんと私の席まで歩いてくると、私のノートを、上から覗き込んだ。
その距離の近さに、心臓がドキッと跳ねる。
「評価会で歌う曲、どうするつもりだ」
「え、あ、それは……!」
「決まってないなら、さっさと決めろ。時間はねぇんだぞ、プロデューサー」
ぶっきらぼうな言い方だけど、それは、彼が私を頼ってくれてるってことだよね?
私がうんうん頷いていると、隣の席から、ニヤニヤしたきらりさんが、ひじで私の脇腹をつついてきた。
「あんたらさー、なんか昨日から雰囲気変わった? っていうか、神代、あんたがデレるとか、槍でも降るんじゃないの?」
「……うるさい」
神代くんは、きらりさんをジロリと睨むと、気まずそうに「じゃあな」とだけ言って、教室から出て行ってしまった。
その、ほんのり赤くなった耳を、私と副会長は見逃さなかった。
(か、可愛い……! 共犯者、最高すぎる……!)
◇
「来栖ハヤトを超えるには、既存の曲のカバーだけじゃ、足りません」
放課後、いつもの音楽室。
私は、プロデュースノートを開いて、神代くんに宣言した。
「衝撃度、話題性、そして、オリジナリティ。すべてにおいて、彼を上回る何かが必要なんです。だから……」
ごくり、と息をのむ。
「あなたのための、あなただけの、オリジナル曲を作りましょう!」
私の提案に、神代くんは、一瞬、目を見開いた。
そして、何かを考えるように、ふっと視線を落とす。
長い沈黙。
やっぱり、無茶な提案だったかな……。
「……曲なら」
ぽつり、と彼が呟いた。
「ある」
「え?」
「……誰にも、見せたことないやつが」
彼は、自分のカバンの中から、くしゃくしゃになった一冊のノートを取り出した。
そして、ためらうように、でも、意を決したように、それを私の前に差し出す。
そのノートに書かれていたのは、楽譜の断片と、走り書きされた、いくつかの言葉だった。
それは、ひどく切なくて、痛々しくて、でも、どうしようもなく美しいメロディー。
『硝子の箱庭』『偽物の空』『届かない光』
歌詞になるはずであろう言葉の断片は、彼の心の叫びそのものみたいだった。
きっと、彼の過去に、何かがあったんだ。
ファンが一人もつかなかった理由。いつも孤独を纏っていた理由。その答えの、ほんの一部に触れてしまった気がした。
ズキッ、と胸が痛む。
だけど、それと同時に。
キラリ……
私の頭の中に、鮮やかな映像が、流れ込んできた。
ステージの上で、この曲を歌う神代くんの姿。
彼を照らす、一筋のスポットライト。
切ないメロディーに、希望の光が差し込むような、ストリングスの音色。
そして、彼の歌声に、熱狂する満員の観客たち――。
(これだ……!)
「神代くん、この曲、すごいです……! でも!」
私は、彼の瞳を真っ直ぐに見た。
「このままじゃ、ダメです」
「……何?」
「この曲は、あまりにも悲しすぎるから。このまま歌ったら、あなたの心も、聴いてる人の心も、全部、孤独の闇に引きずり込んじゃう」
私の言葉に、彼は、傷ついたような顔をした。
でも、私は続ける。
「だから、光を加えましょう。この『偽物の空』を突き破る、本物の光を! ここの歌詞は、『届かない光』じゃなくて、『手を伸ばした光』に変えませんか? そして、このメロディーの最後には、夜明けを告げるような、力強いピアノの音を入れるんです!」
夢中で話す私を、神代くんは、信じられないという顔で見ていた。
「……なんで、お前に、そんなことが分かる」
「私、あなたのプロデューサーですから!」
胸を張って、そう答える。
本当は、自分でもよく分かってない。
でも、彼の曲を聴いた瞬間、最高のステージが、見えたんだ。
これが、私のファン力が進化した、新しい能力なんだって、直感的に理解した。
私たちは、その日から、二人だけの共同作業に没頭した。
私が提案するアレンジのイメージを、彼が必死に音にしていく。
ああでもない、こうでもないと、何度もぶつかり合って、笑い合って。
音楽室に、二人の声と、ピアノの音だけが響く。
その時間が、私にとって、かけがえのない宝物になっていった。
◇
評価会まで、あと一週間。
私たちの秘密の特訓は、ますます熱を帯びていた。
「ここのステップ、もっと大きく! ファンは、あなたの指先の、その先の宇宙まで見てるんですよ!」
「無茶苦茶言うな……!」
新曲の振り付けを確認する、その時だった。
私が、お手本を見せようと、くるりとターンした瞬間。
「きゃっ!?」
運悪く、床に置いてあった楽譜で、足を滑らせてしまった。
やばい、転ぶ!
そう思って、ぎゅっと目をつぶった、その時。
ぐいっ、と強い力で、腕を引かれた。
気がつくと、私は、神代くんの胸の中に、すっぽりと収まっていた。
「……っ!?」
彼の、固い胸板。
練習で火照った体の熱。
すぐ近くで聞こえる、私と同じくらい、速くて大きな心臓の音。
シャンプーの、爽やかな匂い。
ドキィィィィッ!!
時間が、止まる。
至近距離で、彼の顔がある。
汗で濡れた銀色の前髪の隙間から、驚きに見開かれた、色素の薄い瞳が見える。
(むりむりむり、近すぎる……!)
「……どけ。重い」
先に我に返った彼が、憎まれ口を叩く。
私は、はっと弾かれたように、彼から飛びのいた。
「ご、ごめんなさい! 重くないです! いや、重いけど、そうじゃなくて!」
「意味が分からん」
しどろもどろになる私を見て、神代くんは、ふいっと顔をそむけた。
でも、その耳が、トマトみたいに真っ赤になっているのを、私は、ちゃんと見ていた。
もちろん、私の顔も、きっと同じ色をしていたはずだ。
もう、練習どころじゃなかった。
アイドルとプロデューサー。
その関係の裏側に、別の感情が芽生え始めていることに、私たちは、もう気づかないふりはできなかった。
◇
そして、運命の評価会、前日。
「……できた」
音楽室に、完成したばかりの新曲が響き渡る。
私たちの、ううん、神代玲の、最高の一曲。
タイトルは、『アルカトラズ・スター』。
孤独な牢獄(アルカトラズ)から、星になるんだという、決意の歌だ。
「完璧です……! これなら、絶対に、ハヤトくんを超えられます!」
「……当たり前だ」
私たちは、満足感と、心地よい疲労感に包まれていた。
もう、やるべきことは、すべてやった。
「あの、神代くん」
帰り道。
私は、カバンの中から、小さな布袋を取り出した。
「これ……」
「……なんだ?」
「お守り、です。気休めかもしれないけど、私が、あなたの成功を、ずっとずっと、祈ってるっていう、証なので……」
恥ずかしくて、顔が上げられない。
手作りの、不格好なお守り。迷惑かな。
神代くんは、何も言わずに、それを受け取った。
そして、壊れ物を扱うみたいに、そっと、自分の制服の胸ポケットにしまった。
「……小鳥遊」
不意に、真剣な声で、名前を呼ばれる。
ドキッとして顔を上げると、彼の、燃えるような強い瞳が、私を射抜いていた。
「明日は、お前だけのために歌う」
「え……?」
思考が、止まる。
お前だけ、のために……?
それって、どういう……。
「だから、ちゃんと見てろよ」
彼は、一歩、私に近づくと、私の耳元で、囁いた。
「――俺が、ハヤトを超える瞬間を」
ズッキュゥゥゥン!!!
それは、今まで聞いた、どんなアイドルの甘いセリフよりも。
世界中の、どんなラブソングよりも。
私の心を、根こそぎ奪っていく、最高のファンサービスであり、最高の宣戦布告だった。
「は、はい……!」
頷くのが、精一杯。
彼の瞳に吸い込まれそうで、もう、息もできなかった。
決戦の朝は、もうすぐそこまで来ていた。
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