九尾の天狐と“ニセ嫁”契約中ですが、護りが甘すぎて心臓がもちません!

旅する書斎(☆ほしい)

第1話 落ちこぼれの私、最強あやかし様の〝偽りの花嫁〟に選ばれました!?

(私なんて、きっとここに咲く名も無い花と一緒なんだ)


帝都八尋(やひろ)学園の広大な庭園。その片隅でひっそりと咲く紫色の小さな花を眺めながら、私はぎゅっと膝を抱えた。

私の名前は、一之瀬 美桜(いちのせ みお)。

ここは、人間とあやかしが共存し、その力の優劣ですべてが決まる超エリート校。


人間は、あやかしを使役したり、結界を張ったりする神聖なエネルギー――「霊力」の強さで。

あやかしは、その種族と、生まれ持った神秘の力――「妖力」の量で。


生徒たちはそれぞれ、霊力と妖力のレベルに応じて『天(てん)』『地(ち)』『人(じん)』の三つの階級(ランク)に分けられる。そして、歴史ある巫女の家系に生まれた私は……最低ランクの『人』。誰からも“落ちこぼれ”と蔑まれる存在だ。


「きゃっ! 見て、あれって一之瀬さんじゃない?」

「うそ、まだあんな所にいたんだ。霊力が低いと、存在感まで薄くなるのかしらね」


渡り廊下から聞こえてくる、刺さるようなヒソヒソ声。顔を上げなくても誰だか分かる。同じ『人』ランクだけど、少しでも上の階級に取り入ろうと必死な子たちだ。


(大丈夫。慣れてる、慣れてるから)


心の中で呪文のように繰り返す。でも、胸の奥がちくりと痛んだ。ズキッ、と鈍い音が響く。

霊力がほとんど無い私にできることなんて、庭師さんが育てている花壇の草むしりくらい。これも一応、奉仕活動っていう授業の一環なんだけど、実質的には厄介払いみたいなものだ。


「はぁ……」


ため息が、春の柔らかな風に溶けて消えていく。こんな私が、どうしてこの学園にいるんだろう。名家のプライドを守りたいお父様とお母様の気持ちは分かるけど、私にとっては毎日が針のむしろだ。


その時だった。


「――探したぞ、一之瀬美桜」


凛、と空気が凍るような、静かで低い声。

ビクッとして顔を上げると、そこに“彼”が立っていた。


夕日に照らされた渡り廊下。そこに立つだけで、周りの景色すべてが背景になるような圧倒的な存在感。

キラキラと光を弾く、流れるような銀色の髪。

この世の美しさをすべて集めて閉じ込めたような、完璧な造形。

そして、すべてを見透かすかのような、冷たい光を宿した金の瞳。


(し、白月、さま……!?)


心臓が、ドクンッ!と大きく跳ねた。

声も出せない私を、彼は無感情な瞳で見下ろしている。


白月(しらつき)様。

学園の頂点、最高ランクである『天』の中でも、さらに別格の存在。千年の時を生きると言われる、最強のあやかし――九尾の天狐。

彼が歩けば、誰もが道を譲る。彼が話せば、誰もが息をのむ。まさに、この学園の絶対的な支配者。


私みたいな『人』ランクの生徒が、気安く名前を呼ぶことすら許されない、雲の上の、そのまた上の存在。


(ど、どうして、白月様が私を……?)


パニックで頭が真っ白になる。周りを見れば、さっきまで私を笑っていた子たちも、他の生徒たちも、みんな息をのんで遠巻きに私たちを見ている。憧れと、畏怖と、そしてほんの少しの嫉妬が混じった視線が、痛いほど突き刺さる。


「……来い」


短く、命令するような一言。

白月様は私に背を向けると、長い廊下を迷いなく歩き始めた。金の刺繍が施された純白の羽織が、さらりと揺れる。


「え、あ、あの……っ!」


待って、なんて言えるはずもない。

私は慌てて立ち上がり、土のついた手を制服で払いながら、彼の広い背中を夢中で追いかけた。


(なんで? なんで私が?)

(何か粗相をしちゃった? でも、接点なんて一度もなかったはず……!)


心臓がバクバクうるさくて、自分の足音すら 제대로聞こえない。

たどり着いたのは、学園の最上階にある、選ばれた『天』ランクの生徒しか入ることのできない「天空の茶室」と呼ばれる特別な部屋だった。


静まり返った広い和室。大きな窓からは、夕焼けに染まる帝都の街並みが一望できる。

白月様は、窓の外に広がる絶景に目を向けたまま、静かに口を開いた。


「一之瀬美桜」

「は、はいっ!」


裏返った声が出ちゃって、恥ずかしさで顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。

彼はゆっくりとこちらに振り返る。逆光になって、彼の表情がよく見えない。それが、余計に私の緊張を煽った。


「単刀直入に言う。今日からお前は、俺の花嫁だ」


「…………へ?」


時が、止まった。

今、なんて言った? はなよめ? 私が? 誰の?

……この、白月様の?


(え、え、え、ええええええええ!?)


思考が完全に停止する。口をぱくぱくさせることしかできない私を見て、白月様は少しだけ眉を寄せた。そのわずかな表情の変化でさえ、息をのむほど美しい。


「……理解が追いつかないか。まあ、無理もない」

「あ、あの、それって、どういう……。人違い、とかではなくて……?」

「お前だ。一之瀬家の、霊力を持たない“落ちこぼれ”。お前がいい」


“落ちこぼれ”という言葉が、彼の口から発せられると、なぜかいつもより深く胸に突き刺さる。ズキッ、と痛む心を無視して、私は必死に言葉を絞り出した。


「な、何かの冗談ですよね? 私みたいな者が、白月様のその……お相手なんて、天地がひっくり返ってもありえません!」

「冗談でこんな場所へお前を呼ぶほど、俺は暇ではない」


彼の声は、どこまでも冷たくて静かだ。

信じられない。信じたくない。だって、私と白月様じゃ、住む世界が違いすぎる。家柄だって、比べものにならない。それに何より、私は彼のことが苦手だった。

完璧すぎて、冷たすぎて、何を考えているか分からなくて。遠くから眺めているだけで、胸が苦しくなるような人。


「で、でも、私には霊力がありません! あなた様の隣に立つ資格なんて……!」

「それだ」


白月様は、すっと目を細めた。

「霊力がない。家柄は悪くない。だが、誰からも注目されていない。――お前は、俺の“花嫁”に最適なんだ」


(……え?)


彼の言葉の意味が分からなくて、私はただ瞬きを繰り返す。

すると、白月様はふっと息を吐いて、まるで面倒くさそうに本当の目的を口にした。


「……俺の一族が、しきりに縁談を押し付けてくる。力ある巫女の家系の娘と番(つが)い、より強力な子孫を残せ、とな。……実に、くだらん」


その声には、苛立ちと、深い孤独の色が滲んでいるように聞こえた。

(縁談……)

最強の天狐である彼にも、そんな悩みがあるんだ……。少しだけ、意外だった。


「俺は、誰かと番う気など毛頭ない。だが、何度断っても無駄だ。そこで、考えた」

「……」

「既に俺に“花嫁”がいれば、一族も諦めるだろう」


そこで、彼の視線が、まっすぐに私を射抜いた。

金の瞳が、捕らえた獲物を逃さないとでも言うように、強く、光る。


「――つまり、お前には俺の『偽りの花嫁』を演じてもらう」


偽りの、花嫁。


(そっか……そういうことだったんだ)


ストン、と胸の中に何かが落ちてきた。

やっぱり。そうだよね。私みたいな“落ちこぼれ”が、この学園の頂点に立つ白月様に本当に選ばれるわけがない。

全部、彼の都合のいい『演技』のため。

なんだか急に力が抜けて、少しだけ笑ってしまいそうになった。がっかり、したのかな。私。


(って、なんで私ががっかりする必要があるの――っ!?)


「お断り、します」

自分でも驚くくらい、はっきりとした声が出た。


白月様の美しい眉が、ぴくりと動く。

「……何だと?」

「そんなの、私には無理です! 偽りの婚約者なんて……そんな大役、務まりません! それに、あなたの都合で私の人生をめちゃくちゃにしないでください!」


そうだ。どうして私が、彼の茶番に付き合わなくちゃいけないの。

“落ちこぼれ”だって、私には私の平穏な(?)毎日があるんだ。これ以上、目立つなんてごめんだ。


勇気を振り絞って言い返した私を、白月様はただ黙って見つめている。その金の瞳の奥に、初めて見る光が宿った。それは、怒りでも、悲しみでもなく……まるで、面白いおもちゃを見つけた子供のような、ほんの少しの“好奇心”。


「……俺に逆らうのか。お前、自分が今どういう立場にいるか分かっているのか?」

地を這うような低い声に、背筋がぞくりと凍る。

そうだ。この人は、最強のあやかし。この学園の王様。彼に逆らうことが、どれだけ愚かなことか。

分かってる。分かっているけど……!


「それでも、嫌なものは嫌です!」


私がそう叫んだ、瞬間だった。

ふわっ、と甘い白檀の香りが鼻をかすめる。

気づいた時には、目の前に白月様の顔があった。


「――ッ!?」


彼が、一瞬で私との距離を詰めたのだ。

長い指が伸びてきて、私の顎をくいっと掴む。逃げることなんて、できなかった。


「……面白い」


吐息がかかるほどの至近距離。

見上げると、冷たくて綺麗だと思っていた金の瞳が、熱を帯びて揺らめいていた。

ドキッ、と心臓が大きく音を立てる。


(ち、近い……!)


顔が熱い。頭が真っ白になる。彼の顔が綺麗すぎて、心臓が痛い。

白月様は、私の目をじっと見つめたまま、ゆっくりと囁いた。


「いいだろう。ならば、お前に拒否権はない」

「え……?」

「俺の花嫁になるか、――この学園から追放されるか。お前が選べ」


追放。その言葉が、氷の刃のように私の胸に突き刺さった。

この学園を追放されるということは、一之瀬家の恥になるということ。両親に、勘当されてしまうかもしれない。そしたら、私にはもう帰る場所がなくなる。


「そん、な……卑怯、です」

「ああ、卑怯だ。それがどうした?」


彼は悪びれもせずに言い放つ。

悔しくて、唇をぎゅっと噛みしめる。瞳に、じわりと涙が滲んだ。

どうして。どうして、私がこんな目に……。


私の揺れる瞳を見て、白月様は満足そうに口の端を上げた。それは、笑みと呼ぶにはあまりにも冷たくて、美しい笑みだった。


そして、彼が私の顎から手を離すと、その骨張って綺麗な指先が、今度はゆっくりと私の前髪をかき分ける。


「ひゃっ……!?」


額に触れた、彼の指先の冷たさ。

ビクッと体が震える。

何をするつもりなの、と見上げると、彼の金の瞳が、妖しく光を放っていた。


「契約だ。お前が二度と、俺から逃げられないように」


そう言うと、白月様は自身の親指を軽く噛み切った。ぷつり、と彼の白い指先に浮かんだ赤い血。

そして、その血を帯びた指先を、私の額に、そっと押し当てた。


「――ここに、俺の『花嫁の印』を刻む」


ズキンッ!!


額の、彼が触れた場所から、稲妻のような鋭い痛みが全身を駆け巡った。

でも、それは一瞬のことで、すぐに熱へと変わっていく。まるで、彼の魂の一部が、私の体に流れ込んでくるような、不思議で、抗いがたい感覚。


「あ……ぁ……」


目の前が、チカチカする。

力が抜けて、崩れ落ちそうになった私の体を、白月様の腕が強く、でもどこか優しく抱きしめていた。

耳元で、彼の声が響く。


「もう、お前は俺のものだ。……分かったな、美桜」


初めて、名前を呼ばれた。

その声が、甘い呪いのように私の心に絡みつく。


額に刻まれた“印”が、熱い。

彼に抱きしめられている腕の中も、熱い。

頭の中はぐちゃぐちゃで、何も考えられない。


ただ一つだけ分かるのは、私の退屈で灰色だった毎日が、この瞬間、音を立てて終わりを告げたということ。


(嘘でしょ……)


最強のあやかしに“選ばれてしまった”落ちこぼれの私。

これから、一体どうなっちゃうの――!?

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