第二十四章:揺りかごの中の革命
幻の地下駅は、さながら、文明が滅びた後の、巨大な洞窟のようだった。
アルゴスの生存者たちは、そのだだっ広い、冷たいコンクリートの上で、小さなキャンプを設営した。動力源は、破壊された基地からかろうじて持ち出した、数個のポータブル量子バッテリーだけ。その、心もとない光が、壁に、巨大な、踊るような影を落としている。
絶望は、行動によってしか、紛らわすことはできない。
だが、誰もが、その「次の一手」を見つけ出せずにいた。
水島海斗も、その一人だった。
(墓場の底から、どうやって声を届ける?)
アリス・ソーン博士に突き付けられた、あまりにも重い問い。彼は、歴史家だ。過去を読み解くことはできても、未来を切り拓くための、具体的な技術的知識はない。彼は、自らの無力さに、唇を噛み締めていた。
数日が過ぎた。生存者たちの間に、じわじわと、しかし確実に、諦めの空気が広がり始めていた。
その空気を破るように、ソーン博士が、生き残った数名のコアメンバーを、ホログラムプロジェクターの前に集めた。
「感傷に浸っている時間はないわ」博士は、きっぱりと言った。「現状を、正確に、再分析する。我々の、手持ちのカードを」
プロジェクターが、ぼんやりとした光で、彼らの資産と負債を映し出す。
【資産】
* 物理的証拠:『錠剤』x 1
* 敵の脆弱性に関する情報:『不完全な影』『光へのアレルギー』
* 海斗が持つ、物語(ナラティブ)構築能力
* 生存者の専門知識(科学者、兵士、技術者)
【負債】
* 外部ネットワークへの接続、完全喪失
* 物资、動力源、全てが限定的
* SOLON(ソロン)とエレナ・アマリによる、最高レベルの索敵対象
* 社会的信用の完全失墜(テロリスト認定)
「結論から言えば、正攻法は、もうない」博士は言った。「SOLON(ソロン)のネットワークは、我々のハッキングパターンを学習し、全ての裏口を塞いでしまった。衛星を乗っ取るなんて、夢物語よ」
「では、どうすると言うんですか…」タケシが、か細い声で尋ねた。
「だから、正攻法では、ない方法を考えるのよ」
博士の言葉に、誰もが押し黙る。その、あまりにも困難な問いに、答えられる者はいなかった。
その、重い沈黙を破ったのは、意外にも、海斗だった。
彼は、ずっと、何かを考えていた。歴史家として、この絶望的な状況を、過去の、似たような事例に当てはめて。
「…博士」海斗は、おそるおそる口を開いた。「俺たちは、ずっと、SOLON(ソロン)の土俵で戦い過ぎていたのかもしれない」
「どういうこと?」
「デジタルの世界です。量子通信、ネットワークハッキング…。でも、もし、SOLON(ソロン)が、全く理解できない、あるいは、完全に『時代遅れ』として無視している、別の土俵があるとしたら?」
海斗は、立ち上がった。彼の目には、以前の怯えではなく、一つの仮説にたどり着いた、研究者の光が宿っていた。
「インターネットが、世界を覆う前。人々は、どうやって、遠くの情報を手に入れていたか。物理的なメディアを除けば、最も強力だった、ある媒体があります。それは…『電波』です。特に、短波ラジオ」
「短波?」ソーン博士は、眉をひそめた。「21世紀の遺物じゃない。誰が、今さら、そんなものを…」
「だから、いいんです!」海斗は、声を大きくした。「SOLON(ソロン)は、都市のネットワークを完璧に支配しています。ですが、その支配は、地上に近い空間に限られる。短波は、電離層で反射して、何千キロも先まで届く、気まぐれで、扱いにくい電波です。SOLON(ソロン)のジャミングも、完全には防ぎきれない可能性がある。そして、何より…」
海斗は、続けた。
「SOLON(ソロン)は、それを、脅威として、認識すらしていない。埃をかぶった、ガラクタだと、判断しているはずです。我々が隠れ蓑にしていた、『百分の一の誤差』。それこそが、短波の世界なんです」
「だが、受信機がなければ、意味がないだろう」リョウの副官だった男が、現実的な指摘をした。
「全員に、届ける必要はないんです」海斗は、力強く言った。「俺たちが、メッセージを届けるべき相手は、眠っている一般大衆じゃない。もう、既に、目覚めかけている人たちです。『シャドウ・ウォッチャー』、陰謀論者、反SOLON(ソロン)主義者。今の世界に、違和感を覚えている、そういう人たちこそ、古い技術を、ガラクタを、大切に持っている。彼らは、今も、ノイズの中から、真実の『信号』を探している。俺たちは、彼らに向けて、狼煙を上げるんです。そうすれば、彼らが、今度は、人の手で、口コミで、我々の物語を、世界に広めてくれる」
それは、ハイテクなハッキングではなく、人間的な、ゲリラ放送だった。
司令室の空気が、変わった。絶望が、一つの、無謀で、しかし、胸の躍るような計画へと、姿を変えていった。
「面白い…」ソーン博士の目が、科学者としての好奇心に、きらりと光った。「短波送信機…。ここにあるジャンクパーツを寄せ集めれば、強力なものが作れるかもしれないわね…」
計画は、動き出した。
ソーン博士と技術者たちが、送信機の設計に取り掛かる。タケシと残りの兵士たちは、この巨大な地下駅の、さらに奥深く、地上へと繋がる、古い換気口や、僅かな亀裂を探す、探査任務に就いた。
そして、海斗。
彼は、再び、コンソールの前に座った。
今度の読者は、全世界の人間ではない。世界の片隅で、真実を渇望している、少数の「仲間」たちだ。彼らに向けて、彼は、新たな、そして、より強力な「物語」を紡ぎ始める。
それは、来栖ミキの悲劇だけではなかった。カール・ヒグドンの絶望、佐藤健司の無念。そして、彼らが手に入れた、あの小さな『錠剤』が、何であるかの、科学的な考察。そして、何よりも、敵の弱点である、「光」と「影」の、具体的な情報。
それは、もはや、ただの物語ではない。
武器の設計図であり、革命の檄文だった。
彼らがいるのは、光の届かない、墓場の底。
だが、彼らは、そこで、新しい世界の夜明けを告げる、革命の揺りかごを、作り始めていた。
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