土曜日の夕方。池袋に開店したばかりのブティックでちょっとしたアクセサリーを購入しての帰り道、彼女達は教会らしき建物に目を留めた。

「こんなとこに教会なんてあったっけ」

 背の高い方の女性が言った。門札は『真エレア教会』となっている。

「さあ、どうだろ。たまにしか通らないし。パッと見キリスト教かと思ったけど、違うみたいね」

 ベレー帽をかぶった丸顔の女性が建物の天辺を指差す。尖った屋根の上に十字架が立っているのだが、それに細長いものが絡みついていた。

「蛇……かな。それだったらなんか意味があるみたいよ。医者関係、だったかなあ」

「でも、うーん、蛇っぽくないよね。鱗もないし、頭がないし。ミミズ……」

「いやちょっとやめてよ聡美ぃ」

 背の高い女性が苦笑して相方の肩を軽く叩いた。それから「あれっ」と呟いたのは、二人共、開け放しの正門を過ぎて敷地内に入ってしまっていたからだ。

「んっ」

 ベレー帽の女性も気づいたようだが、具体的に疑問を口にすることなく、自然と玄関のドアノッカーを打っていた。

「はい」

 五秒ほどで向こうから返事があり、ドアが開いて小太りの男が顔を出した。厚手のフェルト生地のローブのような、僧衣のようなものを着ている。

「あ。えーっと、あの……」

 特に用事がないことを自覚してベレー帽の女性が口篭もる。だが男は穏やかな微笑を浮かべ頭を下げた。

「ようこそいらっしゃいました。お二方のお名前を教えて頂けますか」

 落ち着きがあり柔らかな、心地良く耳から脳に滑り込んでくるような声音だった。太ってはいるが男の顔立ちは整っており妙な魅力があった。特に、深みのある澄んだ瞳が。

「え、その、私は、三咲由井香です」

「大村聡美、です」

 背の高い女性とベレー帽の女性が名乗ると、小太りの男は再度恭しく一礼した。

「私はカイアズマと申します。真エレア教会池袋支部の司祭を務めております」

「はあ、甲斐東さん……」

「真エレア教会というのは幾つも支部があるんですか」

 大村の質問にカイアズマはまた微笑して頷いた。

「はい、様々な場所にございます。三咲様、大村様、折角ですから中を見ていかれませんか」

「はあ」

 カイアズマが建物内へ引っ込むと、二人は釣られるようについていった。土足で問題ないようだ。

 内部は長椅子が並び、正面祭壇には細い何かの絡みついた十字架が飾られていた。カイアズマの他に人はいない。

「どうぞこちらに」

 祭壇の横を過ぎてドアを開けると下への階段がある。地下室のようだ。

 長めの階段を下りた先は丸い部屋だった。直径七、八メートルほど、天井も高く五メートル以上ある。カーブした壁は綺麗な円筒を成し、床も含めて白く硬度の高い材質で出来ていた。

 床には浅い溝が多数彫ってあった。円を六十度ずつ六等分して、それぞれの領域で溝の向きが異なっている。天井も同じ模様で、中心部に電灯がついている。

「では、少しの間お待ち下さいね」

 カイアズマはそう言い残して部屋を出ていった。ドアが閉まり、二人は何もない部屋を見回す。

「瞑想室……かなあ」

 大村が呟く。

「ねえ、ここ、穴が開いてる」

 三咲が斜め下を指差した。床の中心に当たる場所に、径十センチほどの穴がある。二人でしゃがんで覗き込むが、穴の向こうは真っ暗で何も見えなかった。

 カタン、と、音がして二人は上を見る。

 壁の高い場所に四角い小窓が開いていた。さっきまではなかった。壁と同じ材質の蓋で塞いであったのか。

 その小窓に、カイアズマの顔が浮かび上がった。黙って二人を見下ろしながら優美な微笑みが薄れていき、完全に無表情になる。

 それから再びゆっくりと笑みを作っていくが、先程までのものとは違い、恐ろしく、悪意に満ちた、醜く歪んだ笑顔だった。

「ゲベベベベ。ゲベベベベベ」

 笑い声のような奇声のようなものをカイアズマは発した。

「オマエラ、シヌヨ」

 ひどくおぞましく、不快にさせる声音で彼は告げた。そして小窓が閉じ、壁との区別がつかなくなった。

 唖然としていた二人だが、何度か瞬きを繰り返すうちに、思考力が戻ってくる。

「えっ。何」

 三咲が言った。

「な、なんで私ら、こんなとこに来てんの。なんで……」

 ガコーン、と、重い音が響き、二人は凍りつく。続いて、ゴリゴリゴリ、と硬く重いもの同士が擦れる音が。

「あっ」

 天井が、回転を始めた。十秒で一回転くらいのスピードで。更に、天井が下がってくる。ゆっくりと、回転しながら、円筒の中を、下りてくる。

「えっ、嘘。ちょっと、嘘でしょこんな……」

 彼女達は理解した。この部屋が、巨大な石臼になっていることに。

「ちょ、待ってっ、なんで、助けてっちょっとっ」

 三咲がドアを開けようとするがびくともしない。そもそもドアノブもなかった。ドアは臼の動きを邪魔しないよう円から少しはみ出したところに配置されていたが、隙間は精々十センチ程度で人が避難出来るようなスペースではなかった。

「助けてっ、助けてっ、助けっ、なんで、なんでこんなっ」

 大村がドアを乱打する。三咲が天井を確認し、三メートルほどの高さまで下がっているのを見てヒッと悲鳴を上げる。元々の天井が高く下降速度が比較的低速なのは、犠牲者に充分な恐怖を与えるためだと彼女達は理解しただろうか。

 ゴリゴリ、ゴリゴリ。容赦なく天井は下りてくる。回転しながら。二人をすり潰すために。

「嫌っ、嫌ーっ、誰かっ、嫌あああああっ」

「助けてっ、助けっ、だずっ、なんでっ、嘘でしょ、ちょっとっ、嘘でしょ、嘘っ、こんなっ」

 二人で叫びながらドアを叩き続ける。恐怖で失禁していることにも気づかぬまま。

 ゴリゴリゴリ。ゴリゴリゴリ。

「いぎいいいいっだだだだだ」

「あげええええええおごごばばばば」

 ゴリゴリゴリゴリ。

 ゴリゴリゴリゴリ。

 二人の悲鳴は、臼の音に紛れていく。

 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ。

 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……。



「ああ、癒される……」

 粉砕室、別名『豊穣の間』の真下で横たわり、穴から垂れてくる肉片の混じった血を全身に浴びながらカイアズマは呟いた。

 能天気な馬鹿共の断末魔を聞くのは至高の快楽の一つだ。呪術士の醍醐味であり、このために呪術士をやっているようなものだ。ドロドロしたものを手で掬い取り、口に含む。甘美な恐怖と苦痛の味。カリッ、と硬いものも混じっていたが構わず呑み込んだ。

 週に一度はこれをやらないと気が済まない。教会の敷地は隠蔽結界で覆ってあるが、条件に当て嵌まった者には認識出来、無意識の操作によって惹き込まれるよう誘引魔術を仕掛けてある。苦労知らずの一般人で、特に若い女性。社会の上層部とのコネが乏しく行方不明になってもそれほど大騒ぎにならない者。それが誘引の条件だった。

 粉砕室からの悲鳴はとうに途絶え、やがて石臼の回転も停止した。カイアズマは上体を起こし、穴から垂れてくる最後の雫を長い舌で受け止めた。

 カイアズマが歩き始めると、ローブに絡みついた血と肉片は素早く吸収され跡が分からなくなった。

「クロニク、『豊穣の間』を綺麗にしておきなさい」

 暗い部屋の隅にひっそりと控えていた使い魔に命じる。『黒肉』から名づけた使い魔は顔色の悪い猫背気味の男で、発声機能がないため黙って頷くとノソノソ出ていった。

 真エレア教会池袋支部に信者はいない。ただし、支部が幾つもあるというのは嘘ではなかった。サネロサ系呪術士があちこちの世界で隠れ蓑或いは符牒に使う組織名の一つが真エレア教会だったからだ。

「さて……」

 リフレッシュしたところでカイアズマは奥の部屋まで進み、デスクに置かれたノートパソコンに似た機械を開く。キーボードに手を置いて我力を込めるとそれを動力源にして起動した。コンピュータとしてはごく単純なシステムであり、通信魔術をサポートするだけのものだ。

 委員会との戦争も長く、四神会の敗色が濃厚となった現在。仲間と連絡を取るためガルーサ・ネットの店舗を訪れるのもリスクを伴うようになっていた。ガルーサ・ネットは中立の立場で戦争にも不干渉であるが、店舗周辺を見張っている委員会の人員を追い払うこともしなかった。

 そのため、世界の境界さえ超える微弱な呪力発信を用い、そのオン・オフを積み重ねることによって情報を伝える仕組みが用いられるようになった。似た仕組みである探知士の通信網には及ばないが、伝えるのは必要最小限の情報で良いのだ。

 メーラーを開くと、宛先を『首曲がり』アーラエーに設定して定期報告の文章を作成していく。

 ……佐久間龍臣に『苦渋の棘』が発動してから九日が経過しました……今のところ手出しして棘を受けた者は一般人二人とカイスト一人だけで、残念ながらカイストの方は体の一部を切り離して逃れたようです……委員会が動いている様子もまだ……尚、非常に残念なことに、私がこの惑星に到着するまでの間に『無手勝』コー・オウジが所在不明となっていたことが判明……これは不可抗力ですので……『救い』の動きも確認出来ず……ぎりぎりまで待って何も動きがなければ、『苦渋の棘』の進行を遅らせて様子を見ることも……新たなご指示があれば伺います……

 アーラエーは『呪殺神』サネロサの高弟筆頭で、現在四神会におけるサネロサ門徒のまとめ役をやっていた。カイアズマは独学の魔術士からサネロサ系呪術士に転向し、五千万年は過ぎたのにまだ外様扱いされリスクの高い任務を命じられることが多かった。部下もつかないので使い魔一体との生活は寂しいものだ。

 だが、『首曲がり』アーラエーのことは非常に尊敬しているし怖れていた。あの今にも倒れそうに曲がった上体と首は、サネロサの創り上げた体系全てを背負う重圧をそのまま示していた。直接対峙した時の息が詰まるような重苦しさをカイアズマは覚えている。

 更に恐ろしいのが、そんなアーラエーに踏まれている『呪殺神』サネロサだった。ただ一つの術以外全てを投げ捨てて、『糞ナメクジ』と化してまで恨みと憎しみを溜め込むその姿勢。とても真似出来ない。自身も踏まされた、あのグニュリとした不気味な足の裏の感触を思い出してカイアズマは身震いした。

 『向こう側』の端末との接続が完了したことが画面に表示される。

 カイアズマは文章の最後に「憎しみに乾杯を!」とつけ足して送信ボタンを押した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る