竜の喰わぬは花ばかり

もちもちしっぽ

序章 ヴェルミリオ

産声

 国民の期待を一身に背負って産まれ出ずる赤子の心境とは、いかなるものであろうか。


 重圧に押し潰され、己が身の憐れを嘆いて泣くのだろうか。


 こと、アクアフレールの王子……──ヴェルミリオにおいては、勝ち鬨に喉を振るわせ、産声を上げた。


「……とうとう、お生まれになったか」


 しゃがれた声を絞り出し、大神官は喜色を浮かべた。


 産婆を除いて立ち入ることのできない産褥の間に、彼がいること自体、この出産がいかに翹望ぎょうぼうされてきたかを物語っている。


 大神官は産婆を押し退けると、胎脂にまみれた王の子を胸に抱き、その面を覗き込んだ。


 にわかに開いた左目の、薄い目蓋の奥に翡翠の瞳がちらりと覗く。王と王妃、双方によく似た色だ。

 その瞳孔に、国が掲げた紋章の一つが浮かび上がるのを認め、老爺は恭しくこうべを垂れた。


「おお、風の加護……やはり神託の御子であらせられるか。では、こちらのまなこには……」


 生まれたばかりの王子ヴェルミリオは、大神官の節くれだった二本の指で右の目蓋もこじ開けられ、火がついたように泣き出した。


 すると、寝台にて後産に入っていたはずの王妃が、烈しく喘いだ。

 ヴェルミリオの泣き声に同調するかのようだが、いささか苦しげである。

 にわかに産婆たちの血相も変わり、室内の空気が張り詰めた。


大神官フュージャー様! まだ……、もう一人……っ、残っています!」

「なにっ……?」


 胎の中で蠢くは、程なくして取り上げられると、兄に比べ弱々しい産声を上げた。


 産婆が戸惑いを露わに、小さく頼りない王女をフュージャーへ差し出す。


「なんとっ……。託宣によれば神の子は一人のはず……ならば神託の御印みしるしはいかに──」


 豆粒のようなまなこを覗くや、大神官ともあろうにフュージャーは、頓狂な声を上げて腰を抜かした。


 不穏にさざめく産褥の間に、ただ一人ヴェルミリオの声だけが、割れんばかりの威勢を奮って響いていた。

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