Day.18『交換所』
その夜、夕食会場に来夢の姿はなかった。
「今日、童話村で学んだことをまとめておきたいそうです。あまりに集中してたので、僕一人で出てきました」
席に着く前に和に聞くと、彼も困ったように眉を下げて教えてくれた。
思い出してみると、確かに童話村の本の形のベンチで、図書館の特集を組んだり、今年の夏祭りの移動図書館の参考にしたいと言っていた。
「愛衣さん、これを」
和が差し出した袋の中には、ホテルの近くにあるパン屋のサンドウィッチが入っていた。量が多いのは、愛衣の分も入っているからだろう。
「来夢さんの所へ行ってあげてください」
「え?」
「来夢さんも、もしかしたら愛衣さんと一緒なら召し上がるかと思って、先ほど買ってきたんです」
気遣いのプロだ。中身を確認してお礼を言う。
「ありがとうございます……あの、」
「はい」
「この……じゃじゃ麺ラテって、なんですか?」
一緒に入っていたのは初めて見るドリンクのパッケージだった。じゃじゃ麺は盛岡冷麺と並ぶ岩手の名物だから、ご当地ドリンクみたいなものだろうか。
「あ、それとっても美味しいんですよ! 僕のオススメドリンクなんです」
ぱぁっと和の目がきらきらと輝いた。
これは相当好物なようだ。じゃじゃ麺とラテ。ちょっと味が想像できないけれど、和がオススメしてくれてるのなら美味しいのだろう。栃木のレモン牛乳も、最初は美味しいのか疑ったが、飲んでみたら想像以上に美味しかったし。
瑠奈を和に託して、もう一度お礼を言ってから愛衣は夕食会場を抜け出した。
◇
サンドウィッチの入った袋を抱えて、和と来夢が泊まる部屋までやってきた。サンドウィッチと一緒に渡された鍵で扉を開けて、そっと中に入った。
「すみません、来夢くん、今いいですか?」
薄暗い部屋の奥、間接照明のあたたかな光だけを点けた中で、ソファーに座って文庫本を開いていた。
「愛衣ちゃん……? どうされたんです?」
「いえ、その。なにか手伝えることはないか思って。それと、体調、大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。資料の方は大方まとめました。こんなに連日外に出たのは、本当に久しぶりだったので、少し疲れてしまったみたいです」
どうぞこちらに、と少しずれてソファーへ促してくれた。
「すみません、私がいろんなとこに行きたがったので……」
「いえ、愛衣ちゃんのせいじゃありません。岩手は広いですし、移動に時間がかかるのは当然ですよ」
そう言いながら、眼鏡を外して、もたれかかるように肩に頭を乗せてくる。ふわふわの髪をそっと撫でると、心地良さそうに瞼を閉じた。
「あの、これ……」
簡単な出歩き用の籠バックから、白い紙袋を出して来夢の方に差し出した。
「今日、【白鳥の停車場】で見つけたんです。来夢くんに似合いそうだなって」
【白鳥の停車場】は、童話村の隣にあるこぢんまりとしたお土産屋だ。駅舎を模した白い小屋には、主に賢治作品をモチーフにしたハンドメイドや雑貨を取り扱っている。作品をイメージした音楽CDなんかもあった。個人で作られているものも多く、一点物が多いのが特徴だ。
「ありがとうございます。開けてみても?」
「どうぞ」
白い袋から中身を出して、来夢はすぐに「あ、」と少し嬉しそうに声を上げる。紺色の台紙には、天体の軌道を模した飾りのついた銀色のチェーンが収められていた。
「これ……もしかして眼鏡チェーンですか」
「はい、これくらいのアクセサリーなら、邪魔にならないで付けられるかなと思って……」
すると、ちょっと待っててください、と来夢がおもむろにソファーを立った。カバンから出してきたのは、愛衣と同じ【白鳥の停車場】の紙袋だった。
「僕からはこれを」
「なんですか、これ」
「どうぞ、開けてみてください」
「はい……わ、綺麗……っ!」
白い紙袋から出てきたのは大きめのクリアケース。入っていたのは、レジンで作られた大きな鳥のペンダントだった。レジン枠の中は綺麗な星空色をしていて、大きく青白い星のモチーフがくっつけられている。チェーンにも控えめなクリスタルビーズが付いている。
「これ、もしかして『よだかの星』の……」
「そうです」
宮沢賢治作品でも有名な『よだかの星』は、実在するヨタカという鳥が、空に飛んでいって星になる、という少し物悲しい話だ。けれど、森や星の綺麗な表現が相まって、美しくも読める。
「こんな素敵なもの、もらっちゃっていいんですか? これじゃ交換になっちゃう……」
「もちろんですよ。愛衣ちゃんに似合うと思って買ったんですから」
来夢はいつもそう言って愛衣にプレゼントをくれる。
なんだかすっごく愛おしさが込み上げてきて、思わず頬にそっと唇を寄せた。来夢は目をまん丸にしてこっちを見ていたけれど、ふっ、と息がこぼれて、やがてくすくすと小さく笑った。
「な、なんですか」
「いえ……自分でしてきたのに照れてるので、可愛いなと思って」
細い指がさらりと髪を梳いて、そのまま頬に触れる。
あ、これ、キスされるかも……と心臓が高鳴り始めた時だった。
くぅ、とお腹がか細い音を立てた。
今度こそ顔に火がついたみたいにバッと熱くなって、声にならない悲鳴が漏れた。頬を撫でていた来夢の手が止まり、笑いをこらえるように肩が震えていた。そして堪えきれず、控えめだけど可笑しそうに声を上げて笑って、おもむろにぎゅっと抱き寄せた。
「ひぇ……ごめんなさいぃっ!」
「あははっ、いえいえ、彼女の可愛いところを見ることができて、嬉しい限りです」
「可愛くないですって!」
照れと顔の熱と心臓の音を隠すように、存在を忘れかけていたサンドウィッチの紙袋を慌てて手に取って来夢に見せる。
「あああのっ! これっ、和さんからですっ!」
「じゃあ、一緒に食べましょうか。今紅茶を、」
立ち上がる来夢の背に話しかけながら、紙袋の中身をテーブルに並べる。
「ええっと、サンドウィッチとじゃじゃ麺ラテってのがありまして……あの、これって岩手だけの飲み物なんですかね?」
「あ、愛衣ちゃんそれは……」
恥ずかしさで何も考えてられず、じゃじゃ麺ラテを手に取る。来夢が制する前に、ストローを差して一口飲んだ。
「……」
勢いよく啜ってしまったせいで、口の中が一気に道の味が広がった。
「……?!」
「い、今すぐ紅茶を淹れてきますッ!」
来夢が淹れてくれたミントティーをひとくち飲むと、清涼感がどぎつい味をすーっと消してくれる。口の中が一気に洗われたようにすっきりした。レモン牛乳を飲んだ時とは別の意味で衝撃的な味だった。
「ミントティー、おいしい……」
「口、大丈夫ですか?」
「……はい、ありがとうございます」
「ええっと、すみません。留宇から聞いてはいたんですが、和さんって、相当な味音痴らしいんです」
「味音痴ですか……」
小説の登場人物でたまに出てくるけれど、本当にそういう人がいることに驚きを隠せなかった。
「そうだったんですね……その、なんとも形容し難い味だったので……」
この旅行を振り返ってみて、よく今までこんなめちゃくちゃな味に当たらなかったものだ。いや、そもそもお店を出しているのだから味に問題があったらそれこそ大変だ。
愛衣が育った愛知は【名古屋メシ】という言葉があるくらいに変わった組み合わせの料理がたくさんある。特に味噌はトンカツにうどんに、引いてはおでんにも使う。八丁味噌を使ったチョコレートだってあるくらいだ。食べたことあるけれど、もちろん美味しい。
それらと比べると、じゃじゃ麺ラテは味がかなり逸脱していた。オススメしてくれた和には申し訳ないけれど、正直言って、もう飲みたくない。
「……サンドウィッチ、大丈夫でしょうか」
「……大丈夫と信じましょう」
来夢の言葉を信じよう。味音痴は、なんでも美味しいと思ってしまうもので、美味しいものも美味しく感じるのだから。
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