Day.9『ぷかぷか』
「あの……来夢くん」
「どうしました?」
「ずっと考えてるんですけれど……“クラムボン”ってなんなんですかね?」
二人はちょうど『やまなし』を聞いていたところだった。
愛衣が言ったのは、その話に出てくる“クラムボン”という造語のことだ。
『やまなし』は作者独自の造語やオノマトペと、想像力を掻き立てる比喩表現が多く見られるから、よく小学校の教科書にも掲載されていることがある。
そこで最も取り上げられる疑問が、『“クラムボン”とは何か』だった。
「確かに……ちょっと不可解ですね」
考え込むように、来夢は顎に指を当てた。
「宮沢賢治は、色んな作品にオノマトペを多様に使いますから、あまり気に留めていませんでした」
来夢が言うように、宮沢賢治作品は独特な感性のオノマトペがよく使われている。有名どころだと、『風の又三郎』の『どっどど、どどうど、どどうど、どどう』と風が吹く表現だ。
「うーん……以前、研究書で読んだのですが、クラムボンは『泡』を意味するという仮説が多かったですね」
「あ、でもなんか泡っぽいかも」
「クラムボンという言葉の後に必ず泡の記述があるんです」
もう一度聞いてみましょうか、と来夢はプレイヤーを操作して『やまなし』を巻き戻す。
さっきは流して聞いていたけれど、一言一句逃さないように、今度は集中して耳を傾ける。すると、来夢の言う通り「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」の後、「そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れていきます」「なぜクラムボンはわらったの」「知らない」の後、「つぶつぶ泡が流れていきます。」と続いた。
「……わ、ほんとだ」
こんな解釈もありますよ、と来夢はイヤホンを外した。
「『クラムボン』を『クラム』と『ボン』に分けるとしますね」
来夢はバッグからメモ帳を出して、さらさらと綺麗な文字を書いていく。
「『クラム』は訛って
「え、爆弾?」
「泡は弾けて消えるから、そう例えたのかもしれません」
「すごいですね、来夢くん。そんなふうに考えられるなんて」
「いえ、これも宮沢賢治がそういう意味で名付けたなら、の話です。あくまで仮定ですし、未だにどれも仮説の域を出ませんからね」
それに、と来夢は続ける。
「『注文の多い料理店』の序文にこんな一文があります。『なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところはまた、私にもわけがわからないのです。』と書かれています」
ん? と頭がこんがらがってくる。
わけのわからないところが、私にもわからない?
「えっと……つまり?」
「『クラムボン』は宮沢賢治にとってもわけのわからないもの、つまり意味がないものである、とも考えられますね」
「そんなことあるんですか?」
普通、作家ってものは物を調べて意味を持たせて書くことが多い。そんな、自分でもわかってないものを書くものなのだろうか、
いや、もしかしたら宮沢賢治を初め、文豪ってそういうことを書くものなのだろうか。
「あえて明確な意味をもたせないことで、 『クラムボン』は読者の頭の中で自由に想像することができるってことですね。ほら、この先の展開は読者のご想像におまかせします、っていう終わり方の本があるでしょう? 僕が思うに、あれと同じようなものなんじゃないですかね?」
「そっか、そういうお話もありますもんね」
実際、検索してみるとインターネット上には、泡説を始め、人間説、コロボックル説、プランクトン説など、読者がそれぞれ頭の中で描いたクラムボン像について様々な見解が上がっている。
でも結局、今の自分たちがどんな仮説を立てようと、真相は作者の宮沢賢治しか知りえないのだ。
「にしても……クラムボンって面白い笑い方をするんですね」
「ですよね。かぷかぷ、だなんて」
「ぷかぷか〜って浮いてるみたいで、可愛いですよね。小学生の頃に『やまなし』をやったとき、授業で自分だけのオノマトペを作ったことがあります」
「楽しそうですね、それ」
話しているうちに『やまなし』が終わりに近づいていく。最後の締めの文章が流れ、次の話の題名が聞こえてくる。
「もう一度聞きます?」
話していて、結局きちんと聞いていなかった。
「聞きましょうか」
頭を寄せて、くすくすと笑いあって、プレイリストを巻き戻すと、もう一度『やまなし』を再生した。
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