Day.2『風鈴』

「昨日は来れなくてごめんなさい」


 来夢の部屋の前で、萎縮いしゅくした愛衣が頭を下げた。


「いえ、大丈夫ですよ。それより、昨日は災難でしたね」

「うん……二時間くらいで動いたから、まだ幸いではあったかな」


 彼女はしょんぼりと肩を落とす。

 昨日帰りの新幹線が、停電の影響で静岡の掛川かけがわで二時間ほど足止めを食らって、名古屋に着いたのは午後十九時を大幅に過ぎた頃だった。それで昨日は図書館に来ることができなかったのだ。

 しかもその原因が、架線かせんに接触したヘビだったのだ。大事じゃなくて良かったけれど、なんとも間の抜けた理由だ。


 約束を守れなくて落ち込む彼女をソファーにうながして、グレープフルーツの紅茶をそっと置く。お礼を言ってひとくち口を付けると、美味しい、とほっと息を吐いた。


「でも、人身事故とかじゃなくてよかったですね」

「ほんとに。こういう時、対応してくれてる職員さんたちには感謝しないとね」


 災難でも新幹線が止まるなんて貴重な体験ができた、と彼女は笑ってみせた。ふふっ、とこちらも笑みがこぼれる。柔軟な人だな、と改めて思う。


「それで、岩手はいかがでしたか?」


 隣に腰を下ろして聞くと、愛衣はまたしゅんと表情を暗くしてしまった。

 え、と言葉に詰まる。なにか気に触ることでも言ってしまったか。


「愛衣ちゃん? どうしました?」

「行けなかったんです……」

「え?」

「花巻の童話村、行けなかったんです!」



 今回、愛衣が修学旅行で回ったのは、ほとんど岩手山ハイキングと盛岡もりおかだけで、宮沢賢治の資料館や童話村がある花巻はなまきには、行けなかったという。

 愛衣は花巻にある宮沢賢治童話村に行くのを特に楽しみにしていた。

 来夢も行ったことはないが、話に聞く限り、宮沢賢治作品の世界観を味わえると評判の場所だ。賢治の作品がが好きな人なら、誰も一度は訪れたい場所とも言える。


「自由行動で行こうとしたけど、やっぱり時間が足りなくて……知ってましたけど、岩手って広いんですね。あ、でもっ、岩手山はすごかったですよ、とても壮大で……」


 落ち込んだ気分を払うように、思い出しながら語る愛衣だったけれど、やっぱりどこか上の空に見えてしまう。


(…………花巻、か)


 話をしてくれる愛衣の表情を眺めながら、ふと考える。


「そうだ、これ、お土産です」


 一段落話し終わったところで、思い出したように愛衣はトートバッグから小さな箱を出して、こちらに差し出した。


「ありがとうございます。開けても?」

「どうぞ」


 受け取った箱はずっしりと重い。お菓子やお茶とかではなさそうだ。なにが入っているんだろう、と不思議に思いながら包みをほどく。


「わ、これは……」


 箱に入っていたのは、綺麗な空色の風鈴だった。

 取り出してみると、その風鈴はガラスではなく、真珠のような光沢のある陶器でできている。岩手、陶器、お土産と頭の中でワードが組み上がっていく。


「これは、南部鉄器なんぶてっきですか」


 途端に「そうです!」と花が咲くように笑顔になった。


「南部鉄器は盛岡の特産品ですから。でもさすがに、鉄瓶てつびんには手が届きませんでしたけど」


 鉄瓶でお湯を沸かすと、かどのとれたまろやかなお湯になる。そのお湯で淹れる紅茶は、渋みが和らいで口当たりが良くなる。

 以前ちょっと話したことでも、覚えていてくれたのか。お土産をくれたことも合わさって、胸の奥がじぃんと温かくなった。


「いえ、そんな。こんな立派な風鈴、ありがとうございます」


 お礼を言うと愛衣は照れたように肩をすくめて、嬉しそうに微笑んだ。


 さっそく窓を開けて、風鈴を吊す。

 森の匂いを含んだ風が、ふわっと吹き込んで短冊を揺らし、リィーン……と涼しげな音を立てた。ガラスとは少し違う、鐘のような不思議な音に、目を閉じて耳を澄ます。


(花巻……確か、あの方が岩手出身だったっけ)


 このところ、図書館に来る頻度ひんどが高くなっている人物が脳裏に浮かぶ。


「……一応、聞いてみますか」


 一緒に風鈴の音を聞いていた愛衣が「え?」と首を傾げる。


「あ、いえ、なんでもないですよ」

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