第6話
あれから一週間が過ぎた。
リンナの目論見通り、住民と交流を持ったシャウルは、この地を離れようとしなかった。かといって、未だドラゴン退治に乗り出すことなく、不安や焦燥を誤魔化すように毎日子供たちと遊んでいる。
僕はといえば、リンナの家の研究室に籠り、あのドラゴンに関する資料を漁っていた。
何か別の策があるはず。シャウルの手を借りずに、もっと穏便な方法で片付くはず。
そう期待して資料を読み込み、時に自らドラゴンを調べてみるが、有効な手段は何も分からなかった。考えれば考えるほどに、シャウルの炎が最も手っ取り早く安全なのではないかと思えてしまう。
「どうだい。捗ってるかな」
お茶の用意を持って、リンナが部屋に入って来た。
お手上げですと手振りで示す。丁度ひと休みしたかったため、ティーセットを置けるようにテーブルの上を片付ける。
「そうかそうか。最近、庭の土を採取して乾かしたり、街の子供に髪を少し分けてくれって迫ってたり、おかしな実験をしてるみたいだかったら、もしかしたらって思ったんだがね。彼の魔術薬師でも、そう簡単にはいかないか」
カップに紅茶を注いで、僕の前に出す。
僕は軽く礼を述べて、カップに唇を付けた。凝った身体には、熱い液体がよく染みる。
「少し、聞いてもいいかい」
リンナはクッキーを一枚口に放り、ゴクリと飲み込み、真っ黒な目隠しで僕の目を見た。
「あたしはね、君のことが分からなくなったよ。というかまあ、元々分かること以外は分からなくなったけど、余計に分からなくなったよ」
「……何が言いたいんですか?」
「君の境遇や、今までやって来たことから、もう少し冷たい人間だと思っていたんだ。でも蓋を開けてみたら、自分を地獄に叩き落した女と、何の縁もゆかりもないこの土地のために、こうして懸命に対策を練っている。よく分からないよ。まるで聖人じゃないか」
「ええ、聖人なんですよ」
「真面目に答えとくれ」
僕はもう一口紅茶を飲み、
「魔術薬を売り始めたのは、生きるため、その上で少しだけ贅沢をするため、というのが大半の動機ですが、残りは身勝手な正義感です。食料も薬も軍に持って行かれて、どうにもならなくなっていた人を見て、僕なら助けられると思った。それを今も続けているだけです」
カップを置いて、リンナを見据える。
「非合法な魔術薬を作るのも、そうすることでしか救えない命があって、そうすることで救われる自分がいるからです。あと言っておきますけど、僕が金次第で動くっていうのは、まったくのデマですよ。僕は僕が納得した仕事しかしません。納得出来ない仕事を断っていたら、金額の問題だって勘違いした人たちが、バカみたいに金を積み出したんです」
「シャウルのことも、あのドラゴンのことも、納得したってことかい?」
「そうなりますね。ただドラゴンに関しては、おそらく僕の手には負えないので、同時進行で別件の解決手段を模索していますが」
僕はテーブルの上の小瓶を一瞥した。リンナは僕と同じ方へ顔を向けて、すぐさま向き直り腕を組む。
「しかし妙だね。どうして君は、シャウルからの仕事に納得出来たんだ。君は彼女から、殺して欲しい理由を聞いていなかったんだろう?」
「単純に僕が、あの人を殺したくなったからです」
リンナは、前に話した内容と矛盾していないかと言いたげだ。
「憎んでいませんし、恨んでもいません。でも、不死身で最強で、しかも容姿まで美麗な女が、殺して欲しいって抜かしたんですよ。僕の何もかもを奪った奴が、呑気に自殺志願者を気取ってたんですよ。こんなのもう、笑うしかないじゃないですか」
これで納得したのか、リンナはそれ以上聞いて来なかった。
お互いに無言で茶菓子を頬張り、口内の渇きを紅茶で潤す。
さてそろそろ仕事に戻ろうか、と僕がカップの中身を空にしたところで、
「先生! 助けてくださいっ、先生ー!」
玄関の扉を、研究室の扉を突き破って、その声は僕たちの元へと届いた。
◆
声の主は、街の青年だった。
昼食に摂った食材の中に痛んだものがあったのか、家族全員が酷い腹痛に襲われて、堪らずリンナに助けを求めたのだ。
この一週間、こういう光景は多々見られた。
聞けば、三年前の地震で医者が死に、以来リンナがその代わりを務めているらしい。そもそも名の知れた治癒の魔術の使い手、医者の代わりなど造作もない。
「リンナは?」
彼女が家を出て数分後、シャウルが遊びから帰った。
「仕事に行きましたよ」と、僕は返した。するとシャウルは席に着き、モソモソと茶菓子を食べ始めた。お腹が空いて帰って来たのだろうか。
「どう?」
「どうって、こっちの仕事ですか? さっきリンナさんにも伝えましたけど、ドラゴンに関してはお手上げですよ。彼女が言うように、焼いてしまうのが一番だと思います」
シャウルは唇を噤み、居心地悪そうな顔で視線を揺らす。
これ以上虐めても、僕の気分が悪くなるだけだ。仕方ない、話題を変えよう。
「そっちこそ、今日は帰りが早いですね」
「うん。皆、小舟を作るからって」
「小舟? ……あぁ、儀式の準備ですか」
年に一度、生活の重要な柱となっている湖に感謝を示す儀式。
それが今夜行われる。
リンナ曰く、儀式と言っても厳かなものではないらしい。子供にとっては夜でも遊べる日、大人たちは翌朝まで飲み明かす日、そういうよくあるお祭りだ。
「シャウルさんも作りますか」
「何を?」
「小舟です。小さい丸太をくり抜いて、そこに湖への供物……えーっと、確か花なんかを載せて、夜の湖に浮かべるそうですよ」
何だか面白そうと、シャウルの希薄な表情が語った。
「私にも……作れる?」
「僕が教えますよ。こう見えても、結構器用なので」
そう言うと、シャウルはそっと口角を上げ、儚い笑みを咲かせた。
◆
あっと言う間に日が落ち、儀式の時間がやって来た。
湖の周りに集う、ルーベルグの人たち。大人子供合わせて、ざっと二百人前後。屋内に籠ってばかりで知らなかったが、この街は思っていたよりも大所帯のようだ。
「あっ、お姉ちゃんも来たんだ!」
「お姉ちゃんの舟、かっこわりー」
「そ、そんなこと言っちゃダメだよ! お姉ちゃん、頑張って作ったんだから!」
男児に女児。代わるがわるシャウルの前に現れて、その手に持った不格好な小舟を指差して笑う。
魔術まで使って完成させた、シャウルの小舟。しかし、精密な操作が苦手らしく、それは浮かぶのかどうか怪しいものとなっていた。
「んぅー……レグルス、これ、作り直したい」
子供の言うことでも、子供の彼女にはストレートに刺さる。
悔しそうに、悲しそうに、シャウルは小舟を抱き締めて唸った。
「大丈夫ですよ。初めてにしては、とても上手だと思います」
「……レグルスの方が、上手」
僕が手本に作った小舟を睨み、唇を尖らせた。
「じゃあ、僕のと交換しましょう。今から作り直している時間もありませんし」
どうやらそれで納得したらしく、僕の小舟を受け取ってご満悦だ。
シャウルが作った小舟は、無駄に重く、凸凹としていた。本当に浮かぶのだろうかと、僕は眉をひそめて表面を撫でる。
「悪いね、放ったらかしにして。影だけでも置いておければよかったんだけど。やれ体調不良だとか、準備を手伝って欲しいとか、人気者なものでね」
闇の中、いつも通り臭いだけを頼りに、リンナがぬっと姿を現した。
僕とシャウルの小舟を順に見て、今度は何が分かったのか、ふむふむとしたり顔で頷く。
「シャウル、良かったじゃないか。優しい相棒を持って」
「うん。レグルスの、格好いい」
シャウルは小舟を両手で持ち、高く掲げて見せつけた。
うんうんと首を縦に振りつつ、リンナは右手に持っていた花束を二つに分け、僕とシャウルにそれぞれ手渡した。
「さっき貰ったんだけど、あたしには花を飾る趣味なんてないし、花を載せる小舟もないから、君たちが使うといい」
小さく赤い花弁が特徴的な、可愛らしい花だった。
早速花を小舟に載せ、シャウルは満足げに息を漏らす。着水式もまだだというのに、気の早いことだ。
「あぁそうだ。良ければ、君たち自身も湖に出るといい」
「この小舟に乗れってことですか?」
「いやいや、そんな無茶は言わないよ。見てみな、何隻かの舟が出てるだろ。男が櫂を握って、女が木の板で水を混ぜる。ああやって、湖をマッサージしているんだよ。老人の肩叩きをするみたいにね」
「そんなことしたら、せっかく浮かべた小舟が転覆するんじゃ……」
「大丈夫だよ。それより、あれは中々に体力がいる。若い人が参加すれば、皆喜ぶと思うよ」
何が大丈夫なのか分からないが、皆嬉々として小舟を流し、男女二人組は湖の奥へと漕いでゆく。月明りと水面の反射光が頼りの夜、いつもならば寝静まる時間帯に幾隻もの舟が浮かぶのは奇妙ながら幻想的な光景である。
「どうしますか?」
僕の問いかけに、シャウルは小さく首肯して、「行く」と答えた。
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