第7話 続ける

翌日、賀茂は普段よりもいくらか早く目が覚めた。昨日、あれだけの「大仕事」をやってのけたのだから、相当疲れているだろうと賀茂自身考えていたが、体調はすこぶる好調であった。とはいえ、早起きして何かすることも思い浮かばなかったので、布団の中でスマートフォンをなんとなくいじっていると、今日が金曜日であると賀茂は気づく。あまりにも多くのことが起こりすぎだと賀茂は我ながら思いつつ、ニュース以外ほとんど通知の来ることのないメッセージアプリを開いてみたりして、数少ない連絡先の中に赤坂の名前が無いことに気づいて、今日会ったら連絡先を聞いておこうと考えていた。


そうして適当に時間を潰し、いつもの通りの時刻に一階へと降りて、朝食を取り、登校する。河川敷を歩いていると、おそらく登校中の小学生ぐらいの子供たちの声に気が付いた。その子たちは以前からきっといたのだろうが、ここ数日のことで気になったのだろうと、賀茂は考えた。そのせいで、いつもはなんとなく見てしまっていた、高架下のホームレスの段ボールがあるところを素通りしていた。


教室につくと、赤坂はまだいなかった。始業五分前になってようやく、赤坂は教室に入ってきた。その表情からは分からなかったが、彼女もそれなりに緊張していて疲れたのだろうと賀茂は考えた。取り敢えず話しかけに行こうかと賀茂は考えたが、今日は一限から移動教室で準備が忙しいので、止めた。そうしてぼんやりと、いつも通りの退屈な授業をこなしていって、昼休みになった。


賀茂は購買で適当な総菜パンを二つ買って、教室に戻る。教室では、赤坂が自分の机で昼食を取っていた。小さな弁当箱を机の上に広げていた。弁当の中身自体はふりかけ付きの白米に二、三のおかず、部分的に自然解凍の冷凍食品、と、ごく一般的なものだった。だが、赤坂は背筋を伸ばして座って、きれいな箸の持ち方で食べるので、賀茂には彼女の弁当がやけに美味しそうに見えた。賀茂が席に近づいてくるのに赤坂は気づいて、箸を置いて賀茂の方に顔を向けた。その口元には米粒の一つも付いてはいなかった。


「いたのね、賀茂。どうかしら、体に変わりは無いかしら」

「問題無いぜ。それより、赤坂の方こそ大丈夫か?朝、珍しく遅かったし」

「多少は疲れたのよ。荷物の準備とかを今朝に回してしまったから、時間が押してしまったわ」


それから、赤坂は賀茂が持っていた二つの総菜パンを見て、やや眉をひそめて言った。


「ところで、それが昼食なの?」

「そうだけど、なんか変か?」

「はぁ、あんた、いつもそんな感じなのかしら。そのうち身体を壊すわよ」

「なんだよ、会っていきなり説教かよ?もっと他に何かあるだろ」

「……何を話したらいいのよ。普通、こういう時どんな話をするのよ?」

「それは、その……ああ、そうそう、あれだ、そういえばさ」


賀茂はいつもの三割増しで身振り手振りをつかって、ごまかしながら言う。


「連絡先、そういえば送ってなかったって今朝気づいた」

「そういえば、そうね。学校で直接会うから気にしてなかったわ」


数秒間の沈黙。そのあと、赤坂が口を開く。


「……交換するの?」

「へ?あ、ああ、その方が都合良いかなって、連絡とか増えるだろうし」

「それもそうね。待ってて、今準備するわ」


そう言って赤坂がカバンからスマートフォンを取り出した時、賀茂は自分の背後から、こちらに向かって話しかける声を聞く。その声に賀茂は聞き覚えがなかった。


「有佐っち、もうお昼食べたぁ?……って、およ?お取込み中?」


周囲の雑音の中でも目立つ、明るく端々で特徴的な響きのするその声と共に近づいてきたのは、ライトブラウンの髪に派手なピンクのシュシュを付け、制服のシャツの袖を肘までまくり上げた、見るからに派手な女子生徒だった。賀茂もクラスで目にしたことぐらいはもちろんあったのだが、直接会話したことなどは無かった。だがそんなことよりも、賀茂にとってはどうしてそんな生徒が赤坂と顔見知り……いや、それ以上に親しいのか疑問だった。赤坂はその女子生徒の方を見て、面倒なものにからまれた、という顔で答える。


「別に、なんにも無いわよ。お昼ならもうほとんど食べたわ」

「ちぇ、つまんないの。ウチが買って帰るころには、いっつも食べ終わってるしぃ~」

「そろそろ諦めなさいよ。誰かと昼食を取る気なんて、ないわ」

「えぇ~、つれないなぁ……ん?でも」


頬を膨らませて赤坂に不平を漏らしていたその女子生徒は、賀茂の方を見て、その手に握られている二つの総菜パンを確認した。するとその女子生徒は目を細め、口元に手を当ててにんまりと笑顔を作り、赤坂の方に再び視線をやって言う。


「ははぁ、さてはウチがお邪魔だったかな~?悪かったね、有佐っち」

「はぁ?なっ、ば、馬鹿、そんなんじゃないわよ!何言ってるのよ⁉」


赤坂はひどくうろたえた様子で否定していたが、その女子生徒は相変わらずの笑顔のまま、顔をそらす赤坂の方を覗き込んでいた。そうして、この二人のやり取りをただ見ていることしかできない賀茂に赤坂は気づき、説明する。


「あぁ、賀茂。これはその、私が中学の時の……」


そう言いかけたところで、その女子生徒は遮って言う。


「ウチ、井尻一乃(いちの)。キミとちゃんと話すの、初めてかも?」


井尻というその女子生徒は賀茂の方を見て、屈託のない笑顔を見せながら話す。


「俺は賀茂、賀茂一生観。よろしく」

「そっか、キミが賀茂君かぁ……よし、これからよろしくね、賀茂っち!」

「えぇ?ああ、うん……」


半ば圧倒されつつ、井尻との初対面の対話を賀茂はこなしていた。井尻の会話のペースは、賀茂にとっては驚異的であったが、このわずかな会話からだけでも井尻の人当たりの良さをうかがい知れるものであった。クラスで中心的な存在になるのも当然のことだ、と賀茂は考えつつ話していると、ふと視界の端に赤坂の姿が映り、先程抱いた疑問が再び浮かんできた。賀茂は井尻に尋ねる。


「そういえば、井尻……さんは赤坂とはどういう関係なんだ?」

「んー、有佐っちとは中学からの友達!高校でも同じクラスで、超うれしかったんだ」


井尻は赤坂の方を振り向きつつ話す。せわしなく動く井尻を見ながら、赤坂はぼそっと言う。


「ただの腐れ縁よ」

「素直じゃないんだからさぁ~。この子、昔っからこんな調子なんだよ。あ、もちろんホントはすっごい良い子で……」

「ちょっと、いい加減うるさいわよ、一乃」


赤坂はそう言って井尻を制するが、井尻は相変わらず笑いながら、赤坂と賀茂の方を変わり代わり向いて話していた。その後、井尻は別の女子生徒のグループから声をかけられて、赤坂と賀茂に別れを告げてそちらの方へと向かっていった。はぁ、と赤坂は軽いため息をつく。疲弊した様子であったが、赤坂が井尻を嫌っていないことぐらいは、賀茂にもすぐに分かった。


「ちゃんと友達がいたんだな。ちょっと、安心した」

「……一人ぐらいはいるわよ。ほら、連絡先を交換するんでしょ?」


そう言って赤坂は会話を切り上げ、スマートフォンを再度取り出し、賀茂と連絡先を交換しようとする。その時、一件のメールの通知が画面上に表示された。その送り主は、室見であった。


「次の任務よ、賀茂」


赤坂の声にひりひりとした緊張感が加わったことに、賀茂はすぐに気づいた。


――――――


放課後になり、賀茂と赤坂は旧校舎の裏に集合する。ここは相変わらず、人の気配が無い。赤坂がスマートフォンを取り出して操作すると、賀茂のスマートフォンに通知が入る。先程、交換したメッセージアプリに、室見からのメールが転送されていた。しばし二人は沈黙し、その内容に目を通す。二分ほど経ってから、賀茂が口を開く。


「今度は大学かぁ。しかもS大学っていえば、駅前の結構デカい所じゃんか」

「有名私立で生徒数は二万人越え、所謂マンモス大学ね。この高校の進学実績の上位の方に名前があったのを覚えているわ」

「やっぱ案外近くにいるもんなんだな、能力者って」

「ええ、そうね。私たちに伝わっているのは、その中でもほんの一握り、氷山の一角。その上、比較的安全なほうでしょうね」

「安全って?」

「私の能力も、そしてあなたの能力もきっとそうだと思うのだけれど……人を一人殺すのに、苦労なんてしないでしょう?」


”殺す”、赤坂の口から不意に発せられたそんな言葉に、賀茂の返答は滞る。その間に、赤坂は話し続ける。


「例えばこの髪だって、首を絞めるには最適。いや、それどころか絞め上げて、切り落とすことだってできる」

「お、おい、赤坂!何をそんな物騒なことを……まぁ、そんな想像はしないでもないけどさぁ。何つうか、赤坂が言うとシャレにならない感じがする」

「実際の能力者がそんなことを言い出せば、誰だって冗談じゃ済まされないわ。でも、誰だってそんなことを考える。私のような物理的能力なら特に」


それもそうだ、と賀茂は思う。アニメや漫画のような、よくある話。そして現実のことになればそんな発想はないだろうと、勝手に賀茂は思っていた。だが改めて考え直してみれば、銃や刃物のような、賀茂や赤坂の能力に比べればはるかに現実的で身近なものでさえも、しばしば暴力的な衝動を引き起こして、現実に悲惨な事件が起こっているのだ。そう思うと、目の前にいる赤坂すら恐ろしく……そんなことを賀茂が考える直前に、赤坂は再び口を開く。


「だからこそ、私たちが必要なのよ」


赤坂は賀茂に一歩近づいて、賀茂の目をじっと見ながら、続ける。


「危険な能力に惑わされることがないように、あるいは、能力で苦しみ暴走しないように。能力者を見つけて、その能力を抑制する。それは私たちのような能力者だからこそ、できることよ」

「そういう、ものなのか?」

「ええ、能力には能力で対抗する、そういう安全保障的な意味もあるけれど、一番は同じ能力を持つ者としての理解が大事なのよ。室見さんも、そう言っていたわ」

「……俺はまだ、自分の能力を理解している自信は無いな」

「最初はそういうものよ。その点については、私が助けになるわ、安心して」


安心して、そのようにきっぱりと赤坂が言うのに対して、賀茂は素直に安心してしまう。賀茂には赤坂のこういう”意志の強さ”のようなものを感じる瞬間が、これまでにも何度かあった。最初にレストランで対面した時の、第一印象。先日の初任務の時の、小学校に向かう前に抑制について話す様子。そして、今日。そのたびに赤坂はただの同年代の高校生などではないと、そしてシーカーの一員という自らが置かれている状況の非日常を賀茂は再認するのだった。


赤坂は再びスマートフォンに目を落としてから話す。


「ともかく、週明けの放課後にS大学へ向かいましょう。それにしても、二万人以上の中から能力者をどうやって見つければいいのかしら……」

「何か手がかりとかはないのかよ?」

「室見さんから追って連絡が来るから、届き次第転送するわ」


その時、赤坂のスマートフォンにメッセージアプリの通知が入る。送り主はお昼に会った、赤坂の中学時代からの友人だという、井尻という女子生徒からだった。何やら駅前でいい感じのアパレルショップが見つかったから、今度一緒に行こうというお誘いだった。およそ賀茂が普段使わないようなスタンプや絵文字が並んだ、なんとも騒がしい文面である。


赤坂がその日は予定があると返すと、すぐに泣き顔のキャラクターのスタンプが送られてきた。そのスタンプに対し、赤坂もスタンプを送り返して返答した……意外にも、最近はやりのアニメのキャラクター物だった。その様子を見ていた賀茂に、赤坂は気が付く。


「何?」

「やっぱり仲いいんだな、って」

「……うるさい」


赤坂は顔をしかめて、スマートフォンをカバンにしまってしまう。何故だか、賀茂は少しだけ安心した。

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