第21話 古き良きツンデレ

 その夜、僕は一ノ瀬と携帯を交換して一ノ瀬の携帯電話にダウンロードされている小説を読んでいた。


「やっぱり、大森先生の作品は素晴らしい。一気に読んでしまった」


 一冊読み終えた所でお茶でも飲もうと、ポットに水を入れスイッチを入れる。お湯が沸くのを待っているとドアがノックされた。

 一ノ瀬が携帯を取りに来たのかと思ったが、訪問者の魔素はブラッドのモノだ。


 ドアを開けると立っていたのはやはりブラッドだったが、見慣れたフード付きのマントでは無くワンピースの部屋着姿だった。眼帯も付けていない。風呂上りなのか髪は少し湿っており、シャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。

 僕と目が合ったブラッドは慌てて目を逸らす。訪ねて来たブラッドが口を開かないので仕方なく俺から尋ねる。


「どうしました?」

「なに、ワイバーンに襲われたと聞いてな。怪我をしていないか確認に来てやったんだ」


 その為にわざわざ来てくれたのか。あの程度の魔物なら怪我をする筈もないが、ブラッドからすれば僕はまだまだ心配な弟子という事か。


「心配してくれてありがとうございます。怪我はしていません」

「そうか。それなら良かった」


 僕の言葉にブラッドは安堵した表情を見せるが、慌てて捲し立てる。


「か、勘違いするなよ! 別にお前を心配した訳では無い! お前が怪我をしたら殿下から仰せつかった任務を遂行できないからな! 殿下の期待を裏切る事は許さん!」


 お手本のようなツンデレは見事だが、あまり大声を出されると他の生徒にばれてしまう。目立ちたくは無いので、取り敢えずブラッドを部屋に入れる事にする。


「立ち話も何ですから、中に入って下さい」


 僕は少し強引にブラッドの手を取り部屋に引き入れるとドアを閉める。


「丁度お茶を入れようと思っていたので椅子にでも座って待っていて下さい」


 僕がそう言うと、ブラッドはコクコクと頷きぎこちない動きで椅子に座る。


 僕は鈍感系主人公ではない。ブラッドの気持ちには当然気付いている。これは、リマ症候群だ。状況は少し違うが、共に濃い時間を過ごした事で情が湧いたのだろう。

 しかし、これは恐らく一時的なモノ。時間が経ち冷静になって自分の行動を振り返り、ブラッドは死にたくなるだろう。


 お湯が沸いたので、二人分の紅茶を淹れる。


「王女様の口に合うかは分かりませんが」


 そう言って僕はティーカップをテーブルに置きベッドに腰掛ける。ブラッドは一口紅茶を飲む。


「まあ、及第点だな」

「それはドーモ」


 僕の反応を見てブラッドはクックッと可笑しそうに笑う。漸く緊張が解けたのか、それからブラッドは愚痴を溢し始めた。その内容は王女としての仕事と、陰のメンバーについてだったが、王女の仕事にについて話している時は心底嫌そうだったが、陰のメンバーの話をする時はどこか楽しそうに話していた。


「ん、もうこんな時間か。長居し過ぎてしまった。そろそろ」


 そこで、ブラッドの言葉が途切れる。理由はこの部屋に向かって来る三人に気付いたからだろう。ブラッドはしまった、という顔をしている。本当にどうするつもりだ。

 ブラッドは窓から逃げようとしたが、その前にドアが開かれる。


「おーっす。遊びに来たぞー」

「ちょっと、奏多。ノックを、ってお客さん?」


 部屋に入って来た三人が驚愕の表情を浮かべている。僕は慌てて窓の方を見るがそこにブラッドの姿は無く、いつの間にか僕の隣に立っていた。僕でも認識できない程のスピードで。

 それができるのなら窓から脱出する事もできたのではないだろうか。


「これは勇者様方。こんばんは」


 ブラッドはまるで王女のように優雅に一礼する。


「どどどど、どうして王女様が黒月君の部屋に?」


 一ノ瀬達と一緒に部屋に入ってきた朝比奈が、激しく動揺した様子で尋ねると、ブラッドは王女と見紛うような微笑みを浮かべる。


「魔素伝導率ゼロパーセントの方がいらっしゃると聞いて、どのような方なのか気になって少しお話していました。黒月さん、紅茶ご馳走様でした。私はこれで失礼しますね」


 そう言ってブラッドは部屋を出る。


 一ノ瀬達は暫く固まっていたが、我に返った朝比奈が僕に詰め寄って来る。


「どうして王女様が黒月君の部屋に居たの!」


 朝比奈がさっきと全く同じ質問をする。


「それは王女様が言った通りだよ。朝比奈さんこそ、何でここに?」

「今は私の事はどうでもいいの! 本当に王女様とは何もないの?」


 物凄い勢いで迫って来る朝比奈に困惑していると、一ノ瀬が割って入る。


「まあまあ、楓落ち着いて。黒月君困ってるから」


 一ノ瀬のおかげで少し落ち着いた朝比奈は肩で息をしている。取り敢えず椅子に座る様促し、三人分の紅茶を淹れる。椅子は一つしかないので僕と一ノ瀬、右京は立ったまま飲む事になるがそれは仕方がない。


「で、三人は何で僕の部屋に?」

「黒月君に借りた漫画を読み終わったから携帯を返しに来たんだ」

「俺は普通に遊びに。あと、昼間のお礼かな」


 結構な量があったがもう読んだのか。


 右京のお礼というのは昼間背中を押した件か。別にお礼をされるような事では無いが。


「僕も読み終わったから丁度良かったよ」


 一ノ瀬と携帯を交換し、右京に向き直る。


「お礼を言うのはこっちだよ。寧ろごめん。危険な役を押し付けて」


 僕が頭を下げると右京は首を横に振る。


「あの時、黒月が背中を押してくれたおかげで俺は一歩踏み出す事ができた。こっちの世界に来てから、本当に俺が陽翔の親友でいいのかってずっと思ってた。陽翔みたいなすげー奴の隣に俺みたいな普通の奴が居て良いのかって」

「奏多……」


 一ノ瀬は初めて右京の本音を聞いたのだろう。心配そうに右京を見つめる。右京はそんな一ノ瀬の心配を吹き飛ばすように満面の笑みを浮かべる。


「でも、今日の事で、黒月の言葉のおかげで、ちょっとだけ自信が付いた。俺は陽翔の隣に居ても良いんだって思えた。ありがとな、黒月」


 その笑顔に以前見た影はもうない。右京はもう大丈夫。僕はそう確信した。一ノ瀬も安心したのか笑みを浮かべている。


 朝比奈を見ると、同じく安堵の表情を浮かべている。もしかしたら朝比奈は右京の気持ちに気付いていたのかもしれない。

 しかし、朝比奈は榊のフォローで手いっぱいだった。朝比奈と大和のおかげで榊の魔素も初めの頃のように大きく乱れる事は無くなった。


 榊は榊で女子生徒達から色々と相談されていたのだろう。それを一人で抱え込んだせいで、心が不安定になっていた。それを、朝比奈と大和が上手くフォローしてくれた。

 右京が吹っ切れた事で漸く朝比奈も安心できたのではないだろうか。


「私が来た理由は昼間の事を聞きたくて。どうして先生が結界を張ってるって分かったの?」


 そういえば、その事を忘れていた。朝比奈を安心させる為とはいえ、結界の事を言ったのは失敗だったか。

 カトレア殿下の張った防御結界は纏のようなモノで薄い魔素の壁だった。目には見えないので魔素が知覚できなければ結界を張ったとは分からない。さて、なんと言い訳するか。


「僕は魔素伝導率ゼロパーセントだから先生から言われていたんだ。何かあったら防御結界を張るので私から離れないで下さいって」


 苦しい気がしたが、朝比奈はその説明で納得してくれたようだ。


「そっか。そうだったんだ。私が守る必要なんてなかったんだね」


 朝比奈は自嘲気味に笑う。

 あの状況で誰かを守る為に動く事は簡単な事ではない。現に、あの時自発的に他人の為に行動したのは一ノ瀬、榊、大和、朝比奈の四人だけだった。


 結果的に朝比奈の行動は無意味だったかもしれない。だが、自分も危険な状況で他人を守ろうとする。その気高い心を恥じて欲しくはない。


「そんな事ないよ。朝比奈さんが声を掛けてくれて心強かった。女の子が言われても嬉しくないかもしれないけど、凄くかっこよかったよ」


 真っ直ぐ朝比奈の目を見つめ告げる。朝比奈は目を見開くが、やがて照れたような笑みを浮かべる。


「ううん、嬉しいよ。ちょっとでも黒月君の助けになってたのなら良かった……今度は助けられた」


 ブラッドが開けたままだった窓から風が吹き込み、微笑む朝比奈の茶色掛かった髪を揺らす。以前に見た、消え入りそうな儚い笑みでは無く、天使のような純粋な心からの笑み。

 絵画のように美しい光景に思わず息を呑む。


「どうしたの?」


 つい、見入ってしまっていた。朝比奈の言葉で我に返る。


「いや、なんでもない」

「急に押しかけちゃってごめんね。もう遅いしそろそろ戻ろうか」


 一ノ瀬がそう言うと、そうだな、と右京も頷く。


「それじゃあ、また明日」

「うん、また明日」


 三人が部屋を出ると、僕はティーカップを洗いシャワーを浴びる。


 西園寺は大浴場の前で出会った時から魔素が乱れる事は無くなった。右京ももう大丈夫。榊は朝比奈と大和が上手くフォローしてくれている。一ノ瀬と皇は初めから乱れる気配が無かった。

 心配だった生徒達の心は安定した。あとは、洗脳とやらに気を付けていれば良い。一人を除いて。


 馬淵貴。彼の心は未だに不安定で、日に日に魔素は増えている。今日現れたワイバーンに近い量の魔素を既に吸収している。猶予は余り無いのかもしれない。

 馬淵の感情の矛先は今一ノ瀬に向いている。勇者と呼ばれる一ノ瀬に対して、嫉妬か憎悪か。何れにしても、一ノ瀬やその周りの人間に危害を加えるのなら……。


 僕はそこで思考を切り上げシャワーを止める。寝間着に着替えベッドに潜ると僕は直ぐに眠りについた。

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