十色レンジャー育成計画

羽間慧

第1章 赤羽レイジは、念願だったレッドに変身したくない

第1話 スカウトは突然に

 行くぞレイジ。今日こそ決着をつけるときだ。大学三年の六月から始まった戦いに、終止符を打て。


 赤羽あかばねレイジは、右手に持っていたスマホを、自動改札機へかざす。高らかに鳴る電子音は、行進曲のような力強い歩みをさせてくれなかった。考えたくなかった現実へ引きずり込もうとする、悪魔の音に聞こえた。


 またICカードの残高が減ってしまった。返信用封筒や切手に費やした値段も含めれば、一食分に相当するはずだ。

 帰りぐらいは歩いて帰ろうかと、レイジは一人ごちる。来月も、面接前の散髪代が入り用にならないとも限らない。内々定通知が出されやすいと言われている六月以降になっても、手応えを感じた試しはなかった。


 出口へ続く階段を下りながら、レイジは後ろ向きな考えを振るい落とす。目的地は、駅から徒歩十六分のショッピングモールを抜けた先にあった。今は連休最終日の午前九時過ぎ。子ども連れや恋人と思しき人は、電車を降りてからも複数確認できた。彼らの楽しそうな空気に、水を差すのは気が引ける。


 胸を張れ。胸を。内定をもらえている友達のことは、一旦忘れるんだ。これから始まるのは、俺自身の手で未来を掴む物語。そうだろう?


 心を落ち着かせるようにビジネスバッグを握り直すと、とある大学職員の顔が脳裏をよぎった。


「どんな仕事をしたいか、突き詰めて考えなさい。よほど企業を選ばない限り、内定はもらえますからね」


 顔見知りになった就職サポートセンターのおじさんは、いろいろとアドバイスをくれた。就活を怖がりすぎなくていいと。


「おじさんがきみと同じ年だったときは、あの氷河期のときでした。就職氷河期をどうにか乗り越えて、おじさんはこうして生きています。きみも明るい未来を勝ち取れますよ。面接では嘘をつかず、素直に自分のことを話してきなさい」


 企業を選んでいるつもりはなかった。レイジの望みはただ一つ。よりよい社会のために貢献することだけだ。

 その熱意を面接で話す度に、不採用通知が突きつけられる。傍から見れば、志望先の分析ができていないと思われてしまうのかもしれない。どの企業でも当てはまる曖昧な将来像は、皮肉にも内定を遠ざける敵になっていた。


 一番の不幸は、レイジの憧れた職業が求人募集されていないことだろう。

 小学校中学年まで、七夕の短冊に書いていた夢。それは戦隊ヒーローになることだった。仲間とともに地球の平和を守る勇姿が、いつだって心を熱くさせた。


 転機が起きたのは、戦隊ヒーローの話をしていた周りの友達が好きなスポーツ選手について語り出すようになってからだ。レイジは楽しそうな空気を読んで、友達の話題に合わせた。以後は、実家の中だけヒーロー好きを継続してきた。


 食玩商品もフィギュアも変身アイテムも、店頭では買えない小心者。受注販売で手に入れていた隊員風ジャケットを街中で着る勇気はなく、届いた日に一人暮らしの部屋で袖を通したきりだ。大学の友達が遊びに来たときは、押し入れの中でうまく擬態してもらった。


 レイジの印象について質問された友達は、口を揃えて言うはずだ。ボランティアサークルや飲食店のバイトを意欲的に取り組む、ごく普通の大学生だと。


 個性があるとすれば、地域活性化のために特撮ツーリズムの研究をしているくらいだった。だからこそレイジは後悔するときが度々ある。世間体を気にして中途半端に推すくらいなら、かっこよく口上を言ってのけるヒーローに見合う奴でいろよと。


「やる気超加速! エンジンレッド!」


 レイジの耳に、はつらつとした口上が聞こえた。昨年テレビ放送されていた「起動戦隊エンジンレンジャー」でのセリフだ。

 うっかり口に出してしまったかと焦ったが、そうではないらしい。レイジの声にしては幼すぎる。


 前を歩く子どもが、エンジンレッドのソフビ人形を掲げていた。真っ赤な歯車を模したフルフェイスヘルメットは、陽の光を受けて輝く。レイジは小さいときのことを思い出した。あんな風にソフビ人形を持って、映画館に連れていってもらったなぁと。


「スクリーンでも変身だ! パパ! 早く、早く!」


 信号機のない横断歩道へ走っていく男の子を、父親はにこやかに制止した。


「映画館が開くまで、時間はたっぷりあるよ。横断歩道で一回止まろうな」

「え~! 映画館の前で行列ができていたら、キャラメル味のポップコーンが買えなくなっちゃうよ! 氷がたっぷり入ったコーラもほしいのに。レッドが好きなものを、僕も持って入りたいの」


 父親の方を振り向きながら走り続ける男の子は、速度を緩めなかった。当然、減速しないまま迫ってきている車に気づけていない。このままでは、ぶつかってしまう。


「ちび! 前を見ろ! 前を!」


 レイジが叫ぶのと、動きやすいようにビジネスバッグを歩道に置いたのは、同時だった。遅れて車の存在に気づいた父親は、慌てるあまり足がもつれて盛大に転ぶ。男の子の元へ駆けつけようとするレイジに、父親からの見えないバトンが渡された。宙を掴む手が熱くなり、全身に力がみなぎる。

 男の子が道路に飛び出す前に、レイジは彼の体を引き寄せた。自分が代わりに轢かれることのないよう、転がるように歩道へ逃げた。


 スーツのズボンがほんの少しだけアスファルトに擦れてしまったものの、大した問題ではなかった。レイジの腕の中にいる命を守れたのだから、誇らしさが勝つ。これで面接に落ちても、後悔なんてしない。


 なお、男の子を助けるためにがむしゃらに走り出す行為は、大変危険が伴う。よい子のみんなは、ヒーローごっこがしたいからという理由で真似をしちゃだめだぞ。まずはドライバーに気づいてもらう声かけが大事かな。


「びっくりしたぁ。お兄ちゃん、どうしたの?」


 道路にへたりこんだ男の子を、レイジは優しく見つめた。


「きみは、もう少しで車に轢かれるところだったんだよ。道路を歩くときは、ちゃんと左右を見ような。テレビで見ていたエンジンレッドは、きみと安全第一について約束しなかったのか?」

「してた! 『暴走車を止めろ!』のときだったかな? 青信号になっても安全とは限らないぜって、レッドが言ってたよね?」

「ごめんな。そこまでは詳しく知らないや」


 嘘だ。ヒーロー好きと自称しているからには、もちろん知っている。第三十四話として放送されたことも。

 知っているからこそ、レイジは嬉しさで頬が緩みかけていた。同じ話題ができる人が至近距離にいるのだ。無理もない。それでも、照れる気持ちの方が勝ってしまうのは、隠れて生きてきたツケだと思う。


 知らないふりをして大変申し訳ないと、レイジは心の中で両手を合わせた。


 注意散漫だった男の子を叱る役目は、レイジよりも適任者がいる。面接を控えているレイジは、ドライバーと話している父親に視線を向けた。一目散に子どものところへ来るものだと思ったが、ドライバーとのコンタクトを優先したか。後のことはよろしくお願いしますと意味を込めて、レイジはえしゃくをする。


「そっかぁ。お兄ちゃんは、これからエンジンレンジャーの活躍を見に行かないんだね。絶対気に入ると思うのに」


 男の子のキラキラの目が眩しい。


 お兄ちゃんにはね、大人一人でエンジンレンジャーの映画に行く勇気はないんだよ。お兄ちゃんは座高が高いから、後ろの子どもが見えにくくなるのも嫌なんだ。


  レイジは、そう言ってしまいたくなる気持ちを抑えた。戦隊ヒーローの憧れを、子どもから奪ってはいけない。代わりにどう返事をするべきか、ビジネスバッグを取りに戻ってからも考え込んだ。


「お兄ちゃんはね。映画を見に行く時間がないんだ。急がないといけない場所があるから。そろそろ行くね」

「そっかぁ……。また今度見に行ってね! レッドみたいなヒーローのお兄ちゃん」


 親子と別れ、足早に去る。たったそれだけで、ゲームでレベルアップしたときのような効果音が頭上から降ってきた。足元に魔法陣が描かれていた訳でもないのに、異世界へ転移でもしたのだろうか。


「何なんだ。一体」


 周囲を見渡したレイジの呟きに答えるかのように、目の前に紫色の球体が現れた。ソフトボールくらいの大きさで、宙に浮き続けている。近くの公園から飛んできた玩具にしては、いささか高性能に見えた。


「見つけたルン!」


 球体だと思っていたものから、ぴょこんと小さな耳と鼻が飛び出る。紫と白のツートンカラーの体は、マレーバクをデフォルメしたように見えた。


「赤羽レイジ。きみにはヒーローの素質があるんだルン。ぜひレンジャーの一人になってもらいたいルン」


 ふわふわと漂うマレーバグの言葉を聞いて、お約束の「な、なななんだってー!」のセリフは出てこなかった。素直に嬉しい。


「おぉー! 戦隊ヒーローのスカウトか!」


 大学生になってから、子どものときの夢が叶うとは思わなかったぞ。


 どこか魔法少女のマスコットを想起させる口調に、違和感がまったくないとは言えない。それでも、レイジは胸を躍らせる。

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